夜になっても風の肌寒さを時折しか感じない、穏やかな春の夜。 柔らかい月明かりの中、賑やかな声が響く。 夜空に映える薄紅の桜は、こぼれんばかりに花開き、枝を重くしていた。 桜の木の下にはシートが広々と敷き詰められ、至るところで談笑の声が聞こえる。 「ほら、アスマ、カカシも、飲みなさいよっ!」 上機嫌の紅はさっさと二人の杯に酒を注ぎ、自身も一気に飲み干した。 「……」 若干迷惑そうなアスマとカカシをキッパリと無視して、向かいに座る紅はいそいそと杯に酒を注ぎ足している。 「あんまり飲みすぎるんじゃなーいよ、紅。」 「あら、心配してくれてるの?あんたが口うるさいなんて珍しいわね。」 「違うな、カカシは機嫌が悪いだけなんだよ。」 「あら…」 「…アスマ!」 アスマがちらり、と視線をよこした先には、イルカの姿があった。 「イルカ、お前も飲め。」 「乾杯!」 賑やかな上忍に囲まれたイルカは、請われるままに酒を注ぎ、自らも酒を飲み干す。 その様子はイルカがいかに人気があるかを物語っている。それは甚だカカシには面白くないことで。 (まぁ、人気絶大だってことは知ってたけどね…) 「元気出しなさいよ、カカシ。」 「うるさいよ、紅。」 優しく、しかしからかうように嫣然と笑う紅を一瞥して、カカシは杯を口に運んだ。 上手くあしらっているとはいえ、二人の冷やかしにいい加減うんざりしてきたカカシは、イルカの姿にふと視線を向けた。 (あれ、イルカ先生?) イルカの様子がいつもと違うのだ。普段の溌剌とした表情が今日はなりを潜めている。想いを寄せる人の様子はよくわかるものだ。 カカシは静かに席を立つ。 「カカシ、どこに行くんだ?」 訝るアスマと紅をそのままにして、カカシはイルカの席へと近づいていった。 「カカシ先生?」 カカシに気づいたイルカは、申し訳なさそうに微笑んだ。顔は僅かに赤みを帯びているが、しっかりとした口調のため、酔った雰囲気は微塵も感じられない。 「すいません、来られていたのは気づいていたのですが、この通り捕まってしまって…ご挨拶が遅れました。」 イルカの周辺ではアカデミーの同僚たちが思いっきり出来上がっていた。イルカは上忍グループに酌をしたあとに、同僚たちの酒宴に引っ張り込まれたらしい。 「…イルカ先生、少しここから離れませんか?」 「カカシ先生?」 カカシの言葉に訝しげな顔をしたイルカだが、カカシの口調から何かを感じたのか、静かに立ち上がった。周囲の者たちはあまり二人に注意を払わず、それぞれ酒宴を楽しんでいるようだ。 しばらく歩いて二人がやって来たのは、酒宴場所から少し離れた池のほとりだった。やはり美しく花開いた桜が湖畔を彩り、水面を滑る花びらが月明かりの中、幻想的な印象を与えている。 「ねぇ、イルカ先生、無理してるでしょ。」 「……は?」 カカシより少し前を歩き、池の水面を見つめていたイルカは、驚いたように振り返った。困惑したような表情をして首を傾げる。 「あー、隠しても無駄ですよ。一応、オレは上忍なんでわかるものはわかります。」 実は上忍であるというのは関係ないのだが。伊達に虚しい片思いをしてはいない。それに、イルカの心情の変化はわかりやすい、とカカシは思っている。 「……カカシ先生。アンズを覚えていますか?」 たっぷりの逡巡の後、イルカが発した問いかけに、カカシは記憶を辿った。 「たしか、先週オレがイルカ先生に会いに行ったときにぶつかった女の子…ですよね?」 「ええ、あの子が昨日…死にました。」 「え…」 僅かに覗くカカシの右目が見開かれ、驚きを伝える。脳裏に生き生きとした少女の、華やかな姿が蘇った。 「あの子、今回が初めての暗部任務だったそうです。中忍ですが、優秀な子ですから。」 イルカの言葉にカカシは瞠目した。暗部は必ずしも上忍というわけではない。ましてあの年齢、かなりの有望株だったのだろう。 「俺は、無事帰ってきたら、なんでも奢ってやるって言ったんです。アンズも俺やナルトと同じで家族がいませんでしたから。」 (ああ、それで…) カカシはやっと、あの時の二人の会話に合点がいく。おそらく、イルカの言葉をアンズが念押ししていたのだろう。とても温かな師弟のやり取り。 しかしそれは失われてしまった。 「ふふ、大事な教え子を喪うのって本当に辛いですね。」 悲しみをこらえて笑うイルカの姿に胸が痛む。もし自分が七班の面々を喪ったら、自分はどんなに空虚な思いを味わうことだろう。 「イルカ先生、辛いときは泣けばいいんですよ。」 「…そうかもしれません。そして、そうできたら…と思います。でも、だめなんですよ。俺はあいつに、よく頑張ったな、って言ってあげなくてはならないんです。」 カカシはイルカの言葉に、思わずイルカを抱きしめた。驚いたように暴れるイルカに動じず、緩やかに抱きしめたままでいると、イルカの抵抗が弱くなった。 「イルカ先生、あなたは強いです。でも、ここなら誰も見ていませんよ。」 イルカは本当に強い人だとカカシは思う。先生である前に忍びであると信念を持って立ち続けている人。けれど、自分はありのままのイルカを見てみたい。 「イルカ先生。オレは、あなたが好きです。」 「…え?」 驚いたようにカカシを見上げたイルカの瞳から、ぽろり、と涙が一粒こぼれた。 |