そう思うと、シンジを恐怖が襲った。
そんな時に抱きしめてくれたユーリは、焼かれて灰になってしまった。
病院のスタッフに無理やり引き剥がされるまで抱き締め続けたユーリのぬくもりはまだ
腕や胸に残っているというのに、実際のシンジの手元に残されたのは、一緒に暮らした
部屋とそのこまごまとした衣類や日用品だけだった。
空腹は感じたが、食欲はなかった。コンビニに行ってみても、
何か食べたいという気持ちにはなれなかった。
結局ビールだけを黄色いプラスティックの籠に入れ、レジに向かおうとしたところで、
シンジの目に雑誌の文字が映った。
カノン。
内緒よ。あれ、あたしの友達。
ユーリの声が、再び脳裏に蘇り、シンジはその雑誌も籠に放り込んで買った。
部屋に戻ってビールを飲みながら、シンジは4ページのグラビア写真とコラムを
丹念に見つめ、読んだ。
プロフィールには、生年月日も出身地も全て不明とされている。
ヒューレッド・パッカード社のパソコンCFをはじめとする、幾つかの出演したCFのリストがあり、
1月に最初で最後と本人が引退声明を出した写真集が出版される予定だと書かれていた。
「空へ還った天使」
そんなタイトルのコラムがついていた。一時は社会現象にまでなったという謎の少女の
バリ島での行動や、有名なカメラマンを「今の自分は今しか撮れない」と説き伏せた話が、
地上に舞い降りた天使のようだと銘打って描かれていた。隣の写真には真っ青な海辺で
両手を少し広げ、白いワンピースドレスのスカートとロングヘアを向かい風で羽根のように
広げたカノンの写真が、ロングショット気味で掲載されていた。仰向けた顔。白い肌。
そのまま羽ばたいていきそうな一枚だった。
ユーリと、雰囲気がよく似ている。そんな印象を、シンジは持った。
バリ島。
シンジの中で、何かがひっかかった。
胸の辺りを軽く引っかかれるような感覚があり、シンジはカノンのグラビア写真を見つめ続けた。
「カノンは本当に空に還ってしまったのか。再び僕らの前に、地上に舞い降りてくる事は
ないのか。
・・・結局彼女が残してくれたものは、篠山紀信氏があのバリ島で撮影した数本のフィルムと、
僕らの脳裏に焼き付けられた、あまりにも鮮やかな記憶だけなのかもしれない・・・」
コラムはそう結ばれていた。
バリ島。空に還った天使。脳裏に焼き付けられた、あまりにも鮮やかな記憶。
バリ島に行きたがっていたユーリ。空に昇ったユーリ。その鮮やかな、記憶。
混乱する頭をビールでなだめ、シンジは1月に発売されるという写真集をなんとかして
手に入れようと思った。
カタオカからは何度か連絡があったが、マミは取り合わなかった。
出来上がった写真集はマミの自宅にも送られ、発売されて書店に並ぶようになってから、
それは爆発的に売れているという。
名前を変えてもいい、何でもいいから事務所に戻って欲しいという
カタオカの悲願めいた言葉を、マミは全て聞き流し、断った。
「カノンは最初で最後だから売れたんでしょう。
話題性があるだけ。本当はどこにでもいる女子高生だって言ったら、誰が注目するんですか」
そう冷たく言い放っても尚、カタオカは才能があるのだと力説したが、マミの興味は
引かなかった。
もともと、どうしてもモデルになりたいという気持ちはなかったのだ。
ただ、「女子高生」という狭い世界から抜け出すための手段に過ぎなかったのだ。
写真集は、そんな「今」を閉じ込めておく方法だった。いずれは薄れてしまう想いや、
忘れたくなくても思い出さなくなってゆく何かを、確実に残す為の作業だった。
それが終わってしまうと、マミの心からそれ以上モデルを続けたいという気持ちは消えていた。
それでも人の目は目聡くて、時々以前のようにマミに声をかけてくる輩はいた。
街頭で腕を掴まれたり、肩を叩かれたりする事もしょっちゅうだった。マミはその度にかつて
ユーリがしてくれたように、馬鹿な女子高生の振りをしてしらばっくれたり、
「バイトでモデルやってた頃に事務所が同じだったけど、
あの子死んだって聞いたけど」などと大嘘をついてやったりした。
バカなゴシップ記者がそれを鵜呑みにして、
「カノン自殺説」だの「不知の病に侵された少女の最後の日々」だのという記事が、
何度か週刊誌に載った。
いずれ、何処か遠くに行くのもいいかもしれない。
そんな事を思ったら、マミの足は自然にユーリのマンションに向かっていた。
かつての「秘密基地」。
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