第2回神籠石(こうごいし)の旅2022/10/24〜26

またまた神籠石を見に行こうとヤマちゃんから誘いの電話がありました

背振山山系

 9月台風が立て続きに来た頃、ヤマちゃんからまたまた電話があった。内容はといえば九州の神籠石、2回目の誘いであった。前回行くことの出来なかった、 行橋市の御所ヶ谷(ごしょがたに)神籠石、糸島市の雷山(らいさん)神籠石、飯塚市の鹿毛馬(かけのうま)神籠石3カ所を、またまた2泊3日の 格安阪急トラピックスで強行軍をやろうとの提案でした。今回も予約を私にさせようとの目論見です。
 私はコロナ疲れと、夏の志賀高原6日の旅が福井豪雨で列車が止まり中止になっていたこともあり、旅をしたくてうずうずしていたので、今回もまた、 ま!いいかと誘いに乗ることにした。台風が今年は多くていつまでも来るような気がするので、なるべく台風の心配の無い時期で、 かつ余り寒くならない時期が良いとの判断で10月下旬で準備することにした。
 今回のメインは糸島にある雷山神籠石である。九州王朝歴代天子の王墓があると言われる霊峰雷山、背振山山系中心の雷山。唐、博多湾からの攻撃に備えた 前線基地、その神籠石である。ここを観ずして神籠石は語れないと言っても過言ではないだろう。さらにどこよりも早く整備し観光宣伝に力を入れてきた御所ヶ谷 神籠石と、一番保存状態が良いと言われる鹿毛馬神籠石は外せなかった。コースはまず小倉から行橋の御所ヶ谷を観て、3時間かけてその日のうちに糸島まで移動する。一泊して 2日目は雷山神籠石を目指してのちょっとした登山である。藤坂橋から不動の滝を経て雷山神籠石、不動池、雷(いかつち)神社、雷山観音に至雷山周回 自然歩道標準3時間コースの登山である。下山して糸島の同じホテルに宿泊する。最終日は飯塚にある鹿毛馬神籠石を訪れて小倉に戻り帰路につくとした。
 よってトラピックスの小倉往復のぞみ、糸島市内ホテルシーガイヤ2泊26800円の格安プランで予約することにした。福岡県東西を往復する旅の計画である。今回もまた 新大阪朝7時15分発のぞみに乗るのであるが、6時45分新大阪駅前は車輪展示の前で切符を受け取る指定となる。神戸と京都の2人が乗れる格安旅行は 時間指定の出来ない(案内では8時代ののぞみもあるが)この早朝不人気のぞみである。この時間に新大阪駅に着くには京都の住人としては大変な苦労がある。阪急電車の一番電車に乗って、 南方まで行って、さらに歩いて新大阪駅前に行くのである。今回もまた格安での旅行には苦労がついて回るのである。ついでに言えば、帰路は小倉20時17分発 新大阪22時28分着である。この後逆コースで自宅を目指すのも同じである。違ったのは前回は4号車、今回は16号車、しかし一番端車両に違いが無い。 格安には色々な制約があります。きっぷも小倉往復なのに新神戸乗車も含め、渡されるのは新大阪と福岡市内の往復切符である。しかも自動改札は使えない!?

1日目 周防灘を望む御所ヶ谷(ごしょがたに)神籠石を目指す

 
 朝の9時18分には小倉駅に着き、09時30分のJR日豊本線乗りかえ終着の行橋を目指す。ちなみに行橋はゆくはしと読むそうだ。10時過ぎには駅に着いた 。駅から路線バスで勝山新町線のバス停留所、津積を目指すのである。ここから先ずは3K先の住吉神社まで野道を歩き、漸く御所ヶ谷神籠石登山となる。
 先ずは乗るバス停と発車時刻を確認しなければならない。駅には2カ所バス停がある。停留所の表示を見てもどこ行きに乗れば良いのかが良く判らない。 バス待ちの人に聞くが津積など知らないという。東口に行ったり西口に行ったりであれやこれや30分ほど迷ったあげく、ようやく11時17分発のバスを 東口で待って乗れば良いことが判った。一安心である、「まるで路線バスの旅や!」などの軽口も出た。まだ時間があるので早めの昼食をとることにした。小倉駅で買った駅弁の鳥弁当を バス停で頂くことにした。駅前のバス停であったが、乗る人もなく早弁をするのになんの支障も無かった。
 津積に到着したのが11時40分頃、いよいよ神籠石に向かって登山の開始である。地図に因れば3Kぐらい先に目指す御所ヶ谷がある。 バス停付近にも道案内の標識があり 一安心。40分ほど野道を歩くと登山口の住吉神社に着く。ここから標高246.9mホトギ山から西に延びる尾根の主に北斜面に広がる御所ヶ谷神籠石遺跡を目指した。 遺跡の外周は約3Km、うち2Km以上にわたって版築工法で築かれたさ3〜5m土塁が築かれ、その土塁補強に神籠石(列石)が並べられている。土塁が谷を渡る 部分には通水口を備えた城門が築かれている。神籠石で造られた城門、水門の中でもここ御所ヶ谷の城門跡は規模や完成度としては一二を競うものと言われている。
 大宰府を中心にした九州王朝にとって、本州、四国周防灘からの防衛の要としてここを重視したのである。またここが京都(みやこ)郡みやこ町御所ヶ谷と云われる地名が示すように 、九州王朝の重要要塞であったことは間違いない。一説には九州王朝景行天皇ゆかりの地であったと云われている。
 景行神社付近の山頂からはみやこ町平野や周防灘を 望むことができ、ここが6〜7世紀の九州王朝にとって非常に重要な要塞であることを確認した。

 我々は2時間ほどかけて、中門跡から東石塁をへて東門跡、列石を経て一番札所、景行神社と礎石建物跡、馬立場石塁から西門跡を通って住吉神社へと無事帰った。 このあと14時54分津積発のバスで行橋駅に戻り、JRで小倉へ、区間快速に乗り換え博多、更に地下鉄に乗換、糸島のホテルに着いたのは19時頃ぎになった。 明日の雷山のための移動とは云え、早朝から動いてきたのでグッタリとしてしまった。明日のバス停と時刻表を確認し、夕食を簡単にとってこの長い一日が漸く終わった。


版築工法  

御所ヶ谷神籠石の土塁(パンフレットより)



 神籠石の土塁は、朝鮮半島から伝わった版築という方法でつくられています。版築とは板で枠をつくり、土や砂利を入れ一層ごとつき固めながら積み上げていく工法です。

 御所ヶ谷神籠石の版築は積み上げられた土の層が70〜80層に及ぶ堅固なもので、基礎部分には方形の切石が並べられています。土塁の中や前からは工事の支柱穴が多数見つかっています。

 

2日目 藤板橋から不動の滝を経て雷山(らいさん)神籠石へ

 


 2日目は朝8時15分発雷山観音寺前行、糸島コミュニティバスに乗って雷山神籠石を目指した。 前日にバス乗り場と時刻表も確認していたのでスムーズにバスに乗ることが出来た。バスは山へ向かって一直線に進んでグングンと高度を稼ぐ。標高200m付近にある 藤坂橋でおりる。雷山神籠石があるのは標高400m付近である。我々が登山するコースは、案内に因れば”雷山散策ファミリーコース”標準所要時間約3時間、距離約6k、累積標高差±469m とあった。シニアの我々にとって標準時間で歩くのは少し無理がある。経験から云うと休憩や見学を入れて2倍の時間を見ておく必要がある。我々は夕方の雷山観音寺前 最終バス時間を期限にした計画を立てていた。

 9時前に藤坂橋に到着する。ここからいよいよ登山開始である。不動の滝を経由して雷山神籠石に至なんの問題も無い登山である。ところが途中にあった標識がこの標識だけが、 不動の滝はこちらと矢印があるが、雷山神籠石方面の表示がない。道は整備された登山道が分かれ道となっている。ファミリーコースであるのと、たぶんこの頃は余り 雷山神籠石に関心が無いのであろうか、よくあるリードもない。滝よりも神籠石の関心がある我々二人は滝とは別の道を行くことした。挙げ句の果てに我々は 道に迷ってしまった。道が無くなり別の道に行ったりと山中を彷徨い格闘すること20分。 漸くもとの道に戻り、不動の滝に行くことを決断、滝に着いて神籠石への標識を発見した。
 不動の滝に本来なら20分そこそこで着くところを40分かけて到着した。結構標高差のある立派な滝である。ただ残念なのは滝の全貌を見ることが出来ない。 滝の全貌を観るためにはたぶん大規模な開発が必要なのであろう。雷山にはもっと有名な滝があるようで、半分の眺めで道は途切れていた。しかしここから見える糸島は 遙か彼方にあるように見えた。  不動の滝から雷山神籠石へは急坂のきついコースとなった。標高差200m移動距離700mであるが、標準時間35分の本格的登山道である。一歩一歩を踏み出すのが大変である。 足が悲鳴を挙げる。用意した杖が役に立った。杖をつき、足を上げて息を切らしながら一歩、一歩高度稼ぐのである。小一時間の登山とは言え、結構大変である。 もっとも小一時間ぐらいであったこともあり、日頃余りやらないこうしたきつい登山はシニアの私にとっては心地よいものであった。雷山神籠石に着いたのは11時過ぎである。 ここでは神籠石の写真を彼方此方から撮ったり石の大きさや距離を測るなどあれやこれやをする。また天候が少しぐずついてきたこともあって早めの昼食とした。


 今日の第一目標は達成したので、後は体力と時間が許す限りの行動である。不動滝を見て回り、雷(いかずち)神社を訪れ、雷山観音寺まえバス停へと向かった。時間があれば 雷山頂上へもと考えはしていたが、とても体力が持たない。雷山頂上登山はまたの機会とする。バス停から標高差は400mぐらいなので、雷山登山だけを目標にするなら可能と思われた。
 14時のバスで糸島に戻ることにした。
 ホテルで16時30分頃まで休養し、夕方には糸島市内で、お茶を飲んだり食事をしたり、更に散歩もしてこの日を終えた。糸島半島の可也山(から富士)が輝いて見えた。ここへも登ってみたいと思う。 遠く朝鮮半島を望むことが出来るのだろうかと思いを巡らした。  

 

3日目 飯塚市 鹿毛馬(かけのうま)神籠石を探索する


 

 3日目は最終日となる。糸島から地下鉄で博多に出て、JR福北ゆたか線に乗り換え小竹へ向かう。11時過ぎに小竹に着く。ここは無人駅で新飯塚との直方のあいだにある。 ここから目指す鹿毛馬神籠石は平坦な道ではあるが4kはある。歩いて1時間かかる。バスもタクシーも無い。小一時間かかって神籠石遺跡に着く。
 先ずはここで昼食をとることにした。ここでは水門が復元されて見ることができるようになっている。土塁の下に暗渠を通し谷に集まった水を取り入れる取水口と汚水を排出する 排水口が設置されている。土塁は版築工法で粘土質の土と真砂土を固めて作られている。ここには2カ所の水門があったが、展示されているのは一カ所だけという。第2暗渠の設備は 埋め戻して保存されているとのことある。
 この水門からの土塁の基礎?となる神籠石列石が山を囲むように延々と2K近く続いている。ひとつ一つ石は驚くほど大きなものである。大きいものになると縦100p横200p巾100p 軽く2,3トンはありそうだ。こうした石を全長数キロにわたって、山を囲うよう列石として配置されている。驚くべき労力のたわものである。6,7世紀にこの設備を作るにどれほどの 労力と財力と年月をかけたか想像を絶するものがある。

鹿毛馬神籠石は一大駐屯地か?

 水門跡調査で7世紀前半の須恵器甕破片が確認されている。600年代前半には確実にここにこの神籠石遺跡があったのである。
 しかもこの鹿毛馬神籠石遺跡のある場所は今の豊前方面から太宰府へのど真ん中に位置する。神籠石列石は標高30m〜80mに築かれ居る。いわば里山のような処 に築かれたのであって、いわゆる山城とは一線を画した場所にある。この地は江戸時代には長崎街道が通る九州の大動脈に位置している。 景行天皇の居た京都平野方面から太宰府方面、九州王朝の本拠地 に攻め込んで来る勢力をここで押さえ込む戦略であったのだろう。その為に遠賀川平野のど真ん中、交通の要衝にある山を神籠石で取り囲み一大兵站拠点としたのであろう。 九州王朝の絶頂期を示しているように感じたのは私だけであろうか!  

列石を巡って山に迷い込む

 数キロにも及ぶ列石が、保存状態もよく残されているのだが、神籠石ブームの収まり?もあり残念ながら遊歩道が荒れていた。 奥へ奥へと進むと整備されていた案内板が壊れ、道がわから無くなってくる。それでも、 「ここまで来たからには一周しよう」とわれわれは欲を掻き結果山の中に迷い込んでしまった。尾根ではあったが、道なき道をここでも彷徨うこと小一時間、 何とかもとの道に帰り着くことができた。さしたる標高も無く、深くも無い山ではあるが、木々で腕や足に傷を負った。2日続けての迷走に焦りを感じたのは事実です。 こうして疲れ果てて小竹駅に向かうこととなってしまった。 もっとも平坦な4Kの帰路は鳥や花を見ながらの楽しいウォーキングでもあった。


のぞみに乗って帰路に着く

 小竹駅に着いたあと、一路小倉に向かう。小倉駅ビルでで夕食をとり、新幹線小倉駅構内待合室で休憩し小倉20時17分発のぞみで無事帰ってきた。時間的余裕があれば、小倉城と 松本清張記念館によろうと確認していたが、時間の余裕はあったが、体力に余裕は無く結局待合室で休憩することになったのである。 帰りの列車を変更できればよりベターであったが、これは格安切符の仕方のないところであろう。ホテルは糸島市内の中心地にあり設備も問題はなかった。ただトラピックスはホテルの 禁煙室を指定できず、喫煙室が指定され少したばこ臭かったのが残念であった。   
 最後にのぞみによる小倉往復、糸島ホテル2泊3日¥26800-はお得であったように思う。


 実のところ、あとから割引(全国旅行支援)が付いて更にお得な旅になった。   


 

            
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