雲仙・島原へは熊本からフェリーで行く


眉山に守られた島原市街地

今回の町歩きは、2006年正月に宮崎を旅して以来、3年ぶりに実現した一人旅である。仕事が忙しかったこと。定年を前にしてお金を使うのが惜しくなったこと。なによりも気力が無くなったこと。これらの要因で一人旅に出ることがなかった。
アラカンを前にしたここ数年は、いわゆる男の更年期を迎えた。この更年期障害は、自律神経失調症とでも名付けられるのであろう症状を示した。じっとしているだけで汗がでてきたり、睡眠が浅くなったりする。天気が悪いとどこにもでたくなくなるばかりか、テレビにも興味が無くなるそんな典型的な鬱の状態が訪れる。
こんな状態も、無事に還暦を迎え定年退職(もっともそのまま特別職員で再雇用されているので給料が下がる以外特には変わらないのだが)し、退職金でローンを一括返済したら気持ちが楽になったのか、元気がすこしでてきた。それに小金も少しは溜まってきた。そんなこんなで無理しても旅に出ようと思うようになった。
比較的近場で歩いて見て回れ、まだ行ったことのないところという条件から、最初は熊本県天草を候補に考えた。熊本観光協会にお願いし資料を送ってもらい、旅行の日程等を検討をした。しかし資料に「橋が出来て以来公共交通機関が不便になってきている」と明記され、観光に車(レンタカー)が必要で、バス等での観光はとても無理と判断した。天草は見て回るところが点点とある。島全体を面として見て回ることが観光となる。街を、歩いて見て回るところではない。レンタ自転車いう手も考えたがどうも上手くいきそうに無かったので断念した。断念したもう一つの理由が、熊本からのフェリーの廃止にある。天草へ行くには、熊本から特急バスに乗って2時間かかる方法しかない。路線バスに2時間揺られるのは大変と思ったのである。
それに比べて島原は熊本港から高速フェリーで30分。JR熊本駅から熊本港まではバス30分。島原港を降りれば徒歩30分で島原市街中心地にある島原城につける。
島原城を中心に、武家屋敷、浜の川湧水や鯉の泳ぐ町など多少見るところもかたまっている。雲仙へもバスで45分。歩いて回るにはちょうど良いと思い急遽ここに決めた。


島原の乱を今に伝える島原城


昼過ぎにフェリーで島原港に到着し、さっそく島原城まで歩くことにした。
島原は、雲仙普賢岳の大噴火によって、火砕流が発生し逃げ遅れた多くの報道陣らが死亡したことでも知られている。また同時に発生した土石流は海岸まで到達し、海岸線が海に突き出たといわれている。
幸いにも島原の中心市街地は普賢岳との間にある眉山が壁になり、火砕流や土石流の被害を免れた。おかげで江戸時代からの町並みは残された。
さっそく港で仕入れたパンフレット片手に、竜馬が歩いた道なるものを歩くこと約40分島原城に到着した。現在の島原城自体は1964年に再建されたものである。しかし島原の乱などの資料が多く展示されており見て回って損はない。隠れ?キリシタンの資料が多数展示されており見る目を楽しませた。
また併設されている北村西望館には、長崎の平和祈念像をはじめとした作品が多く展示されていた。北村西望はここ南島原の出身とのことである。
島原城をあとに、武家屋敷が残り、水路がまっすぐ流れ江戸時代の生活を想像させる武家屋敷水路をを訪れる。昔の武家屋敷がそのまま残り保存されている。また公開もされている。
島原市市街地には町のあちこちに、名水がわき出ている。名水100選に選ばれたとかで、それぞれの案内板もしっかりしており散策には適している。もっともこの名水は、温泉と同じで、普賢岳の噴火と深く関係した産物とのこと。良くも悪くも火山の半島である。





雲仙温泉に宿泊する

一泊目はKKR雲仙山荘に泊まる。国家公務員保養所とのこと。昔は公務員の保養所といえば安くお得な宿という感があったが、今は昔である。施設はぼろぼろ、昔の簡保の宿や国民宿舎よりひどい。隣室の物音がまる聞こえである。サービスに熱意が感じられない、云々であった。
泊まり客に若い人はいない。小生と同じ歳か、いやもう少し年上でリタイアしたような方ばかりに見受けられた。
温泉はかけ流しである。もちろん露天風呂もある。が、露天風呂は温度調節(湯量の調節)がきちっと出来ていないので、とても熱くて入れない。文句を言えばきりがない。一人旅の二食付き、しかもお安いところとなるとなかなか見つからないのだ。旨い馬刺を食べてぐっすりと寝た。




2日目午前は仁田峠から普賢岳を見る








雲仙温泉街から乗り合いタクシーに乗って、タクシーといっても乗り合いのバスであるが、1100Mにある仁田峠に行く。ここには雲仙ロープウェイがある。乗車時間三分で1333Mの妙見岳の頂上いける。
ここから普賢岳と平成新山が目の前に見ることが出来る。実に荒々しい景色で見応えがある。この仁田峠を拠点に普賢岳への登山も盛んとのことである。連泊しての登山も機会あればチャレンジしたいと思う。
乗り合いタクシーの時間が決まっていて滞在は約一時間であった。その後は雲仙温泉街にある温泉地獄巡りをした。結構大きな温泉地獄でここを一通り見るのに一時間近くかかった。しかし仁田峠の賑わいに比べると寂しい限りの人出であった。















午後は大野木場から雲仙岳災害記念館がまだすドームをめざす

大野木場は大火災流の発生した場所である。ここから海岸にあるがまだすドームまで歩いて行くことにした。 バス停を降りたところに大きな道があったので、てっきりこれがドームへ向かう道と決めて歩いた。ところがこれは自動車の道で、地図にあった道とは違い大回りになっていて一時間以上汗を流して歩くことになってしまった。もっとも予定の道でも1時間近くはかかったようであるが。途中どうも遠回りして歩いていると気づく。、あとどれだけ歩くと目的地に着くか判らない一種のパニックに陥った。朝仁田峠や温泉地獄を歩いた歩数を加えると、すでに2万歩近く歩いていることとなる。疲労は頂点に達した。ちょうどその時にみかんの無人販売に巡り会い、迷わず疲れを癒すためみかんを100円で買う。京都で買えば3〜400円しそうなほどある。一息入れ冷静さを取り戻し、気合いを入れ直しみかんを頬張りながらひたすら海岸に向かって歩き続けた。海岸に達してからは農作業している方に道を聞きどうにかこうにかドームに到着した。
距離感のないところを一時間以上必死に早足で歩いたので、正直へとへとで到着した。その結果ドーム見学は半端なものになったと思う。 がまだすドームは大変な大金をかけて造られた大きな施設であった。普賢岳の噴火の歴史や、火砕流や土石流の様子。さらに島原の復興の取り組みなどがよくわかった。元気なら半日でもかけて色々な展示見て回り、内容を理解するところであるが、へとへとになっていたこともあり1時間あまりの滞在でここをあとにした。
このドームから島原に向かうバス停までまた10分ほど歩く。公共交通機関が車社会によって衰退していくのを肌で感じる。余談であるが、箱ものの建設についても疑問を感じた。千円取っても大赤字だろうと思った。
こうしてようやく2泊目の宿であるホテル南風楼についた。この日実に2万2千9百歩あるいた。ちなみに前日は1万2千7百歩である。倍近く歩いたわけである。距離にして20K近く歩いている。お疲れな訳である。

三日目は熊本城を見学して一路京都へ向かう

島原港9時30分発、熊本商船フェリーで熊本港を目指す。高速フェリーとは違い倍の1時間の航海となる。のんびりとカモメを伴に航海する。一昨日も、今日も秋晴れとはいかず、対岸の熊本や阿蘇は見えない航海であった。熊本港からのバス便が悪く熊本城に着いたのがちょうど正午である。昼も食べずにとりあえず熊本城見学をする。コンクリートで再建された熊本城はちょっと興ざめであった。それなりに見学する施設も創られ、年間200万人の入場記録とのこと。こちらは帰りの電車を気にして、ここもさっさと一時間で切り上げる。
熊本一の繁華街辛島町で遅い昼食をとり、熊本駅に急いだ。知らない土地でもあり、約一時間前には熊本駅に到着した。市電が走っていて意外と早く事が運んだ。バスよりもやっぱり電車と思う。
熊本駅では、土産を買ったりして時間をつぶす。
14時28分熊本発のリレーツバメに乗って一路京都へ。4時間40分で19時10分には、我が家に到着した。新幹線のぞみの早さにびっくりである。飛行機より速いように思う。
また小金を貯めて旅に出るつもりである。


  記  2009年11月吉日


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