2012年春徳山人間魚雷回天の島と岩国基地を訪ねるたび
第一日目 徳山市内と光海岸を訪れる
新幹線で徳山市へ向かう
第一日目は比較的遅く出発した。新幹線のぞみで徳山に止まる列車が極端に限られるからである。
のぞみ11号に乗ったのであるが、この直通以外だと時間ばかりかかるのである。
なにしろ新幹線徳山口には食堂も無いのである。一日何本の新幹線が止まるのだろうか?
特急券代をけちってJ-WESTカードe5489を始めて使った。パソコンから座席が取れて、かつ安くなるので便利である。残念なことに京都出発で新幹線利用の場合、
大阪まではJR東海との事情でか?まったく安くならないのである。仕方ないので今回は時間もあるので新大阪までは在来線にした。
それとダイヤの改正があり、光レールスターが無くなってしまった。ゆったりした座席で乗り心地は満点であったのだが、どうもさくらに変わってしまったようである。
のぞみは窮屈で大変と思っていたら、案の定新大阪からの隣人は小生と同じような高年のおっさんで、肘掛を独占し、小生の体にあたってもどけようとしない
無頼の徒であった。気分が悪いので気まずくなるのも無視して小生に触らないよう抗議する。
降りる時席を横切ったのであるが、むっとした顔をしている。ゆったり自由に気ままに独占したいのなら、それはもうグリーン車にでも行ってもらわなければ解決しない。
小生とあなたは同じ料金で乗っているのだからお互い譲り合いしかないではないか。たまにこうした上から目線の人と相席になるが、これも旅の出来事として我慢である。
もっとも新幹線は昔と違ってやたらと早い。新大阪から徳山まで2時間弱で到着である。ちょっと我慢の新幹線であった。
後日時刻表で調べた結果、さくらやみずほはレールスタート同じ2列席が多数のようである。西日本へのたびはゆったりの新幹線で計画がお勧めです。
企業城下町徳山
徳山駅に降り立ってまず気がついたのは、独特の臭いである。コンビナートの煙突から吐き出される煤煙の関係であろうか、ちょっと化学臭のする臭いである。
しばらくすると気にならなくなるが、きっと一日中、いや一年中漂っているのだろうと思った。徳山は徳山ソーダの城下町である。工場あっての町の持つ宿命なのかもしれない。
ちょうどお昼に徳山に到着であった。お腹もすいたので食堂を探すが日曜日とあって開いている店も無い状態でった。
とりあえず町をぶらついて開いている店を探す。動物園に近い国道付近で何とか開いているお店を見つけご飯を食べる。
徳山藩史跡鐘楼跡の前にある、和食の店鐘楼亭でさしみ定食をいただく。なぜかさしみ定食なのに、肉のうま味のようなおかずがついていた。
お腹も満腹になり、徳山の歴史を学ぶべく、徳山美術博物館を訪れた。あまり印象に残るものは正直なかった。
ただ徳山ソーダの創設者が岩井勝次郎という京都は亀岡の出身の方と分かりびっくりした。
その後は翌日の大津島、人間魚雷の回天が開発され特攻兵士が訓練を繰り返した軍島、回天記念館を訪れるための船の下調べをかねて徳山港へ向かう。
大津島巡航という船会社のフェリーがある。一日9便、時間にして40分である。直行便なら18分でつく。徳山港について驚いたのは、
ここから国東半島へのフェリーの定期便が出ていることである。
どうも地理に詳しくないのでピンとこないのだが、九州国東半島が目の前にあるらしい。調べてみると、周防灘フェリーが一日5便もある。しかもわずか2時間でつくというのである。
徳山港周辺にはこのフェリー乗り場以外、魚市場しかなくしかも当然休みなので何も見るものは無く、宿のある光市に向かうことにした。
光海岸を訪れる
徳山から光へはわづか15分程度である。山陽本線は複線化され一時間に数本の列車が走り交通は至便である。
今日の宿は光市にあるかんぽの宿光である。JR光駅からバスで約30分のところにある。
室積公園行きのJRバスはたくさん出ているのだが、かんぽの宿へは周防バスが便利である。この時間にまだ余裕があったので目の前にある光海岸を訪れた。
海はいつ見ても気持ちが良いものである。穏やかな波が打ちつける瀬戸内の海岸は何かの映画に出てくるような砂浜である。沖に一隻の大型船が浮かんでいるだけで、後は何も無い海が広がっている。
砂浜では子供ずれの家族が潮干狩りでもしているのだろう。きらきら光る太陽にその姿が見え隠れする。日常を忘れる一瞬の感動がよぎる。
その様なたびの醍醐味を味あわせてくれた砂浜であった。
光市であるが、新日鉄住金ステンレス鰍ニいう大きなコンビナート工場があった。また武田薬品の工場もあるという。戦前には軍港があり、ここからも回天の出陣があった。
伊藤博文の出身地とか、そのような関係で平成の大合併をせずに独自の市として存続しているのかと思う。想像をたくましくすると、維新以来のインフラと軍港・軍都の遺産で
市としての機能を十分維持できる産業基盤があると考える。
かんぽの宿で温泉三昧
光駅より周防バスに乗り、かんぽの宿前で降りると、高台にホテルが見える。海岸から高台のホテルまで約15分の坂道を登ると着く。結構坂道がきつく感じられる。
駐車場は車で満杯である。日曜日の夜にもかかわらず多くの人が泊まっている。景気が悪い悪いといいつつも、節約疲れなのか、安近短のレジャーは大流行である。
小生は楽天で、ビジネス一泊二食付プラン8500円のコースを連泊で予約した。周りの人の食事は小生のコースとは大違いで、
ふぐやあわびが出ていた。安近短も小生とはちょっと格が違うようである。
それはともかく、まずはホテルに入って温泉に直行する。アルカリ泉の単純鉱ではあるが、眺めは抜群である。目の前の室積と象鼻ヶ岬が一望できる。残念ながら夕日は海に沈ます、
下松の陸地に沈んだが、季節によっては抜群の夕日も見れるのではと思った。部屋からの眺めも同じ海が一望できる。すべての部屋がいわゆるオーシャンビューになっている。
小生のように車ではない旅人にはちょっと不便といえば不便なのだが、ビジネスホテルには無い公共の宿としてのメリットがある。
大浴場があり、場合によっては天然温泉である。
一人でも宿泊でき、比較的安く二食付きである。部屋の設備も立派である。泊まった宿のトイレももちろんウォッシュレットである。
第二日目 光市の港町室積と徳山市回天の島を訪ねる
西日本屈指の自然公園室積公園を散策
今日も昨日同様好天の朝を迎える。朝まずは温泉に入る。室積の港町が眼下に輝いている。午前中はまずここへ行こうと決心する。
7時15分からの朝食に時間ちょうどに行くとすでに食堂は満杯である。改めて宿泊者の多いのに感心する。
朝食はいわゆるバイキング方式である。ビジネスマンの定番トマトジュースまで準備されている。
和洋食ともなかなか立派な朝食である。野菜ものと魚を中心に腹いっぱいいただいた。満足満足の朝食でした。
ホテルを8時前には出てすぐ前にほろがる室積の港町の散策を開始する。ちなみに室積公園は瀬戸内海国立公園にあって、西日本屈指の自然海岸を有している。
また室積は江戸から明治にかけ、北前舟の寄港地として栄えた土地である。かっての風情を漂わした港町である。
歩いて10分ぐらいで最初の史跡みたらい灯籠堂につく。
元禄15年(1702)室積浦の年寄役であった松村亀松が、父の次郎左衛門の遺志を継ぎ建設したものです。山口県内の灯台では最古、国内でも24番目に古いもの。と解説にあった。
そこから室積公園の最先端、象鼻ヶ岬(ぞうびがさき)へむかう。途中山口大学教育学部付属の小中学校があり、
運動クラブの生徒が室積公園内をマラソンをしていて、すれ違うたびに大きな声で挨拶をしてくるのが気持ちよかった。
さらに、ご近所の老夫婦らが象鼻ヶ岬までのウォーキングをしているようで、柴刈と洗濯ではなく仲良く散歩の高齢社会を垣間見ました。
小生は最先端の室積台場で休憩のあと、峨嵋山の頂上を極めました。もっとも標高は100m強ですから1時間ぐらいの山歩きである。頂上からは遠くは国東半島まで見渡せるとのこと。
お昼前には室積公園前からバスに乗って今日のメイン、大津島に向かうことにしました。
人間魚雷回天の島大津島を訪れる
徳山港からフェリーに乗って大津島に向かう。大津島には人間魚雷回天の訓練出撃基地があった。回天記念会館や魚雷発射試験場等があり戦争の惨さをそのまま残している。
解説によると
大津島にある「人間魚雷」回天の訓練基地は、全国に4箇所あった基地のうち最初に開設され、かつ当時の施設が現在も残っている唯一のものです。訓練基地の前身は、1937(昭和
12)年に開設された呉海軍工廠の魚雷発射試験施設で、当時日本海軍が世界に誇った高性能魚雷である九三式酸素魚雷の試験が行われました。
その後、九三式酸素魚雷を推進装置として使用した「回天」の誕生とともに、訓練基地隊1944年9月1日に開隊し、5日より訓練を開始。
平和を祈念して建設維持されてると書かれてはいるものの、二度と繰り返すな戦争はにはほど遠い印象を持つ。今わ訪れる人も少ない施設であるが、
戦争賛歌のために人が集まるような時代が来ないことを改めて祈念する。
もっとも特攻隊とか特攻精神などと祭り上げて、人の命をないがしろにしてきた戦前の思想。
日本帝国の思想、これでは戦に勝てないことを再確認した。
第三日目 基地の町岩国を訪ねる
ひたすら米軍基地を目指して歩く
JR岩国駅に降り立って観光案内所で地図をもらうと、河を渡ると自衛隊米軍岩国基地があると分かった。
早速基地を目指して歩き始める。駅前の国道188号線を今津川に向かって歩く。10分ほどで今津川の大きな橋につく。
橋を渡りきった先に交差点があり左に曲がると基地があるとかかれている。
交差点を左折し、山陽本線の地下道を通り抜けると遼向こうに基地が見えてくる。行きかう車は無く人も歩いていない。
ただ前方に大きな空間広がり、いくつかのアンテナや、警戒するヘリなどが見え確かに軍事基地だとわかる。また右前方には建屋が見え基地入り口方向が確認できる。道路の前方と右方向は基地である。一方道路の左側は、普通の民家が立ち並んだ住宅街である。
前方の基地の塀にめぐらされたバラ線を眺めていたとき、静寂を破る轟音がとどろいた。何事かと見ると戦闘機が2機前方上空を上昇するところが見えた。地図によると、基地は海辺まである。
どの程度の広さか歩いて検証する。今津川沿いの道路を海に向かって歩き続ける。人どころか車もまったく通らない。基地と川に挟まれた道路はまっすぐに海の方向に向かっている。
途中基地に若干入るような形で下水道処理場があった以外、基地の壁が続くのである。ひたすら歩くこと1時間強、ようやく突き当りまで到着する。そこは滑走路の前面になるところである。
驚いたことにそこには10数人の人と車が止まっているのである。どの人もカメラと無線機を持っている。聞いてみると訓練で出撃する戦闘機の写真を写しに来ているのである。
今日は7機すでに飛び立ったとのこと。話をしてくれた青年は東京から休暇を取って昨日より写真を撮っているとのこと。歩くと遠くてびっくりした。小生も歩いてきたのを知って大変だったでしょうなどと声をかけてくれる。
基地を見に来た小生もそうだが世の中にはいろいろな人がいることを改めて確認した。
しばらくいて戦闘機の離陸を写真に取ることができたので小生は早々とそこを離れた。
轟音とどろかす戦闘機

徳山は独特の化学臭のする町であったが、ひと言で言えば岩国は轟音の轟く町である。戦闘機の飛び立つときの音はすさまじい轟音である。駅のホームにいても戦闘機の発進するのが分かる。
ただ町は活気がるように思えた。徳山市や光市が寂れた地方都市そのものに対して、岩国は地方の中核都市といった感がある町並みである。
行きかう車も多く、なんとなく町らしい町と思えた。
基地と観光の二本立てで成立している町、それが岩国なのだと感じた。
ちょっと話は前後するが、そもそも今回岩国基地を訪ねるきっかけは、数年前に錦帯橋を観光したときに、
岩国城のある岩国山頂上から海を眺めたときに大きな基地と多数の戦闘機が見えたことである。観光気分に浸って頂上にある望遠鏡で海を眺めていたときに、
突然多数の戦闘機が立ち並んでいるのが目に飛び込んできたのであるからそれはもうびっくりしたのである。
東京の米軍基地横田や、沖縄の嘉手納基地など大きな米軍基地はある程度知ってはいたが、岩国錦帯橋観光での印象はまた別の意味での強烈なものがあった。日常生活と交差していなかった基地が、
突然飛び出してきたのである。回天の島の後に軍都岩国と広島を選んだのにはそんな訳があった。
そういっても岩国基地があまりにも遠く、歩き疲れたので、広島は今回パスした。もみじ饅頭を購入するにとどめて早々と新幹線に乗車した。
広島から一路新幹線のぞみに乗って帰路に着いた。2時間強で京都の自宅につくことができた。
記 2012年4月吉日