今年(2003年)のゴールデンウィークは金沢を歩く
昨年の高松旅行に続いて、今年のゴールデンウィークも自動車を使っての旅となった。
一日目は岐阜富山にまたがるユネスコの世界遺産に登録されている合掌造り集落を訪れ、その後金沢まで行き宿泊した。
2日目は金沢市内を歩いて見学した。
3日目は大聖寺を観光し越前海岸を走って帰宅した。走行キロは約600キロであった。
宿泊したホテルは、JR金沢駅から徒歩数分の金沢セントラルホテル本館である。
2泊2朝食付駐車場代込みで税サービス込み9975円でした。
今回も旅の窓口から予約した。中心街にはちょっと遠いものの、
車で泊まるならこれほどリーズナブルなホテルはないように思う。なお朝食はバイキングでこれも大変良かった。
4月26日白川郷の世界遺産の合掌造りを訪れる
朝8時に自宅を出発した。途中御母衣電力館を見学し、ちょうどお昼に白川郷の駐車場に到着する。ここにはユネスコの世界文化遺産に登録された一番大規模な萩町合掌造り集落がある。早速重要文化財で合掌造りの明善寺を訪ねる。見学の中心は庫裡であるが、階下建坪300平方米、坪当たり6000トン(40石)の資材を使用し内部は五階建てとなっている。
茅葺きの合掌造りの維持には囲炉裏からでる煙が不可欠と聞いていたが、ここではそのために囲炉裏の火を絶やさないように管理していた。建家に入るや感じた懐かしい匂いは、子供時代田舎での夕べにかいだかまどからの煙が、家中に漂った煙の匂いを思い起こさせた。
合掌造りの内部は文字通りすすだらけで、あちこち黒光りしていた。柱と言わず、くくりつけた縄から、
桟や天井板まですべてコールタールを塗ったようになっている。
完成した瞬間からすすで防腐し防虫し続けて維持してきたわけである。
黒光りするすすけた縄や柱に人間の営みの知恵を感じた。次に萩町城跡に向かう
小一時間ばかり見学して、次に萩町城跡に向かう。
途中、 一時頃になりお腹もすいたので、合掌造りのそば屋たなか屋で昼食をいただいた。
思ったほど混んでなくゆったりとした気持ちで落ち着いて昼食をとることができた。
食後にコーヒーが付くそば定食が850円でいただけた。
合掌造りの家を維持しなくてはならないのに、
どちらかというと良心的な価格設定であるように感じた。
またお店では娘さんと息子さんらしい若者が手伝っていい雰囲気であった。合掌造りという世界遺産が若者の働く場を創りだし、
村を新たな活気にみちびいているように感じた。
萩町城跡の高台からは、村が一望できた。四方を山に囲まれながらも、荘川沿いに平地があり、
村を形成できたことが理解できる。冬にはこの高台から集落をライトアップして風情を高めているとのことであった。
山道は片道20分ほどであるが、ヒバリやホトトギスなどの小鳥の鳴き声が楽しめる絶好の散歩コースであった。
往きは東通を通ったのであるが、復路は本通りをとり、メインストリートを白川八幡神宮へ向かった。
白川八幡宮わきにはどぶろく祭の館があり、入館するとどぶろくを一口飲ませてもらえる。小生は生まれて初めてどぶろくを飲ませていただいた。貴重な体験であった。
ざっと3時間でほぼ村を見て回った。
次の目的地、五箇山に向かった
ここ五箇山には、菅沼合掌造り集落と相倉合掌造り集落があるが、時間の関係で相倉合掌造り集落だけ訪れた。
白川郷よりさらに山間にあり、家の前の田圃には雪が堆く残っていた。冬は長くまた最高気温零度以下の冬日が続き、
夏は、昼は蒸し暑く夜は寒いという厳しい気候の地であると解説されていた。
文字通り四方を山に囲まれ、道といえばやっと牛馬が通れるぐらいのものがあっただけの陸の孤島であったとのこと。
江戸時代には火薬の材料となった塩硝づくりが唯一の産業?で有ったとのことである。
ここも小一時間も有れば一通り見て回れるので、夕方5時過ぎにはここをでて金沢に向かった。
1日目の歩数は19280歩
2日目金沢を歩く
この日の行程をまずざっと紹介する。ざっと20数キロ金沢市街地を歩いて一周した。
朝食のバイキングをいただき、元気いっぱい朝8時半にホテルを出発する。
駅前の昭和大通りを南下して犀川へ。
御影大橋から犀川大橋へと河畔を歩き室生犀星記念館や雨宝院を経て西の茶屋街を歩く。
寺町台寺院群を通りw坂から桜橋をわたり犀川縁の犀星のみちを犀川大橋まで戻り長町武家屋敷跡群を訪れる。
長町武家屋敷跡群の見学のあと昼食をとる。
しばしの休憩後尾山神社を経て泉鏡花記念館、浅野川河畔の主計町料亭街を見学。
浅野川大橋を渡りひがし茶屋街から鏡花のみちを経て金沢城公園を見学した。
午後4時過ぎN氏と合流。
N氏の案内で前田家の墓所である野田山を車で訪れる。
夜割烹にて接待される。大変美味であった。
ホテル帰着午後9時。本日の歩数28016歩。
無料施設の充実
金沢といえば兼六園が有名であるが、以前何度か訪れたので今回は行かなかった。また訪れたところはすべて案内書にある場所なので特に小生が解説したり案内することはない。
特記すべき事は、各地の観光名所に無料施設が市営で公開されていることである。
金沢西茶屋資料館、金沢老舗記念館、旧加賀藩士高田家跡、金沢市足軽資料館、金沢城跡など資料や説明もあり観光にかける意気込みを感じた。
かえりみるに京都ではこうした無料の施設が少ないように思える。観光で成り立つ京都はもっとこうしたことを見習い、各地に無料足休めの場所を造っていく必要があると思う。
但し民業圧迫を心配してか、水を飲んだり一服したりのスペースがおろそかにされているように思えた。
さて市街地であるが、さすが戦国時代からの城下町で、ちょっとやそっとではどこを歩いているのかさっぱり理解できない。
武田信玄の町甲府が、人は城垣と武家屋敷が軍事目的で配置され、曲がりくねった信玄道路はわかりにくいと有名であるが、
ここ金沢もそれに劣らぬ構造になっている。
どの道も東西南北を基本にせず、二本の川と城を基準にしているので、一日歩いても町のイメージをつかむことができないという珍しい市街地であった。
越前でもなく、越中でもない加賀藩は日本海側最大の都市として栄えてきたのであるが、森善朗の力は田中角栄に及びもつかず、近年新潟にその座を明け渡し一地方都市になりつつある。京都も同じであるがハイテク産業の育成強化とともに、観光都市金沢をいっそう押し進める必要があるように思われた。
最終日は大聖寺を訪れる
28日の日は朝一番に鶴来町にある、加賀一宮にあたる白山比盗_社を訪れ、宝物館を見学した。
このときまたN氏より連絡があり、鳥越城跡を案内してもらった。
鳥越城は一向一揆の最後の砦となった山城として有名で、城跡が復元整備されている。
案内書によると、「本願寺8世蓮如の布教により結束した民衆が、かつてない団結力で領主へ抵抗した一向一揆は、1488年(長享2)に守護大名の富樫を打ち破り、”百姓の持ちたる国”を実現。1582年(天正10)に織田信長の軍勢に滅ぼされるまで、その自治は100年間も続いた。」(るるぶ金沢・能登を歩く)とある。
残念ながらこの日は月曜日で、一向一揆歴史館は休みで展示を見ることができなかった。
このあとN氏の故郷である大聖寺に案内され市内を見学した。
大聖寺は加賀藩の支藩である大聖寺藩10万石の城下町として栄えたところである。
大聖寺藩は明治維新のさなか、富国強兵・近代化を藩あげた偽金づくりでなしたそうで、その偽金づくりの洞くつ跡などちょっと普通では見れない穴場を見学した。
その後橋立町の北前船の里資料館を案内された。
北前船は藩政期から明治中期まで瀬戸内、
日本海、北海道を舞台に活躍した商船とあった。この北前船であげた莫大な利益が、銀行設立や、慶応大学設立などに寄付され近代化を牽引したとあった。
その後越前海岸を一路南に走って無事京都に帰宅した。
記 2003年5月吉日
