「ただいま〜」
不二が事務所に帰って来たのは出て行った日ではなく、次の日の朝だった。まぁ、ホス
トは夜の仕事なのでそれは致し方ないのだが、不二は気に入らなかった。リョーマに帰っ
たらファンタをあげると約束していたのに最終的に帰って来れたのは今朝だ。恐らくリョ
ーマはカンカンに怒っているだろう。
「……」
「リョーマ君?」
「……被害者見つかったんスか?」
「残念ながらまだだよ。とりあえず約束のファンタだよ。あ! そうそう、僕ナンバー1
ホストになったよ」
ペシッ
ゴトッ
ゴロゴロ
静まり返った部屋に何かを叩く音、落ちた音、転がった音が響いた。
その場にいた者の視線は音の発信源に集まる。
「痛いなぁ〜。何するのリョーマ君」
この言葉から全て察しがつくだろう。叩かれたのは不二の手、床に落ちて転がったのは
不二が持っていたファンタ。そして、不二の手を容赦なく叩いたのは当然の如くリョーマ
だった。
「いらない」
「でも約束でしょ?」
「だから、いらないって言ってんでしょ! そんな汚れた手で俺に触んないでよ! てか、
同じ空気も吸いたくないから俺の目の前から消えて!!」
リョーマの怒りのボルテージはマックスを指していた。しかし、この時リョーマは自分
が何故こんなにも怒っているのか分かっていなかった。ただ、胸が不二の言葉を聞いた瞬
間締め付けられるように苦しくなり、次第に胸の奥からムカムカとする感情が湧き起った
のである。
精神的にも人間的にもまだ幼い部類に入るリョーマにはこのような感情が世間一般では
嫉妬と呼ばれるものだと知らなかった。単語として知っていても実際に体験するのは初め
てなのだから……。
突然不二の手を払ったリョーマの行動に最初は驚いたものの、後は黙って見ていた手塚
だったが、リョーマの怒りが当分は下がらないだろうと予測出来たので、捜査の詳しい報
告を聞くため不二と乾を所長室に呼んだ。
「…………」
チラチラと何回かリョーマの方を振り向き歩みを止める不二だったが、結局何も言わず
ドアを潜った。
「どったのおちび」
「何がっスか?」
「何がって、突然怒るからさ。何があったのかにゃって思って」
その場に残っていた大石と桃城も気になっていたのかリョーマの傍に寄って来る。
「別に。ただ……」
「ただ、何?」
「……」
自分でも分からない感情をどう説明していいのか分からず、手塚のように眉間にシワを
作り仏頂面になり俯いてしまった。
「お、おちびぃ〜!?」
「「え、越前!?」」
可愛いリョーマの顔が手塚のようになってしまったことに周りの三人は焦った。
どうにかしないと!と三人はアイコンタクトで会話し、菊丸が先陣をきる。
「おちび、オレ達に話してみそ。何か力になれるかもしんにゃいしね」
顔を上げたリョーマに、他の二人もウンウンと頷いている。
「……約束を破ったくせに笑顔でナンバー1になったとか言うから。それ聞いたら何か急
に胸が苦しくなって、んで痛みが消えたと思ったらスゴイムカムカしてきて、気付いたら
頭に血が上って爆発してました」
「「「…………」」」
おもいきって告白したのに何も返ってこなかったので不安に駆られて三人の顔を順に見
回す。菊丸・大石・桃城の順番で最後の桃城の顔を見た時だった。
「ぷっ……」
「菊丸先…うわっ!?」
「おちびちゃん、かっわい〜〜vv」
言うと同時にリョーマに飛びつきギュッと抱きしめる。
「は、離してください。苦しいっス」
「ダメェ〜!」
「何で!!」
「おちびが可愛すぎるから!」
「は?」
どんな理屈なんだよと文句を言っても菊丸が離すことはなかった。
「大石ぃ、お持ち帰りしちゃダメかにゃ?」
きらきらと輝いた瞳で問われて大石はいいよと言いたい衝動に駆られたが、不二の顔が
頭に浮かび否定の言葉を紡ぐ。
「だ、駄目だよ英二。越前は物じゃないんだぞ」
「うにゅう〜」
大石に駄目だしされた菊丸は叱られた子供のように落ち込んでいる。
「いい加減離してくれません?」
実はまだ菊丸はリョーマを抱きしめたままだった。
リョーマの言葉で菊丸は見事復活を遂げる。顔には妙に意地の悪い笑みを浮かべている。
「ねぇ、おちび。おちびが何で怒ったかオレ分かっちゃった♪ 知りたい? 知りたい?」
もったいぶった言い方に癪に障ったが、知りたいという欲求が勝りリョーマはゆっくり
頷いた。
「おちびは、不二が自分以外の誰かに好意を持ったり、見ず知らずの女の人が不二にベタ
ベタしたりするとこを想像して胸が急に締め付けられるような感じがしたんでしょ? ん
でその後、怒りが込み上げてきたんっしょ?」
「……っス」
何か少し違和感を感じないでもなかったが、そんな感じだったよねと思いながら取りあ
えず肯定した。
「そーゆー感情をね。“嫉妬”って言うんだにゃ♪」
「……えっ!?」
リョーマは菊丸の回答を咄嗟に理解出来なかった。無意識の内に脳が拒絶していたのか
もしれないが……。
リョーマがちゃんと理解してないと踏んだ菊丸はもっと分かり易く直接的にリョーマの
気持ちを指摘してやった。
「結論を言うとね、おちびは不二のことが好きなんだにゃ!」
ピッと人差し指を目の前に突き付ける。
「なっ!?」
今度こそ正確に理解したリョーマは恥ずかしくて怒りで誤魔化そうとする。
「人のこと、からかって楽しむ菊丸先輩の言葉なんて信用出来ないっス! どーせデタラ
メでしょ」
「え〜〜!! 違うにゃ。本当のコトだにゃ。先輩のゆーことは素直に聞くもんだぞぉ」
拗ねたように口を尖らせて言い返すが、リョーマからの反撃がこの後怒涛のように押し
寄せ、後悔する羽目になる。その時菊丸は口は災いの元ということわざを身を持って学ぶ
ことになるが、それはもう少し、ほんの少し先の話。
リョーマは菊丸の言葉でプチンと何かが切れるのを感じた。そして、次々と頭の中に浮
かんでくる単語をいじることなくそのまま音声として流した。
「“にゃあにゃあ”猫語なんか話してるアンタの言うことなんか信用出来るわけないでし
ょ! ヒトからかって玩具にする前に日本語ちゃんと勉強したらどうなんスか? それか
ら金輪際俺に話しかけないでください。じゃあ」
言いたいことを言い終えてスッキリしたリョーマは不二の捜査の報告を聞くために所長
室へと向かった。
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