コロナウイルスによるパンデミックから2年、こんな騒動を経てようやくちょっと安心できる環境ができてきた。コロナにかかるリスクの低減、重症化の軽減、何よりもかかってきても家族を巻き添えにするリスクの軽減である。啓子さんは難病に指定されているサルコイドウシスを患っているから、ワクチン未接種ではコロナ感染即重病化となってしまう訳である。
このパンデミックからの2年間はコロナ感染リスクから外出は買い物と散歩に限られてきた。
旅行はもとより外食さえほとんどしなかった。唯一の楽しみはひたすらマスクをつけての一万歩の散歩であった。
それがようやくワクチン接種で少しだがリスク緩和が出来たのであった。ワクチン接種から抗体ができるまで数週間、
8月には自粛生活も多少の解禁にこぎ着けそうであった。
青春18切符はご存知の通り、JRなら朝から晩まで乗ってもこの切符一枚で乗り放題である。山形へ行くか、北海道へ行くか、旅を計画し始めると夢は広がっていく。飛行機に乗って北海道に飛び、18切符でのんびり一周などと空想してみた。
第一の候補は旭川7日の連泊で富良野や留萌に行くことを考える。比較的安い旅行チケットはあるが、ホテルの朝飯がない。富良野や、留萌ときて、動物園しか思いつかない。層雲峡や大雪山はバスである。一カ所に止まって放射状に旅するには今ひとつ目玉がない。やはり留萌に止まり、遠軽にとまり、北見に旅である。しかし未だコロナの具合もはっきりしていないし、何よりも飛行機の手配が決定的に遅い。今年は断念するしかなかった。
それなら山形は羽黒山の登山はと考えた。列車は朝5時20分二条発に乗車して、京都発米原行きにのり、米原発豊岡行き快速に乗り、名古屋から多治見、中津川、松本、長野と乗り換えて、途中しなの鉄道を経由して長岡、新潟、村上までたどり着ける。村上から鶴岡を経て、羽黒山の休暇村に泊まって登山をする。この計画はここ何年か何回も考えてきた。それならなぜ今年は実現できなかったのか、これもコロナのせいである。GO TO トラベルとかで、中止になっているのに、休暇村の宿泊費がやたらに高いのである。3泊で6万円近くになっている。各地でのGO TO トラベルもあって、リーズナブルな宿泊プランがなくなっていた。この数年暖めてきた休暇村の宿泊をあきらめてのビジネスホテルからの羽黒山登山は何だかばかばかしく思えたのである。
ならばこのまま北海道に向かって進のは?と考えた。翌日には北海道上陸、そして北海道縦断、3日かけての帰宅?とてもそんな元気はない。空想中に断念である。
一転東北旅行をJR線東海道線でと思いつく、どこまで行けるか上記の列車で、豊岡、熱海、宇都宮、福島、仙台に23時20分着か、上野、水戸、いわき、仙台23時15分着での東北旅行も考えた。
この計画でも難点はやはり帰路である。どうにも帰路を同じコースで帰るのは絶えられない。何しろ仙台から盛岡のコースは何度もこの18で行き来している。何よりもコロナ前の旅行が気仙沼から宮古をへて岩手網張り温泉休暇村と廻ったばかりであった。
こんな訳で数日かけて時刻表とにらめっこした結果、飛行機を使う決断をした。JAL便で花巻から旅を初めて、青森から帰ることにする。スカイマークでの仙台往復ではどうも新味がない。もちろん旅費は倍ほどかかるが、未だコロナもあって比較的安く予約ができた。



津軽線全線乗車と大平山元遺跡、竜飛岬に立つがこの日の目標である。五所川原→川部→青森→蟹田と乗り継ぎ大平には11:53に到着した。大山ふるさと資料館をおとずれ、展示された土偶を拝見する。ここもちょっとした公民館という感であるが、実は廃校になった大山小学校を利用した資料館だそうである。ここでも鉄器から土偶まで見応えのある展示がされていた。一目で遮光器型土偶とわかるが、残念ながら顔がないものとか、少し小さめのシャコちゃん型とかが展示されていてじっと見入ってしまった。ここは日本でも最古級の縄文遺跡である。1万4000年前に縄文人が暮らしていたのである。縄文草創期と分類されるらしい。なお大平山元遺跡も未だ看板が立っているだけで未整備の丘であった。大平駅にはトイレもなく列車を待つのも不自由なので、数時間に1本しかない列車を待つため蟹田に戻り次の三厩行を待って竜飛を目指した。

