ユーリが夢を話してくれた部屋。
手元に残っていた合鍵でドアを開けると、男がひとり居て、マミを仰天させた。
20代半ば、或いは後半といった感じの、背の高い痩せた男だった。
「あ、すみません」
混乱しつつも反射的にドアを閉めようとして、もう新しい入居者がいたのか、
とマミが逃げようとすると、背後で「ちょっと待って」という男の声がした。
「あなた・・・カノンさん、ですよね。ユーリの友達の」
ユーリ、という言葉に反応して、マミは足を止めた。振り返って男を見つめ、そして理解した。
ユーリの、10歳年上の恋人。ミスターHIVポジティブ。
「一度、あなたと話をしたかったんです。どうか入ってください」
「・・・はい」
おそるおそるマミが部屋に入ると、部屋はあらかた片付けられ、ただユーリの物は
きちんと置かれたままになっていた。ガンジャとピザと退廃の匂いは消えている。
「コーヒーでいいですか」
男はヤマモトシンジだと名乗った。この部屋の名義は、確かヤマモトシンジだった筈だ。
マミは再び驚き、改めてユーリの口の堅さを実感した。
コーヒーテーブルに向かい合う形で腰かけ、差し出されたコーヒーを少しずつ飲みながら、
その奇妙な男をマミは観察した。色が白く、端正な顔立ちをしている。ユーリと並んだら、
さぞかし絵になるカップルだった事だろう。お互いがHIVキャリアーだという事実を除けば。
「ユーリが、一度だけ話してくれたんです。カノンさんは本当は自分の友達だ、と。
名前や年は内緒だからと言って教えてはくれなかったんですけれど
・・・あなたを見た瞬間、すぐにわかりました」
「あの、あたし篠田真美といいます。マミでいいです」
カノンさん、と呼ばれる事に抵抗を感じて、マミは遮った。緊張した面持ちをしていたヤマモトシンジは、
一瞬照れたような微笑を浮かべ、そうでしたね、と続けた。
「すみません。・・・マミさんに、ユーリは最後まで会いたがっていました。
でも、自分から断ったのだとも。その時ユーリは既に発病していたんです」
「・・・やっぱり、そうだったんですね」
「はい。病院できちんとした検査を受けて、ポジティブだとわかってから
・・・暫くの間は荒れていて、自棄を起こして、僕が何を言っても止まらなかった。
僕にHIVを感染させた事でひどく自分を責めていて、自分にその病気を運んだ男を恨んで、
女を強姦したりするような人間は、みんなエイズで死ねばいいって
・・・それでわざと売春をしたりもしていたようです」
「え?」
マミは話を飲み込めず、ぽかんと口を開けた。
「ちょっと待ってください。最初のキャリアーって・・・」
ヤマモトシンジは、ああ、と呟いてから苦笑した。
「最初に感染したのは、ユーリの方だったんです。
彼女は中学に上がる前に、HIV感染者にレイプされた経験があって・・・。
去年の9月に受けた検査でそれがわかったんです。HI Vには潜伏期間がありますから。
彼女の症状から逆算して、それが判明した。僕も、人の事は言えない仕事をしていましたから、
そんな事は構わなかったのだけれど、ユーリは納得しなかったんです。それで、あんな事を」
「・・・そうだったんですか」
ヤマモトシンジよりもユーリが先に発病したのは、そういう事だったのか。
マミは何を言っていいのかわからなくなり、コーヒーを啜った。
「でも、あなたが部屋を訪ねて来てくれて、スープを作ってくれて
・・・ユーリはそれが余程嬉しかったようで、
何度も話していました。救われたような気持ちになった、と。
失礼ですが、マミさんが苦手な料理をしてくれて、自分の教えたスープを一生懸命
作ってくれている姿を見て、旅行に誘ってくれて・・・ユーリは本当に感謝していました。
これで何もかも許せそうな気がする、と僕に言いました。
・・・僕は、それをどうしてもあなたに伝えたかった」
自分の目から涙が溢れ出すのを、マミは他人事のように感じていた。
「ただ、僕はその時マミさんとカノンさんが同一人物だという事実を逃していて、
あなたを探す事も出来なくて、途方にくれていたんです。僕自身、いつ発病するかはわからない、
マミさんという名前の女の子を探しだそうにも、学校が違ったらもう打つ手はない。
・・・ユーリがあんな風に死んでしまって、僕自身も随分苦しんだし、怖くもなりました。
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