2021年 1年半ぶりの東北縄文遺跡の旅 2021/08/下旬

旅を計画する

ワクチンを打ち終わる

 五月晴れの朝、マイコンピューターを前に9時の時報を今か今かと待っている。時報とともにコンピューターの更新ボタンを必死にクリックする。コンピューターが古いのか、使っているEONETが遅いのか更新ボタンを繰り返しクリックするも何の反応もない。悪戦苦闘すること約5分ようやく目的のワクチン予約サイトに入ることができた。目指す集団接種会場は中京区役所、ここが一番近く人数も多く予約が取れると事前に決めていた。予約を目指して、未だ初日に空きがあると表示がありクリックを重ね、最後の確定予約ボタンをクリックするが時既に遅く満杯表示が出て予約に失敗。また始めからの操作の繰り返しである。最初の週はどの会場も予約済みの表示に変わっている、第一週での予約をあきらめ、2週目の土曜日に予約を試みどうにかゲットすることができた。予約を試みて約5分経過している。啓子さんのコンピューターは未だサイトに届かない。啓子さんに変わってサイトへの更新を試みようやくサイトに届くも、既に中京区役所はどの日も空きがない。いくつか空きのあるとことを目指して予約クリックを重ねるが、最後の予約確定のクリックに反応がない、結局数度試みている間に全ての会場が予約満杯となってしまった。こんな顛末をへて集団接種に予約をし、ようやくワクチンにたどり着いた。6月27日無事2回目のワクチン注射にたどり着いた。ちなみに啓子さんは通院している病院でのワクチンで決着したが、私より約3週間遅れとなったがこちらもなんとか無事終了にこぎ着けた。

旅の計画

 コロナウイルスによるパンデミックから2年、こんな騒動を経てようやくちょっと安心できる環境ができてきた。コロナにかかるリスクの低減、重症化の軽減、何よりもかかってきても家族を巻き添えにするリスクの軽減である。啓子さんは難病に指定されているサルコイドウシスを患っているから、ワクチン未接種ではコロナ感染即重病化となってしまう訳である。 このパンデミックからの2年間はコロナ感染リスクから外出は買い物と散歩に限られてきた。 旅行はもとより外食さえほとんどしなかった。唯一の楽しみはひたすらマスクをつけての一万歩の散歩であった。 それがようやくワクチン接種で少しだがリスク緩和が出来たのであった。ワクチン接種から抗体ができるまで数週間、 8月には自粛生活も多少の解禁にこぎ着けそうであった。

丁度夏休みの季節、青春18の季節である。

 青春18切符はご存知の通り、JRなら朝から晩まで乗ってもこの切符一枚で乗り放題である。山形へ行くか、北海道へ行くか、旅を計画し始めると夢は広がっていく。飛行機に乗って北海道に飛び、18切符でのんびり一周などと空想してみた。 第一の候補は旭川7日の連泊で富良野や留萌に行くことを考える。比較的安い旅行チケットはあるが、ホテルの朝飯がない。富良野や、留萌ときて、動物園しか思いつかない。層雲峡や大雪山はバスである。一カ所に止まって放射状に旅するには今ひとつ目玉がない。やはり留萌に止まり、遠軽にとまり、北見に旅である。しかし未だコロナの具合もはっきりしていないし、何よりも飛行機の手配が決定的に遅い。今年は断念するしかなかった。 それなら山形は羽黒山の登山はと考えた。列車は朝5時20分二条発に乗車して、京都発米原行きにのり、米原発豊岡行き快速に乗り、名古屋から多治見、中津川、松本、長野と乗り換えて、途中しなの鉄道を経由して長岡、新潟、村上までたどり着ける。村上から鶴岡を経て、羽黒山の休暇村に泊まって登山をする。この計画はここ何年か何回も考えてきた。それならなぜ今年は実現できなかったのか、これもコロナのせいである。GO TO トラベルとかで、中止になっているのに、休暇村の宿泊費がやたらに高いのである。3泊で6万円近くになっている。各地でのGO  TO トラベルもあって、リーズナブルな宿泊プランがなくなっていた。この数年暖めてきた休暇村の宿泊をあきらめてのビジネスホテルからの羽黒山登山は何だかばかばかしく思えたのである。 ならばこのまま北海道に向かって進のは?と考えた。翌日には北海道上陸、そして北海道縦断、3日かけての帰宅?とてもそんな元気はない。空想中に断念である。  

飛行機での旅を決断

   一転東北旅行をJR線東海道線でと思いつく、どこまで行けるか上記の列車で、豊岡、熱海、宇都宮、福島、仙台に23時20分着か、上野、水戸、いわき、仙台23時15分着での東北旅行も考えた。 この計画でも難点はやはり帰路である。どうにも帰路を同じコースで帰るのは絶えられない。何しろ仙台から盛岡のコースは何度もこの18で行き来している。何よりもコロナ前の旅行が気仙沼から宮古をへて岩手網張り温泉休暇村と廻ったばかりであった。 こんな訳で数日かけて時刻表とにらめっこした結果、飛行機を使う決断をした。JAL便で花巻から旅を初めて、青森から帰ることにする。スカイマークでの仙台往復ではどうも新味がない。もちろん旅費は倍ほどかかるが、未だコロナもあって比較的安く予約ができた。

旅の目的は?


 実のところ旅を計画していて、今回の旅の中心テーマを何にするかが計画の鍵であった。羽黒山登山、廃線前のJR乗車、岬巡り、 見知らぬ街の訪問など様々思い起こすが今一番これというものがない。未だ乗ったことのないJR線乗車をまずテーマに考え、 そこに何かをプラスするという思考をたどってみた。花輪線は未だ乗車したことのないJR線であった。鹿角花輪という駅があり、 街の観光協会にアクセスすると、史跡尾去沢鉱山、大湯環状列石を発見しテーマを決定する。縄文遺跡訪問を軸に街を訪れることに した。大湯環状列石、亀ヶ岡石器時代遺跡、大森勝山遺跡を歩いて訪ねることに。遮光型土偶の駅木造も忘れず訪ねる。さらに国宝 合掌土偶の是川縄文館も訪れるようにした。竜飛への津軽線の途中、大平に東北いや日本最古級の縄文遺跡、大平山元遺跡がありここも立ち寄ることにする。  この遺跡巡りに、竜飛岬、五能線乗車、弘前城を加えた旅行と決めて宿の手配や飛行機の予約にこぎ着けたのである。本当は下北半島、 大湊線乗車も念願の夢ではあるが、今回はあきらめた。下北には10年ほどまえ、函館からフェリーに乗り大間から一泊二日の下北 一周観光バス旅行をしている。今回の旅で大湊線の往復だけに時間はとれなかった。  

第1日目 鹿角花輪

 朝の8時35分花巻空港に降り立った。リムジンバスで花巻空港駅へ行き、連絡しているJR電車で盛岡に向かう。盛岡からはIGRいわて 銀河鉄道で渋民で一旦下車し石川啄木の「石を持って追われし」渋民を散策、次の電車で好摩着く。 ここから再度JR線花輪線に乗換鹿角花輪を目指す。午後2時半ごろには到着し、駅前案内所の方に今日明日のバスや道順などを聞き、 残った時間を市内見学当てた。花輪城趾、民俗資料館、案内所推薦の国登録有形文化財旧関膳酒店を2時間ほどかけてぶらぶら歩い て訪問した。暑い盛りの時間であったので、大量の汗をかきながらの花輪のまち巡りである。江戸から昭和にかけて、 金銀銅の産出で大いに賑わった街であることが判った。

第2日目 大湯環状列石と尾去沢鉱山


 まずは大湯環状列石を訪れる。説明によると「特別史跡大湯環状列石は、野中堂、万座に所在する2つの環状列石を主体とする大規模な縄文後期(約4000年前)の遺跡です。2つの環状列石は、川原石を様々に 組み合わせた配石遺構を二重の環状に配置した構造となっています。環状列石の最大径は、野中堂環状列石が44m、万座環状列石が52mで、それぞれの中心の石と「日時計状組石」と呼ばれる特殊な形状の組石が一直線に並ぶ位置関係にあります。」 史跡横には大湯ストーンサークル館があり、縄文文化や環状列石について説明されていた。ここの縄文工房では土器作り、手形作り、ペンダント作りが体験できぬのであるが、おりしものコロナの関係で全て中止中断している。 バスの関係で、2時間ほど滞在したあと、鹿角花輪駅に、鹿角花輪からはバスは無くタクシーで近代化産業遺産認定史跡尾去沢鉱山に向かい、午後11時過ぎには到着する。ここは日本最大規模の銅鉱脈群採掘跡が残る鉱山である。鉱山内約1.7Kmを見学できる。鉱山内は20度前後の寒さで、上着2枚を重ね着して歩いた。尾去沢鉱山の歴史は古く、奈良時代に金鉱?が発見され大仏のメッキに使われたのが始まりと説明されていた。見学坑道内は、古くは金が採掘されていた江戸時代の堀跡から、昭和に掘られた銅鉱脈跡まで数多くの設備や坑道を見学することが出来た。見て回れるところは2キロ足らずであるが、江戸時代から掘られた坑道は総延長で800キロにも及ぶとか、それでもいまなお銅鉱脈が残されているという。2時間ほど構内の探索を楽しんだ。 帰路、鹿角花輪駅までのやく5Kmを歩いて下った。

第3日目 五能線と木造駅


 今日は五能線の旅である。朝ホテル鹿角から十和田南駅に送っていただいた。大館で特急に乗換東能代に向かう。東能代から五能線弘前行に乗車する。既に海側の特等席は埋まっていた。目指したのは深浦である。深浦が最高という人を知っており、一度は下車しなくてはと思いまずは深浦で下車する。次の列車まで1時間強しかないので、一番近い観光名所大岩を目指した。ここからは深浦港を一望でき、さらに五能線を走る鉄道も見ることが出来た。 続いて、千畳敷に下車する。地震で隆起したという千畳敷の奇岩を見て回った。 最後は木造である。亀ヶ岡より出現した重要文化財の遮光器型土偶愛称「シャコちゃん」を模した巨大オブジェの写真撮りである。列車の到着に合わせて、シャコちゃんの目から光線が発せられる。7色の光線で、発光も数パターンあるという。駅員さんがわざわざ全パターンを私の写真のために再現してくれた。次の駅五所川原にて本日の行程は終了とした。

第4日目 亀ヶ岡石器時代遺跡


 本日は亀ヶ岡石器時代遺跡と田小屋野貝塚、つがる市木造亀ヶ岡考古資料室を見て回る予定である。ここも一日数本のバスがあるだけで、五所川原駅前9時45分発で亀ヶ岡まで約1時間かかる。帰りは15時24分発のバスに乗る以外帰る方法がない。あいにくの雨模様である。まずは亀ヶ岡石器時代遺跡を見て回る。小高い丘にぽつんと看板があるだけで、いま発掘中という感で、再現されたものなど何も無い。1キロほど離れた田小屋野貝塚も同じである。シャコちゃん像のあるシャコちゃん公園にはトイレと東屋がある。ひと休憩して公園から数キロ離れたつがる市木造亀ヶ岡資料館を目指す。それはこぢんまりした公民館のような建物である。一室が展示室になっている。最大の売り物であるシャコちゃんは東京の博物館に捕られているので、ここに展示されているのはこの亀ヶ岡から出土した土偶や土器や鉄器である。大型遮光器型土偶とは行かないが、よく見ると見応えのある土偶や鉄器土器の展示である。なぜなら亀ヶ岡と江戸時代には呼ばれていた地なので、シャコちゃんのような大型土偶はともかく土偶や鉄器や土器は豊富で姿形も様々である。ほとんど個人所有のものとか、長い間に畑から出てきたもののようである。亀ヶ岡と呼ぶのは、あちこちから次々と甕が出てくるので、江戸時代に甕ヶ岡が亀ヶ岡となったとのことである。世界遺産登録を機に再発掘調査や、周辺整備によってシャコちゃんを超える遮光器型土偶の出現もありそうに感じた。

第5日目 津軽線、大平山元遺跡、竜飛岬

 津軽線全線乗車と大平山元遺跡、竜飛岬に立つがこの日の目標である。五所川原→川部→青森→蟹田と乗り継ぎ大平には11:53に到着した。大山ふるさと資料館をおとずれ、展示された土偶を拝見する。ここもちょっとした公民館という感であるが、実は廃校になった大山小学校を利用した資料館だそうである。ここでも鉄器から土偶まで見応えのある展示がされていた。一目で遮光器型土偶とわかるが、残念ながら顔がないものとか、少し小さめのシャコちゃん型とかが展示されていてじっと見入ってしまった。ここは日本でも最古級の縄文遺跡である。1万4000年前に縄文人が暮らしていたのである。縄文草創期と分類されるらしい。なお大平山元遺跡も未だ看板が立っているだけで未整備の丘であった。大平駅にはトイレもなく列車を待つのも不自由なので、数時間に1本しかない列車を待つため蟹田に戻り次の三厩行を待って竜飛を目指した。

 三時過ぎに三厩について、町営バスに乗って竜飛岬を目指した。バスは宿泊予定のホテル竜飛に横付けされる。まずはチェックインして、身軽になって竜飛岬を巡った。ここの売りは風の竜飛岬と、燈台からの北海道である。それと全国で唯一の階段国道である。れっきとした国道399号線でありながら、階段であるから車は通れないのである。標高差実に80m往復に30分近くかかる。汗をかきかき階段国道に挑戦した。階段村道まであり、竜飛岬の最先端と燈台に立つことが出来た。北海道はもちろんのこと、下北半島の仏ヶ浦などが見渡せる絶景の場所である。大間に続いて、竜飛に発つことが出来最高の気分を満喫できた。なお蛇足ながら、ホテル竜飛の真下を新幹線がと通っているとか、通過の折にはホテルの床が光るように出来ていた。

第6日目 八戸 是川縄文館と国宝合掌土偶



 ホテル竜飛の送迎バスで青森駅に出る。9時40分予定より10分早く青森駅に到着した。9時46分発八戸行きに間に合いそうである。バスからホームまで5分間全力でダッシュする。若ければ何でもない距離だがいまの私にはなかなかきつい、2階エスカレータ乗り場への階段ダッシュ、エスカレータ内を小走りし、駅構内を小走りで移動し、ホームへの階段を走り降りるのである。6分の時間は結構長くおかげで予定より2時間早い列車に乗ることが出来た。 八戸には予定より早く着いたが、是川縄文館へのバスは本八戸からしか出ていない。しかもバスの出る中心街まで20分ほどかかる。結局バス停に着いたのは13時前である。バス時刻表を見ると是川縄文館行は14時過ぎにしかない。周りの人に聞き、目的地に近い是川団地行のバスに乗って、そこから歩くことにした。是川団地に到着したら、丁度縄文館経由のバスが出発するところで、バス停から離れていたが強引に乗せていただき13時20分頃到着した。次のバスは14時50分発で、これに乗らないと今日中に弘前に到着できない。滞在可能時間は1時間20分である。 1時間余の余裕しかない中で、特別展、常設展、そして国宝合掌土偶を見て回った。土偶を中心に写真を撮り解説に見入ってきた。しかし時間の関係で、是川遺跡については見ることが出来なかった。ここからは、合掌土偶はもちろん亀ヶ岡の中心土偶の遮光型土偶も多数出ていることを知った。国宝に重要文化財の土偶が見放題で大いに感動した。すごく労力のいった八戸是川縄文館の訪問であったが疲れた価値があったと十分な満足感に浸れた。合掌土偶であるが、思っていたより透明度があってどちらかというと陶器に近い焼き上がりであったのが印象的であった。もっとも遮光器土偶も黒光りしてこれも現代の焼き物に通じるような完成度を感じる。1万有余年の間の土偶の進化は目を見張るものがあり人間の営みと芸術・文化力を感じた。 バスに乗ること1時間30分中心街で乗換ようやく八戸駅へ、16時24分発青森行列車に乗り、青森で弘前行きにのり継いで19時10分弘前駅にたどり着いた。

第7日目 弘前城 大森勝山遺跡


 いよいよ最後の日である。駅前の案内所で大森勝山遺跡への行き方を再確認する。事前に調べたとおり10時55分が鰺ヶ沢方面へ行く始発である。未だ2時間近くあるので弘前城見学を進められる。しかもお城近くからバスに乗れるとのこと、早速100円バスに乗って城に向かった。城のあらゆる処からつがる富士がきれいに見えるのが印象的である。小さな天守閣があるだけであったが、街の中心になっていることがよくわかった。一帯が桜に包まれる様子が目に浮かんだように思える。 11時10分城近くの文化センター前からバスに乗り、裾野中学前に向かう。ここには大森勝山遺跡からの出土品が展示されている。余り時間がないのでここをそこそこに大石神社登山口へ向かう。約20分でバス停に着く時間は12時をすぎている。ここが帰りのバス停で、13時59分発弘前行きに乗らねばならない。次のバスは17時台であるからこれを逃すと空港にたどり着くことが出来ない。バス停から遺跡まで、標準時間徒歩50分とあり往復で1時間40分かかるのである。早足で猛烈に歩くこと35分で大森勝山遺跡に着く。一通り 遺跡を見て回り、休憩をかねて昼食にする。今日の昼もまたパンとヨーグルトである。食べれば力が付くと言い聞かせて腹を満たし、体を休めた。ここは環状列石であるが、未だ整備中であった。復元された環状列石に立つことが出来たが、復元ざれたいわばレプリカであり、さらに復元がリアルに判るようになっていたので少しがっかりした。もちろん埋め戻した野原が良いわけではない。これからさらに整備されればきっと訪れ甲斐のある遺跡となるのであろう。 現地滞在30分帰りのバスに間に合うようまた全力で歩いた。帰りは下りになるので少し楽ではあったが、色とりどりにたわわに熟したリンゴ並木を散歩するなどという気分ではない。久々に「リンゴの並木を……」と思いつつバス停に向かった。おかげで10分前にはバス停に着くことが出来たがバス停前の道路鹵石にへたり込んでしまった。 15時15分発青森空港行バスに乗って帰路についた。なお宿泊した弘前駅前の東横インには朝より荷物を預かっていただきさらに着替えもさして頂いた。感謝感謝です。

コロナがさらに爆発

 計画時点ではオリンピックも終わり、未だ夏で青春18切符も使え、第3波の感染が落ち着くだろうとの見込みでワクチンも終了したので……と航空券を予約した。既にカード払いの請求支払も終わっている。中止には余りに代償が多いので、人混みに行くのではないと言い聞かせて旅に出ることにした。予想通り人混みには無縁で、唯一八戸でのバスや、汽車が混んでいた。言い訳になるがご免なさいの旅でした。残った青春18切符で中国山地を旅する計画は中止とした。 また旅に出られると良いのにと思っています。

            
  記  72歳     2021年9月吉日

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