撮影の時から着たままだった濃いブルーのワンピースには皺が寄っていたけれど、
着替える気力もないまま、化粧だけを直して部屋を出、
エレベーターでロビーまで降りた。シノヤマキシンの鋭い目と目が合って、
思わず睨み返すと、いきなりシャッターが切られ、フラッシュで目を焼かれた。
「何するんですか、急に」
かっとなってマミが声を荒げると、シノヤマキシンは面白そうに笑った。
「何言ってるんだ。お前はモデルだろ。俺はカメラマンだ。
カメラマンがモデルの写真を撮って、何が悪いんだよ」
シノヤマキシンはにやりと笑ってそう言い、それに、と付け加えた。
「お前、先刻よりもずっといい顔してたぞ」
褒められているのだと解るまでに、少し時間がかかった。
けれど、そんな事はもう何の意味もない。ユーリが死んでしまったというのに、
こんな男に褒められたところで、マミが喜べる筈もなかった。
夕食は、バンに乗ってホテルから5分程度のところにあるコロニアル調のレストランだった。
バリ・リピーターも絶賛するという評判の店で、サテやナシゴレンの他にもマミが初めて
見るような、いかにもインドネシア的な料理がずらりとテーブルに運ばれ、ビンタンビールの瓶が
どかどかと置かれた。
マミはビールを1本掴み取ると、他のスタッフがはっとするのも無視して、
衝かれたようにごくごくと飲んだ。
カタオカは青ざめ、シノヤマキシンは面白そうにそれを眺めていた。
知るもんか。
イメージなんて、壊れてしまえ。株式相場みたいに勝手に値が釣り上ったのなら、
一気に暴落してまえばいい。そんなもの、今のあたしにはなんの意味もない。
そう心で呟きながら一気にビールを飲み干したマミに、声がかかった。
「撮るぞ」
そして、何度かのフラッシュ。
ユーリ。
遠くへ行きたいと言っていたユーリ。本当に遠くに行ってしまったユーリ。
軍資金なんていらない所へ、たったひとりで。
マミの目から涙が溢れ出た。シャッターの音が思考を麻痺させた。
そして唇がゆっくりと動いた。
「シノヤマさん。あたしの写真、撮ってください。写真集。最初で最後の。
ヘアヌードでもなんでもいい。あたし、それでモデル辞めます」
シャッターの音が止まった。
カタオカのひきつった声が、スミマセンコノコ、チョットヨッパラッテルミタイデ、と無意味に響いた。
「ちょっと、カノンちゃん?」
なんとかこの場を取り繕おうとしているカタオカの声が、マミに呼びかける。
知るもんか。ユーリは死んだ。
「俺は忙しいんだがな」
シノヤマキシンの静かな声。
知るもんか。
「親友が、死んだんです。今日。今のあたしを撮れるのは、今だけです。
・・・それとも、あたしは撮るには値しませんか」
「・・・とりあえず、今はメシだ。スケジュールは変更。滞在は3日延ばす。それでいいな」
「はい」
カタオカのうろたえきった声を無視して、マミは手近にあったサテを乱暴に取り、口に運んだ。
スパイスの強い香りが口の中に広がる。
それにつられる形で、夕食が始まった。
会話らしい会話もなく、ただ機械的にそれらを食べ、飲んだ。
或いは、マミには聞こえなかっただけかもしれない。
シャッターの音だけが聞こえた。それから、シノヤマキシンの声。
或いはプールの中で。或いはジャングルのようなところで。
トランスダンスの少女達を見つめているうちに引き込まれ、人の輪の中に飛び込んで
踊り狂いながら。
橋の上で。崖の上で。浜辺で。波打ち際に、ドレスの裾を濡らして。
「その親友は、なんて名前だった?」
「ユーリ」
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