時間は少し遡り、神尾を見失ってしまった不二は手塚に報告するために事務所に電話を
していた。
『はい。青春探偵事務……』
「あ、手塚? 僕だけど」
『不二か。どうした? 何か進展でもあったか?』
いつものことで慣れたのか途中で遮られても特に気分を害することなく話を続ける。
「うん、あったよ。それと同時にミスも犯しちゃったvv」
『…………』
ミスを犯したというのに、明るく、しかも楽しそうに言われ手塚は眉間のシワを増やす。
『一体どんなミスを犯したんだ?』
聞きたくないのが本音だったが、そういうわけにもいかず、先を促した。
「とりあえず神尾君は見つけたんだけどね、ちょっと目を離した隙に見失っちゃったvv」
『そうか……って、ちょっと待て! お前、それ、もしかしてバレた可能性があるんじゃ
ないのか?』
「うん、そうかもvv」
ごめんね、手塚という白々しい不二の言葉は手塚には届いていなかった。なぜかという
と既に意識を手放していたからであった。手塚の斜め後ろでメモを取っていた乾はどこか
らか一見普通のノートと思えるそれに、不二との会話をメモしていた時より熱心に何かを
書き付けていた。
「……づか」
『……』
「…ねぇ、聞いてるの? 手塚」
『……』
どうやらまだ覚醒していないようだ。しかし不二にはそんなこと全く関係なかった。い
つまで経っても返事をしない手塚に不二は黒いオーラを纏い始める。
『ほ、他に何か用があるのか?』
「あ、乾? ねぇ、僕のリョーマ君はどうしてる?」
『……越前なら定時に帰ったぞ』
「そう。ありがと。手塚によろしくねvv」
どうよろしくしろと?と聞きたかったが、そんなことをすれば再び不二の機嫌を損ねる
確立が七十%以上。触らぬ神に祟りなし改め、触らぬ不二に祟りなしである。
ピピピッ ピピピッ
電話を切ったと思ったら不二は再び電話をかけた。新たな番号に。しかし、一番よくか
ける番号だったのだが……。
『おかけになった電話は電波の……』
「あれ?」
一度切って、番号を確かめてかけ直してみたが、聞こえてくる声は不二がこの世で最も
心地よいと思うリョーマの声ではなく、機械の事務的な音声であった。
「リョーマ……君?」
背筋を冷たい汗が流れる。再びケータイのボタンを手早く押す。
『はい、青春探偵……』
「もしもし手塚? リョーマ君は本当に帰ったの? 今すぐ答えて!」
どうやら復活を果たした手塚に、速急で的確な返答を求める。珍しく焦りを隠そうとし
ない不二に手塚もリョーマに何かあったと悟り神妙な面持ちになる。
『ああ、それは確かだ。俺や乾にちゃんと挨拶して帰ったからな。どうしたんだ?』
「ケータイの電源が切れてるんだよ」
『……まさか!?』
一つの考えが頭をよぎり手塚はらしくもなく叫んだ。
「今から急いで帰るよ。手塚達は例の準備をしてて!」
『分かった。急げよ』
「君に言われなくても分かってるよ」
ブチッと切ると周りの騒がしい世界のことは何もかも吹き飛ばし、リョーマのことのみ
を思いただひたすら走り続けた。
「準備出来てる?」
ハァハァと息を切らしながら乱暴にドアを開け駆け込んできた。
「今音を拾っている最中だ。しかし電波が悪いな」
スピーカーと目盛りの付いたダイヤルが三つほど付いた黒いボックスを操作しながら乾
が答える。乾の言葉通り電波が悪いのか、スピーカーからは雑音しか流れてこない。何を
しているかというと、万が一のため、リョーマの服には盗聴器と発信機が取り付けてあり、
その音を拾っているのである。つまり、不二が言っていた例の準備とはこのことである。
「乾、早く!」
「落ち着け不二。急かせば余計に手元が狂い、拾える音も見逃してしまう」
「っ……」
手塚に注意されなくてもそんなことは痛いほど分かっていた。しかし、不二は焦る心を
制御することが出来なかった。
『ガー、ガー、……』
雑音の中に何かが入ってきた。乾はダイヤルを弄る手を慎重に動かし始めた。そして音
が鮮明になったところでダイヤルから手を離した。
『だって、跡部君を使って、青春探偵事務所に関係ある人物を攫えって命令
したの僕だから……ね』
『!』
『……何が目的なの?』
『……僕がここまでやってるのにまだ気付かないのかな?』
『……そんなことより、神尾さんはどこにいるんだ?』
『さぁ、僕は君さえ誘き出せたらよかったから、そんな男のことなんか知ら
ないよ。きっと跡部君が連れているんじゃないかな?』
『俺を誘き出す?』
『そうだよ。僕は君が欲しいんだ』
スピーカーから流れてきた声は三人に特大の衝撃を与えた。
「まさか、本当の狙いが越前とはな……」
「何悠長なこと言ってんのさ。コイツの思い通りになんかさせない! リョーマ君は僕の
ものなんだから!!」
最後の言葉に疑問を覚えたが、聞かなかったことにして、今すぐリョーマを助けに飛び
出して行きそうな不二を止めることに専念した。
「落ち着け! まだ越前がどこにいるか分からないだろうが!!」
「不二!」
何を思ったのか突然不二は、所長室に駆け込んだ。
「手塚! これ、借りるから!」
「おい! 不二!!」
不二に手塚の言葉は聞こえていない。手塚の机の引き出しを勝手に開け、危険な任務の
時にだけ使う護身用の拳銃を取り出すと、再び出て行こうとする。
「待て、不二! 取りあえず、それはお前に預ける。だから少しは落ち着け」
「でもっ!」
「もうすぐ菊丸と大石も帰って来る。発信機の扱いは菊丸が一番得意だから、菊丸の方が
早く見つけることが出来る」
「でも!」
「お前は菊丸が戻って来るまでに、会話からどこにいそうか考えて、少しでも頭を冷やし
ておけ!」
「手塚……」
所長室から出て来た手塚は乾とともにいろいろなところと連絡を取り合っている。そう、
ここにいるメンバーは、誰もが氷帝が絡んだただの誘拐事件だと思っていた。それなのに、
黒幕がリョーマの知り合いで、しかも、狙いがリョーマとは考えもしていなかった。
「待たせた!」
ほどなくして、大石と菊丸が帰って来た。
「お待たせ、不二! 準備出来たから行くよ!」
外に待たせてあった車に不二、手塚、菊丸、大石が乗り込む。他のメンバーは橘達への
連絡や情報収集のため事務所に残る。そうして、車は慌ただしく夜の街を走り出す。
「英二。リョーマ君の場所は?」
「ちょっち待ってよ」
「早く!」
「お前、おちびのことになるとホントにキャラ変わるな〜」
普段見られない不二の様子に菊丸はケラケラ笑う。
「おい、菊丸! それ以上言うと不二に殺されるぞ!!」
手塚の言葉は少し言うのが遅かった。バコッと菊丸の頭の上に不二の鉄拳が落ちた。
「痛ってー! 不二、何するんだよ!!」
「いいから、早くリョーマ君を探せ!」
一瞬手塚のセリフかと思われたこのセリフは不二の口から放たれたあり得ないセリフだ
った。さすがに、これ以上不二をからかうと本当に殺されてしまうと感じた菊丸は真剣に
機械の調節に入った。
「……」
「……」
「……」
「……」
車内は必要以上に会話のない無音の世界が広がっていた。その無音の世界に耐えられな
くなった菊丸の手元で機械が反応を返してくれた。
「いた! おちびは今海沿いの廃工場にいる!」
菊丸の言葉に、四人を乗せた車は、制限速度を遥かに超えたスピードでリョーマの元へ
向かった。
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