2003年の正月も九州・鹿児島に出かける
2003年の正月は鹿児島旅行から始まる
昨年の福岡旅行に続いて、今年の正月旅行は鹿児島2泊3日の旅となった。
今回は仕事の関係で年末からの年越し旅行でなく、2日出発−4日帰宅のちょっときつめの旅行であった。2日早朝5時45分に自宅を出発し、4日22時に帰宅のスケジュールである。
鹿児島へは飛行機を利用した。約70分のフライトで伊丹から鹿児島にひとっ飛びである。早朝家を出発したとはいえ、朝の10時初売りの前に市内に到着したのには正直驚いた。鹿児島では初売りが盛んなようである。市内中の人が集まっているかと思うほど、デパートや映画館などが集中しとても大きなアーケード街をなしている天文館付近は、ひと人ひとの列で埋め尽くされていた。
あとで判ったのであるが、この天文館のすぐ近くに照国神社がある。鹿児島で初詣といえばここらしく、天文館付近は初詣と初売りで大いに賑わっていたのである。何しろ朝の初売り開店前(10時?)に繁華街に着いたことで、よりえらく早く着いたと感じた訳である。
それに飛行機は滑走路に入って離陸するまでに結構時間がかかる。さらに着陸には高度を下げ始めてから20分から30分必要となる。着陸後も飛行機から降りるのにこれまた時間がかかる。70分のフライトの中身はこんな訳で、魔の時間=離陸から3分クリア−高度1万メートルの安定飛行で一安心と思うまもなく、今度は高度を下げ初めてがたがた揺れ始め−続いて再度の魔の時間着陸前3分となる。70分のフライトなら、本当にあっと言うまである。ANA便ではさらに飲み物も配られるからさらに時間がたつのが早い。
もっともより根元的には、現代科学を信じきることができ無い私が、鉄のかたまりが空を飛んでいるのを受け入れず、着陸するまで内心冷や冷やであるから時間が早く過ぎる一因になるように思う。一寸矛盾しているようだが、一切を預けたとき、そこには永遠の時空があらわれ、現実の様々な出来事が時間を消費していくことになる。つまり飛行機の中では、あれやこれや消費できる時間が次々と訪れると感じるのである。
それはさておき、今回の旅行では費用を安くするために、帰路は福岡空港乗り継ぎ便となって、冷や冷やが50%増しであった。
鹿児島に足を踏み入れる
鹿児島市は当然のことであるが鹿児島県最大の都市である。
人口55万人商圏人口は70万近い南九州最大の中核都市である。正直今回旅行するまでもっと小さな田舎町と思っていた。
人口55万人の都市といえば、新潟や金沢を超える規模のまちとなる。九州は福岡、北九州、熊本に続く大都市である。錦江湾沿いに桜島を正面に頂いた細長い町になっているように感じた。ちょうど神戸の市街地のような形になっている。もっとも私が使った交通機関といえば、桜島へのフェリーと桜島内でのバスで、鹿児島市内では空港と結ぶリムジンバスだけなので、つまり歩き回った感覚なので正しいかどうかは判らない。
しかし2日2万8千歩、3日1万3千歩、4日2万4千歩歩いたので、一日に直すと平均で15Kmぐらいは移動している。はっきり言ってもう嫌と思うぐらい歩き回った。それも2日目3日目は京時雨なんてなんと生やさしいと思うぐらいの、降ったり日が射したりの鹿児島時雨?の中をである。

明治維新で止まった町?
さて鹿児島の町を観光すると言えば、誰もが思い浮かぶ西郷さんと桜島となる。
桜島は2日目に観光したのでまずは西郷さんである。
ホテルに荷物を預けて、まずは西鹿児島駅に向かった。ここを起点に高見橋(大久保利通像)〜維新ふるさと館〜加治屋町周辺〜天文館〜照国神社〜城山公園〜薩摩義士碑〜鶴丸城跡〜フェリーターミナル〜ザビエル上陸記念碑〜祇園之洲公園〜石橋記念公園〜ホテルとざっと20数キロ一日かけて歩いた。
歴史旧跡はすべて明治維新や開国にまつわるものばかりである。
薩摩藩主島津斉彬の近代化政策と薩英戦争、薩長同盟と戊辰戦争、明治維新をめぐる日本近代化政策と西南戦争、さらには日清日露戦争から大日本帝国の確立へ……これらが洪水のように無条件称賛で押し寄せてくる。
しかしである。確かに日本の近代化にとって明治維新は大変重要な役割を果たしたのであるが、以後近代百年の歴史をどう総括し受け止めるかは日本の未来にとってより重要になっている。
ここいらからの視点というか、反省というか、問題意識がすっぽりと抜け落ちていてちょっと怖く感じた。
もともと鹿児島は、地理的にも近世以降はともかく南方文化とはトカラ列島を境に分断されたところにあるようで、種子島への鉄砲伝来とかザビエルの鹿児島上陸などあるが、思ったより歴史的にアジアとは遠い様である。どちらかというと南方文化などを含め、もっとグローバルな文化を想像していたのであるが、どうも中世までの鹿児島はそのような位置にはなかったようである。
上手く言えないがある意味、近代の日本人を代表しているような所がある。町のあらゆる所にそれが、亡霊のように漂っていると感じた。薩長同盟から大日本帝国へと歩みを進めたわけで、当然といえば当然なのかもしれない。
押し寄せる桜島
鹿児島の町にとって桜島はシンボルであり、象徴そのものである。それはそれは圧倒的な存在感を持って錦江湾に居座っている。
高さ1117mの北岳を始め、1060mの中岳、1040mの南岳からなっている桜島は、周囲約36KMで今日も南岳火口から白い噴煙を吐いて錦江湾に鎮座している。
冬は噴煙も市内には降らず、澄み切った穏やかな錦江湾にそびえ立っている。もっとも地元の人曰く、夏には噴煙=火山灰が降り注ぎ、雨でも降ればうっとしい事この上ないとか!だから地元では火山灰のことを屁と呼ぶらしい。
桜島へはフェリーで約15分で到着する。観光やリゾートとはほど遠い農業の町と言った感がある。気候温暖で火山さえおとなしかったら、山の桜島大根やミカン栽培、海ではハマチなどの養殖で豊かな生活が成り立っている。
観光面でもそれなりの開発も進んでいるようであるが、北岳などへの登山が全面禁止されていることもあって、温泉などもまだまだひなびた地元休憩所といったところである。
観光には桜島定期観光バスによる半日観光コースがある。わずか1700円でたっぷりと島内を案内してくれる。あいにくの雨降りの中ではあったが、ガイドさんの楽しいおしゃべりなどで退屈することなく島一周の観光を楽しめた。
バスでの観光のあとは、白浜温泉センターに町営バスに乗り出かけた。ここで遅い昼食をとり、ゆっくりと温泉に浸かり疲れを癒して鹿児島に戻った。
最終日も雨
この日も朝から雨で、京時雨などという生やさしいものでなく、強烈な雨が降ったかと思えば、真っ青な空と太陽が照り、錦江湾には桜島への虹の架け橋がかかるといったぐあいである。
なんとか雨をしのごうと、まずは鹿児島県歴史資料センター黎明館を訪れた。大変豪華な施設で、それなりに見るべきものもあったが、はっきり言ってソフト面はお役所と言った感じであった。
雨の中ナップサックと厚着で訪れた小生が、効きすぎる暖房に苦労し、上着で大きな荷物になったナップサックを背負ってみていたが、荷物を預けるロッカーがありますよとの声一つ掛けるでなかった。説明員とかいう人は沢山居たのであるが……
確かに入り口には無料ロッカーと表示はあったが、一介の観光客にはおいそれとは判らない。まして車ではなく歩くことを主にしている私にとって、ちょっと声を掛けてもらえばどんなに助かったことかと思うと残念でならなかった。
ちなみに維新ふるさと館では最初に荷物預かりますよと声がかかり、館内を楽しくゆったりと見て回れました。
このことは決して人ごとではない。実は私もサービス業に従事している。サービス業にとってソフト面がどんなに重要か肝に銘じなければならない。施設が良ければ良いほど、ソフトが欠けるとお客さま不在となり、やっぱりお役所仕事と思われてしまう。
余談になるが、小生はよく観光地に行くとこうした資料館や博物館などに行く。その折、よけいな人が見学に来ているというような目つきで見られることが多々ある。せっかくの観光資源を無駄に浪費しているなと感じる。もう少しなんとかなら無いものだろうか?
リピーターになるかどうかがこの接待にかかっているのに!!
そんなこんなで黎明館をあとにして、次に西南戦争の銃弾の痕が生々しい私学館跡を訪れました。石垣にあちこち穴が開いているのが銃弾の痕である。京都御所の蛤御門にも銃弾の痕があるが、比べようもないほど生々しいものである。
このあと坂本龍馬とお竜新婚の旅碑のある天保山に向かった。
シーサイドブリッジからの桜島の眺めはまた格別のものであった。錦江湾をまたぐ鹿児島から桜島への虹の架け橋は本当に美しいものでした。今までこのようなくっきりした虹を見たことがなかったので、これだけでも嵐の中シーサイドまで来た甲斐があった。
アクセスその他
今回ホテルはHOTEL & RESIDENCE 南州館 http://www.nanshukan.co.jp/で、町の中心地にありました。お正月プランの特別割引で、2泊2朝食付き税サ込み9050円の格安で宿泊することができた。
部屋も広く食事も申し分のないものであった。
予約はインターネットで行い、ネット割引が付いたお得なプランが家庭で居ながらにして組めた。
また飛行機は仕事のスケジュールがはっきりした翌日にネットで予約したのであるが、すでに帰りの特割枠はいっぱいで、仕方なく福岡乗り継ぎの特割をゲットした。
ちなみに出発便も朝一(伊丹7時40分発)にのみ特割座席が空いていて、我が家を5時45分に出発となった。
チケット予約をネットでしたのは良かったのですが、予約番号を記録し忘れてセンターに問い合わすことになってしまった。何しろチケット引き替えには予約番号が必要なのですから。しかし今回ネットの威力を本当に感じました。飛行機の時間から値段まで瞬時に自宅のネットで確認し予約し、さらに支払いまで完了することができた。
自宅から伊丹へのMKタクシーも実はネットで予約完了した。
また鹿児島の観光案内も、ネットで鹿児島市観光課に問い合わしパンフレットを送って頂事前に十分なプランをくむことができた。実のところ本屋等で観光案内を調べたが、市内の詳しい案内が見つからなくて困った。こんな時ネットは本当に役に立つ。瞬時に検索問い合わせが可能となる。みなさんも大いに活用されると良い。

記 2003年1月吉日