「びっくりしたよ。泣き声がするから、幻聴かと思ったらマミが泣いてんだもん」
テーブルに皿を運びながら、おかしそうにユーリが笑った。その笑顔が妙に嬉しくて、
あたしも笑った。
温かいスープを二人で飲むと、ユーリの青白い顔にも少しだけ赤みがさした。
ユーリは「ちょっと食べるとお腹すくね」と言って2杯もスープを飲み、
飲み終えると満足そうに煙草に火をつけた。
それはもういつものユーリの仕草で、あたしは何故かまた涙が出そうになった。
「ユーリ、あたしバリ島に行くの。撮影で。一緒に行こうよ」
口をついて出た言葉は、一度言ってみると、それ以上ないくらいいいアイディアのように
感じられた。
ユーリと、熱いバリ島に行けたら。
髪に幾つもの細い三つ編みを編んでもらって、海辺の強い日差しに当たったら。
そうしたら、ゴミみたいな連中からユーリに注ぎ込まれた毒が、溶けて消えるような気がした。
バリニーズの衣装を着て、浜辺ではしゃいでまわれたら。真っ青な海やプールで、
くたくたになるまで泳げたら。
静かに微笑んでいたユーリは、しかし微笑んだまま首を横に振った。
「駄目だよ。そこに行くのはカノンなんだから。謎の美少女カノンの横に、
ジャンキーでウリやってる女子高生なんかいちゃ、駄目じゃん。
・・・マミ、あたしわかってたんだよ。
あんた、パーティーで騒いでても、本当は楽しくなかったんでしょ。
こんな所からはいつかバイバイしてやるって思ってたでしょ。
・・・あたしもそうだったから、分かるよ」
諭されるように言われ、あたしは押し黙った。
「つまんない世界だよね。でも、そこから出る方法はひとつじゃないよ。
あたしも、そろそろここを引き払おうと思ってるんだ。
・・・マミ、モデルになったって話してくれた時の事、覚えてる?
渋谷のバーで。あたしね、あの時思ったんだよ。あたしも動こうって。
別にマミにくっついてモデルやろうとは思わなかったけど、何かしようって。
・・・で、恋人と何処か、遠くに行こうと思った。ここにいたら、同じ事の繰り返しだから。
・・・あの時、多分あたし、置いてかれたような気がしてたんだと思う。先越されたって言うか
・・・ガキっぽくてヤだけど、多分、そんな感じ」
ゆったりと微笑むユーリは、病的なほどやつれたままなのに、きれいだった。
あたしはただ黙って、そんなユーリを見つめていた。
「ウリはもう辞めるよ。疲れたし」
帰りがけに、そう言ってユーリは笑った。
その笑顔が妙に眩しくて、あたしは頷いたままマンションを出た。
ここにいたら、同じ事の繰り返しだから。
何かしようって思った。動こうって思った。
そう言ったユーリは、その後も学校には来なかった。
ケンに連絡を取っても、ユーリがいなくなったのでスタッフが足りなくて困っている、とだけ
言われた。
ユーリは動き始めたのだろう。
なんとなくそんな気がして、あたしはユーリの詮索をするのをやめた。
何かしようって思った。
それは、あたしがモデルを始めたきっかけになったもの。
何をしたいのかわからなくても。何かを始めれば、変わると思った。
だから、モデルになった。
でも、今は?それで、何かが変わったのだろうか。
まだわからない。でも、きっと答えは次のバリ島で出るだろう。
そんな直感を頼りに、あたしは11月に入ってすぐの連休で、バリ島に向かった。
バリ島への撮影旅行は、結構な大所帯になった。
カタオカといつものスタッフ、それに「SPA!」のグラビアの為にシノヤマキシンとその
アシスタントと、ライターのナカモリという男が同行した。
11月だというのに、バリ島は暑くて、晴天続きだった。
先にCFの撮影が行われ、そちらは順調に終わった。
全体のイメージを聞き、商品の説明を受け、言われるままに動いていれば良かったからだ。
ただ、何カットか全く違う別のシーンを撮らなければならなかったので、着替えやメイクに時間を
取られた。
その間、名前だけは知っていたカメラマンのシノヤマキシンは、
時折あたしにカメラを向け、鋭いまなざしであたしを見ていた。
しかしその日、グラビアの撮影は散々だった。シノヤマキシンはあたしがどう動いても、
どう微笑みかけても、シャッターこそ切りはするものの「駄目だ」とか「お前、やる気あるのか」
とか言い続け、あたしはいい加減にキレそうになった。
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