2002年の正月は九州で迎える
今年の正月は九州福岡で迎えた。その訳は昨年30日から3泊4日で九州福岡に滞在していたからである。年末年始の休みが約一週間あり、何もせず正月を迎えるのも嫌であったし、何より奥方に煙たがられ、あっちこっちで邪魔者にされるのも癪にさわるので旅行に出かけることにした。
旅館に泊まるのではなく、いわゆるビジネスホテルに朝食つきで泊まった。インターネットの「旅の窓口」というサイトでホテルを検索し、条件のよかった三井アーバンホテル福岡を予約した。もちろんシティーホテルではないが、ビジネスのなかではなかなか良いクラスのホテルである。一泊5000円で朝食がついて朝には新聞も各部屋に届けられ、部屋の清掃も毎日きちっと行われた。気持ちのいい旅行の原点というと大げさだが、まことに良い出撃拠点が確保できた。
なぜゆえに九州かというと特に理由があるわけではない。強いていうと長い間行ったことがなかったし、寒さも東北や北海道と比べても暖かそうだし、それと新幹線なら3時間弱で行くことに魅力があった。正月であるからある程度都会でないと僕のような貧乏ぶらり旅は無理である。これが温泉旅館なら2食付いて、のんびりと湯に浸かり過ごすということになるわけだが、一人旅を正月に歓迎してくれるような旅館は、それこそ目の玉が飛び出すようなお金が出せる人物か、よほど訳ありの所を好む人にしか見つからない。その点ビジネスホテルは旅館と事情が全く逆である。正月休みになると極端に客が減ることになる。そこでお得な特別プランを組んでくれる。歓迎され、リーズナブルにということになる。ホテルのある町も、得々プランを競う、競争の激しい都市となるわけである。
さらに旅行では飯が食えなくてはならないし、ぶらぶら見て回るには交通の便がよくないといけない。こんな条件から福岡を選んだのである。
歩き続けた年末年始?
実のところ正月はやはり旅行し辛い所がある。観光名所となっているところも、やっぱり年末年始は閉まっている。博物館、記念館のたぐいはほぼ全て閉まっている。30日31日はほぼ全滅であった。
ちょっと脱線するが僕の住む観光都市京都ですら、ご近所なのでよく知っているのだが、二条城は26日から3日まで休みである。外国からの観光客が寂しそうにCLOSEの看板を見ているのが妙に目に残っている。
お寺や神社ぐらいはと思ったが、二年参りも案外遅く夜11時頃でないと賑やかにならないようで、僕のリズムに合わずこれもアウトで、実のところ除夜の鐘も聞かずに眠りについた。年末の神社など飾り付けの真っ最中で、人けもなく情緒も何もあったものでない。ここらも京都辺りと規模が違うせいかちょっと雰囲気の違いを感じた。
そんなわけで、年末はひたすら歩きウォークに徹した。小倉・戸畑・若松・直方を駆け足で歩いた30日。
31日は、博多からホークスタウンまで約3時間、途中福岡城跡や大濠公園を見学しながら歩き、福岡タワー展望台にのぼった。展望台から歩いてきたところを一望し、我ながらなかなかのもんだと感激した。その後渡船で金印がでた志賀島へと思い、船着き場に行ったが案の定30日31日は運休とのつれない看板がぶら下がっている。
あわててバスで博多に帰り、JRで西戸崎へ、ここからタクシーを駆使して無事金印公園にたどり着いた。本物は福岡博物館にあるのだが、もちろん休館でアウト。出土した場所を確かめ、石の金印を写真に撮り玄界灘を眺めつつ遠い昔の邪馬台国を思った。
帰路は時間もあったのでのんびり志賀島をウォークし、バスで西戸崎まで帰った。このあと九州一の香椎八幡宮と筥崎宮に寄ってみた。しかしまだ時間が早く、それでも8時近かったのだが、先に言ったとおりお宮は準備中、お参りの人はまったくいないという惨状だった。
元旦は太宰府天満宮へお札をもらいに
この旅行を計画するまで、天満宮の元締めは京都は北野の天神さんとばかり思っていた。ところが観光案内書をみると、九州は太宰府の天神さんこそ元締めと記されている。
今春高校受験の
甥っ子に、是が非にお札をもらわねばと思い、初詣に太宰府天満宮を訪れた。残念ながらこの日は朝から雪混じりの雨、ウォークウォークで二日市から太宰府跡、観世音寺、戒壇院を先に訪ね、その後天満宮に参拝する。さすが天神さんも元締めだけあって、参道も境内も立派なもので驚いた。混雑する中何とか合格祈願のお札を頂き、これまた祈願するのと同じぐらい並んで買っている「梅が餅」を買い、ほっかほっかのお餅を頂きながら甥っ子の合格を祈願した。
正直なところ雨できつかったのか、はたまた太宰府跡と天満宮が考えていた以上に離れていたからか、1時過ぎに昼のラーメンにありついたときにはホッとした。
この後佐賀市に足をのばしたが、ここは正月でそれこそ店も開いておらず、ベリータイヤーの佐賀であった。
唯一の成果は、吉野ヶ里歴史公園がJRの駅からすぐ近くにあるということが判ったことである。事前の調査で何だか不便なところにあるように思い、行きたいけど行くのは時間的に無理と思いこんでいた。
吉野ヶ里歴史公園で思ったこと
2日は九州最後の日、駅からほど近いところに吉野ヶ里歴史公園があると判り、門司港観光を取りやめ、急遽吉野ヶ里公園見学に変更する。昨日の佐賀市内は何もなく、ただただ疲れた旅行だったので吉野ヶ里遺跡を見学できほっとした。
吉野ヶ里に弥生時代の大きな国家があったと以前の何かの報道で知っていた。実際にその一端に触れてみて、改めて大きな驚きを感じた。
大きな物見櫓といい、集会場になった本殿といい、又濠で囲まれた集落の大きさ、どれも想像を遙かに超えるスケールである。
なかでも甕棺の出土した埋葬地の大きさと、その甕棺の並んだ様相には圧倒される。何十という甕棺が、弥生時代の長さと繁栄を感じさせるように整然と埋葬されている。一言で表すのは難しいように思うが、スキー場のこぶを平にした様な感じである。いかにも墓地ですと主張しているのが何とも言い難い印象をうける。
広大な公園はまだ整備の途中で、これからいろいろと充実していくようである。実際の所急にスケジュールを変更した関係で時間に制約されていた。3時間ほどいたのだが、それでも詳しく見て回ったり、話を聞いたり出来ずに終わってしまった。
再度機会があったら、まるまる一日取って訪問することにするつもりである。
もう一つ印象深かったのは、公園の人たちの素朴な親切さであった。村の人たちが心から訪問を歓迎しているように思えた。
記 2002年1月吉日