「少しは休めよ、ユーリ。明日、ふたりで海に行こう」

 それは夏休みになってから幾度となく言っていた事だったのだが、土用波もいい加減

高くなってきた頃になって、ようやくユーリはその申し出に承諾した。

 「夏休み、もうすぐ終わりだなぁ」

 ユーリは狩りばかりしていた夏休みを振り返ってそう呟いた。

 「ユーリが俺にちっとも構ってくれなかったからだよ。狩りはひとまず休業。少しは休もうぜ。

海に行こう。な、ユーリ」

 コーヒーを飲みながら俺がそう言うと、ユーリは苦笑した。

 「今のシーズンじゃ、もうくらげいるね」

 「海で朝日でも見ようか」

 その提案は、ユーリを笑わせた。やつれていても、その笑顔は愛らしく、俺は少しだけ

安心した。

 「シンジ、ロマンチストだね。海で朝日だって。今時いないよ」

 「いるよ。絶対、いる」

 「バッティングしたら、やだね」

 「人のいないところに行くさ。今夜出発すれば、朝には着くよ」

 ようやく実現しそうなユーリの夏休みに嬉しくなってそう言うと、ユーリは怪訝そうな顔をして

「仕事は?」と尋ねた。店の盆休みは終わったばかりだ。

 「一日くらい、休むよ」

 「平気なの?」

 「夏風邪引いたって事にする。たまには休んだっていいじゃない。

貯金だって結構な額になってるんだしさ」

 「そろそろ、行けるかなぁ」

 そうだね、と頷きながら、俺は自分のリミットの事を考えていた。

 潜伏期間があるというHIV。俺が感染したのはいつなのか、自分でもまだわからない。

いずれちゃんとした検査を受けなければいけないとは思っていたのだが、

盆休みの間も契約愛人の相手で忙しかったのと、やはり少しばかりの恐れがあって、

まだ病院には行っていないのだ。

 ユーリの夢を叶えてやる時間は、俺にはあるだろうか。

 或いは、ないのかもしれない。だからこそ、海に行きたがっているのかもしれない。

 そんな思いを無理やり打ち消して、俺はコーヒーの残りを飲み干した。

 「今夜、出よう。店は休む。朝には海だよ、ユーリ」

 裏道を通ったせいもあって、道は比較的空いていた。

 サイドシートでは、ユーリが瞳を輝かせて流れていく都会の街並みを見つめている。

 「水着、一応持ってきたけど、多分泳げないからいらないね」

 そう言うユーリの笑顔は、16歳のあどけなさをたたえている。そんな顔を見つめている限りは、

とても7人も契約愛人がいる職業「女子高生」とは思えない。

 俺がつけているカーステレオを無視して、先刻からユーリは鼻歌を歌っている。

ささやくような小さな声で。ステレオを消してゆっくりと聞きたいところだけれど、

運転をしながらユーリの鼻歌を聴いていると、そのままその心地よさに眠ってしまいそうで、

出来ない。


 「ユーリ。海についたら、あれ歌ってよ」

 「何?」

 「『あれはね』」


 そう言うと、ユーリは「今うたってたのに」と微笑んだ。

その笑顔は、コーヒーよりも強いエネルギーを俺に注いでくれる。

 都心を抜けて東名高速に乗ると、手に入れたばかりのベンツは、

そのパワーを満遍なく発揮して、他のどの車よりも早く道を滑った。

 このまま、行ければいい。リミットが追いつかないところまで。

 ユーリと二人で、何も届かないところまで。


 「乗り心地いいね、この車」

 「買わせるの、結構大変だったんだよ。・・・この車で、行こうか。そのうち」

 「海外だったら?船にでも積むの?」

 「そうだなぁ・・・。ま、いざとなったら売り飛ばして、向こうで買うさ」

 俺がそう答えると、ユーリは少しだけ眉を曇らせた。



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