高梁・奥出雲の旅2016/04/20〜23

まずは備中吹屋ふるさと村へ

 奥出雲・亀嵩に一度は行ってみたいと思っていた。清張の小説を読んだとき、小説の舞台に奥出雲が書かれているのを知ったときである。 両親の生まれが鳥取県であることからなんとなく心に止めていたのである。亀嵩の近くに亀嵩温泉玉峰山荘を見つけたときに旅を決めた。 さてどのようにして行くかを考えた結果、山陽本線→伯備線→芸備線→木次線が良いと考え、途中備中高梁に一泊しして奥出雲へ 向かうことにする。高梁ではまず吹屋ふるさと村に行くことにする。10時50分の高梁バスセンター発吹屋行きに乗り15時45分発で 高梁に戻ることにする。現地滞在4時間であるが、笹畝坑道、広兼邸、ベンガラ館、吹屋ふるさと村と見て回った。 映画八墓村の舞台となった 広兼邸は城のような豪邸で映画ロケにも使われた。一帯を支配した豪族の住み家であることが判る。 笹畝坑道を支配し銅とベンガラで財をなしたのである。


第2日 午前 備中松山城に登る

 午前中は備中高松城へ登る。予約した乗り合いタクシーでふいご峠に着き、そこから歩いて20分で高松城に着く。 あいにくの雨で街は曇り天守閣からはなにも望むことが出来なかった。寒くもありそこそこに退散した。

第2日 午後 奥出雲・亀嵩に向かう




 午後は芸備線、木次線と乗り継いで亀嵩に向かう。芸備線の乗客は数人である。約2時間かけて備後落合に着く。 ここから木次線に乗り換える。途中坂根駅では3度のスイッチバックを繰り返す。山の上に汽車を見ることが出来る。 このスイッチバックは鉄道マニアにはよく知られているようだ。夕刻が迫る頃ようやく亀嵩に到着する。  

第3日 たたら角炉伝承館へ帰路自転車で転倒し顔面負傷する

 

 この日は、ホテルのレンタサイクルで亀嵩や奥出雲の散策に出る。まずは松本清張の「砂の器」記念碑を写真に撮る。 記念碑の建てられている亀嵩温泉湯元守護神である湯野神社を散策した。次に亀嵩駅により写真撮影。今は駅はそば屋になっている。 奥出雲はたたらの産地として知られている。出雲の神の敗北とは大和が一帯を平定し鉄を支配したことに他ならない。 この伝統あるたたらが近代文化遺産となった。そのたたら角炉伝承館を訪れる。亀嵩から約1時間かかったので相当遠くであった。
 この遠さが体に応え、帰路道路の縁石にレンタサイクルを引っかけバランスを崩し、顔から転落する羽目になり顔面大けがをしてしまう。 見知らぬ土地ではあったがようやく薬局によって応急処置をしてホテルに向かう。 ホテルの方に事情を説明したところ、早速車で雲南病院に連れて行って頂き、診察と治療を受けることができた。

 

第4日 午前は奥出雲・横田をぶらつく

 この日元気ならもう少し亀嵩を見て回る予定であったが、負傷もあり無理を言って出雲横田駅まで送ってもらう。 出雲横田駅周辺をJR出発まで見てまわる。ここはそろばんとたたらで有名だそうだ。まずは駅横にある雲州そろばん伝統産業 会館を訪ねる。 そろばんの作り方などが詳しく説明展示されている。また作る工程をビデオでも紹介している。砂の器にも、そろばんが出てくるという。 未だ時間があったので、奥出雲たたらと刀剣館を目指した。ここではたたら炉の地下構造が模型で再現されており、あらためて奥出雲の たたらや刀作りが古代国家より近代国家まで続いているとか感じた。そろばんとたたらの街を一回りした。

 

午後 再びJR木次線・芸備線・伯備線で帰京




 出雲横田駅から出雲坂根を通って備後落合の手前県境までは上り一方である。出雲坂根でのトロッコ列車待ち合わせ はなかなかの見物である。三段のスイッチバックで山の上から降りてくる列車の様子は旅の醍醐味である。 備後落合から新見まではまた数名の貸し切り列車である。廃線の運命かと感慨に深けた。
 この後は一路京都を目指した。 

            
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