北海道宗谷岬に続いて、本州最南端佐多岬を目指して今回の旅行を計画しました。佐多岬は九州の岩崎財閥によって独占的
に押さえられていて、観光的には開発が遅れていたところである。最近まで、岩崎財閥の許しなしには佐多岬に行けないところに
なっていたらしい。現状佐多岬で泊まれるホテルも岩崎財閥以外にはない。そうした関係で佐多岬への道路整備も進んでこなかっ
たようである。公共交通機関、公共のバス路線も全くないに等しい状況である。佐多岬への旅行を考え計画を立てようとしたが、
こうした事情でリーズナブルな旅行を計画することが出来なかった。そこで休暇村主催の佐多岬の旅を申し込んだのであるが、
残念ながら定員割れで実現しなかった。仕方なく休暇村に宿泊しレンタカーで往復することにした。なるべくなら公共交通か観光バスなどで訪れたかったのであるが、ここは佐多岬実現には仕方ないとレンタカーした。
大隅半島の開発遅れについては他の事情もあるかもしれないが、あらためて独占の弊害がいかに大きなものか感じている。
最近になってようやく公共工事が進み、佐多岬に無料で行けるようになっている。私の旅行の時は、トンネルが歩いて通れる状態
で、未だ車はトンネルの手前の駐車場に止めなければならない状態でした。まだまだ大変なところという感である。
このような中で今回の旅行はスカイマークを使って神戸空港⇔鹿児島空港、休暇村に宿泊し指宿周辺をぶらつきレンタカーで
佐多岬に行く計画にした。
午前休暇村の案内でうなぎ池と鰻温泉を観光する。鰻温泉は指宿市街地から南西4キロほどの山中にある。
樺山資紀文書によると、西郷隆盛はうなぎ池に一ヶ月余り滞在し、その生活ぶりは次のようであった。
「明治7年12月27日の夕方、従者2人と猟犬13頭をつれて突然泊まりに来た。毎朝7時に起きて食事をし
、雨の日以外は開聞岳あたりに漁に出かけ、夕方には帰ってきた。猟犬は4,5匹連れていき、獲物のうさぎは3羽ほどだった。獲物は料理し主人にも与えた。」
ここ鰻温泉は指宿では唯一の単純硫黄泉、江戸時代から続く湯治場で皮膚病に良く効くといわれている。
ここ指宿の正月は、菜の花マラソンで始まるらしい。全国から多くの人が1月第二日曜日に開かれる菜の花マラソン
に集う。指宿の人たちも楽しみにしている。その菜の花が休暇村周辺の道路に咲き誇っていた。
最終日は早朝休暇村を発って、タクシー、空港バスと乗り継いで、鹿児島空港午前便のスカイマークにて帰京した。