2012年秋糸魚川フォッサマグナを訪ねるたび
第一日目 糸魚川フォッサマグナを訪ねる
サンダーバード一号で糸魚川へ向かう
第一日目は、いつもの通勤のあさより早く二条駅に向かう。
毎日通勤で乗る電車を京都駅で降り、改札に向かう頃ちょうどサンダーバード一号が京都駅0番線につく。理屈で言えばいつも乗る電車で間に合うのだが、
何かのことでちょっと遅れると乗れないことになる。
今回指定席をJRe5489を使って
インターネットで手に入れた。特急料金は大幅割引されているが、何かの都合で列車を変更することができない。乗り遅れると丸損になってしまうという指定席券である。
特急券代は大幅にやっすくはなるが、受け取ったら最後変更が効かないのはちょっと使いづらいところがある。
しかしパソコンで予約でき席も指定できるので便利ではある。理屈では乗る直前に駅で切符を受け取れば列車の変更も可能となる。旅行を取りやめることがなければ絶対お徳である?
サンダーバードに乗れば、3時間弱で富山に到着する。待ち合わせなく直江津行きの普通列車に乗り11じ半にはもう糸魚川に到着である。
魚津を過ぎたあたりから立山連峰が非常にきれいに見えた。ただ天候が曇り模様なので、晴れればもっときれいに見えると思い写真は帰路に撮ろうと思い眺めるだけにととめたところ、
帰りの列車では晴れたものの、かえって霧が出ていてまったく迫力不足の立山で大いにガッカリするやら、判断の甘さを悔いました。
そんな訳で迫力ある立山連邦を記録に残すことができませんでした。鳥の写真もそうですが、シャッターチャンスは何度も来ないことを改めて思い知らされた。
列車からのシャッターチャンスとして、晩秋の日本海を想定していたのですが、これも失敗に終わりました。親知らず、子知らずの断崖にへばりついた列車のトンネルから
荒れる日本海の迫力ある写真を……なんて考えていたのですが、まったくそれは妄想でした。
やはり列車の外から、荒れる日本海の断崖とトンネルを走る列車これしか表現する方法がないようです。
少なくとも小生では、列車の中からこれを表現する写真を撮ることはできないと思った。穏やかな海岸線が見えたときもうそこは糸魚川であった。
先ずは糸魚川ブラック焼きそばをいただく
糸魚川は残念ながら雨模様である。昼なので早速駅併設のヒスイ王国会館の食堂で昼食をとる。やはり名物のここは糸魚川ブラック焼きそばにする。何がブラックかというとソースがブラックである。
イカ墨を使って焼きそばソースができているのであろう。町中いろいろな食堂で出されるようだが、
小生はこの王国会館一食しか食していないのでこのブラック焼きそばがB級グルメとして生き残れるかどうかは評することはできない。
小生が食したものはちょっと迫力不足という感じがした。もっとパンチを利かし、新鮮な烏賊刺しを添えるとかの工夫が必要に思えた。
それはともかく地方で名物が創られ繁栄する事はよいことである。
天気がよければレンタサイクルを借りてフォッサマグナ見学をと考えていたが、雨模様で断念する。
糸魚川街めぐりバスが運行されているので先ずはそれに乗ってフォッサマグナミュージアムに向かうことにした。
しばらく時間があったので街をぶらつくことも考えたが、あまりにも何もない寂れた感じで断念し、王国会館内でみやげ物を見る。
名前は王国会館なれど観光客もなくなすすべもなく休む場所もなくバス停で時間をつぶすことになった。
フォッサマグナミュージアムを訪れる
糸魚川街めぐりバスで約10分でフォッサマグナミュージアムに到着である。
ファッサマグナの見えるところに建設されているとばかり思い込んでいたが、
実際は糸魚川市の縄文時代の大規模遺跡があった長者ヶ原遺跡のところに建設されたミュージアムであった。
展示もどちらかというとファッサマグナとは何かという説明と、ヒスイを中心とした岩石であった。この頃になると雨もきつくなり、長者ヶ原など散策もままならなくなりました。
ここで学んだことはファッサマグナと糸魚川ー静岡構造線とは別のものだと言うことでした。
糸魚川ー静岡構造線はいわゆる活断層のことをさすのですが、ファッサマグナは巨大な大地の割れ目をさす。日本列島と日本海ができたときに、
つまり地球内部からマントル(正式にはマントルダイヤビル)が吹きだし、大きな割れ目ができたそうである。
日本列島はこのマントルの割れ目に沿って、糸魚川から北側は反時計回りに、
南側は時計回りに広がり日本列島は逆九の字型になったというのである。
日本海側は糸魚川から新発田、太平洋側は静岡から千葉を結ぶ日本列島を横断する大きな溝があるということです。深さは6000メーターある。
ちなみに関東山地と呼ばれる地域のみが古い列島で、それ以外はその後の海底火山の爆発噴火ででき堆積したものそうである。
ナウマン博士が八ヶ岳あたりを調査していたときに、この溝=fossaフォッサを発見したので、
ラテン語で大きな=maguna大きな、溝=fossaで、ファッサマグナといわれているそうである。
はっきり言って小生もこのたびをするまでは、糸魚川ー静岡構造線と同じものだと思っていました。今回まったく違うものであることを認識した。
どちらかというと日本列島は南北からぶつかってできたと思っていたのですが、どうも逆で南北に逆九の字に広げられたのだと分かった。
こうしたフォッサマグナが創りだす地球の不思議がジオパークとなったのである。日本語で言えば地球の見世物でしょうか?
といっても、やはり糸魚川ー静岡構造線、日本を横断する大活断層が見れるジオパークに行かなくては話にならない。
雨のフォッサマグナパーク
フォッサマグナミュージアムでフォッサマグナパークへの行き方を訪ねたところ、タクシーしかないとの返事。
事前に雨のときの移動方法など研究していなかったので、素直にタクシーにした。
タクシーにして15分ぐらいの距離ではあるが、バスはない。タクシーの運手手さんによるとバスは朝夕しかなく、土日はさらに間引きされているとのことでした。
実はJRの駅がすぐ近くにあったのですが、ミュージアムからJRが遠く、2時間に一本の列車は紹介できなかったと判明しました。
パークに着いた頃には雨は本格的な降りになってきた。合羽を着て傘をさしていても足下はびしょ濡れである。鉱造船はパーク駐車場より20分ほど歩いた山の中にある。
雨を突いてようやく到着する。誰もいないが、説明版もあって記念写真を撮る。
雨がますますきつくなる。パークの中は雨宿りするところもない。仕方なくバス停を求めて歩きだす。
パークから大糸線の線路が見えたのでバス停を探しつつ線路方向へ、そこまで約一時間雨の中を歩く。
バス停はまったくなかったが、線路の先に駅を見つけた。大糸線の根知駅である。無人ではあったが雨をしのぐことができた。
電車は2.3時間に一本。次ぎの電車まで約2時間駅で雨宿りすることになった。
周りには商店ひとつなく、ただ雨がしのげるだけというだけ。それでも大変助かりました。雨の中バスを求めて歩いていたらと思うとぞっとする。
まだ午後4時前というのに薄暗くなり、駅舎の電灯が自動で点いた時にはほっとした。
待つこと2時間ようやく糸魚川行きの電車が入ってきた。ところがドアの前に立つもドアは開かない。
どこかボタンを押すのかと探すがどこにもボタンは見当たらない。
仕方ないので運転席の窓を叩いて運転手さんに乗車方法をたずねりると、
不思議そうな顔をしながら、手で開けてくださいと教えていただいた。電車は一両のワンマンカーで、のり口は後ろにあり、降り口は運転席のある前についている。
乗り方が分からないので前まで走っていって、乗り方を教えていただいたのだが、電車が発車しないか心配した。
電車で10数分、無事糸魚川駅に着き予約してあったビジネスホテルに投宿した。到着が夜になったので、朝ホテルの窓に、越中、越後を隔てる山々が雪に輝いているのには本当にびっくりした。
第二日目 光り輝く青海海岸を歩く
糸魚川市内から青海海岸駅を目指して海岸を歩く

昨日の荒天とは打って変わって今日は好天でした。午前8時過ぎにはホテルを後にして早速街中の見物に出かける。
もっとも何かがあるわけでもないので、ジオパークの散策をかねて、隣の青海海岸まで海岸沿いを歩くことにする。
糸魚川の中心商店街は昔ながらの雁木作りで、今で言うアーケド街になっている。雪が降ってもここに来れば店が開いて人でにぎわっていたのだろう。
もちろん今では誰も見向きもしないのかもしれませんが、もっと観光資源として売り出す必要を感じました。
越後の雪深いこの地方独特の町並みなわけだから、ヒスイだけでない売りも考えても良いのではと思う。
さてこの雁木商店街を10数分歩くともう市街地は終わりとなる。
後は海岸沿いのセメント工場と立ち入り禁止の姫川港をを横目に眺めて一路姫川に向かう。
姫川橋を渡るまでは何の変哲もないセメントを中心としたコンビナートである。トラックごと通れそうな大きな配送用管路があった。
宇部興産の専用道路ほどではないがセメントを港から運び出す大きな設備が目に留まった。
姫川橋を渡ると青海海岸である。日本海の荒波が海岸に押し寄せてくる。一方山側には立山連峰につながる山々と信濃と越後を分ける雨飾り山が雪で輝いている。
景色は申し分ない。もっともそれ以外何もない。時間があれば海岸のヒスイ探しという手もあるが、どうも角ばっているとの説明であるがさっぱり見分けがつかない。


縄文時代に一大集落があった寺地遺跡にも立ち寄る。但し佐賀の吉野ヶ里遺跡や三内円山遺跡などに比べて、観光客向けのものがまったくなく寂れていた。
縄文時代、ここからヒスイが加工され、勾玉が創られ全国に届けられたのである。そんな重要な遺跡であるが、観光用に開発されていないので立ち寄る人も管理する人もいない。
また青梅自然史博物館の前庭には、日本一大きなヒスイの原石が飾られていた。もっとも小生には普通の岩との違いがよく判らなかった。
もっとも盗難の憂き目にあったとかで、厳重な警備、といっても機械監視だがされていた。
昼ごはんを求めて親知らずを訪ねる
青海海岸駅には食事をするような設備は何もなく、駅員さんが隣の親不知駅に行けばすぐ近くに道の駅がある。そこなら食事もできますよ。
次ぎの電車までの約一時間半ぐらいなら十分時間をつぶせると説明を受け親知らずに向かった。
駅の説明では歩いて10分ほどで道の駅につくはずであったが、実際は30分以上かかった。食堂も結構人がいて名物たら汁を注文して
、食べ終わって駅にひき返したらもう次ぎの汽車の時間になっていた。
親不知・子不知は北アルプスがそのまま海に落ち込んでいるところである。東西の分かれ目であり、越中と越後の境である。
見るところは一杯あるが、歩いてみて廻るのは無理がある。
最後にパンフレットから名の由来を紹介する。
一つは、危険な波打ち際を通る時、親は子を、子は親を顧みる余裕がなかったことからというもの。
もう一つは、鎌倉時代のはじめに、京から越後へ移った平頼盛を追ってここを通りがかった夫人が、懐から落とした一子を波にさらわれてしまい、
悲しみのあまりに詠んだ次の一首に由来するというものです。
「親知らず こはこの浦の波沈 越路の磯の泡と消えゆく」
氷見駅からホテルは遠かった

夕方氷見駅に着いたのであるが、ホテルへは徒歩しか交通手段がなく、しかも4キロ以上も離れたところにあった。
もともともう少し早く氷見に着ければよいのであるが、
この氷見線も大糸線以上に電車が走っていない。
駅に着いたら真っ暗で、タクシーか徒歩かである。即座に歩くことを決め40数分全力で歩く。
知らない街を日が暮れてから歩くのは難儀である。どれだけ歩けば目的地に着くか分からないし、もし道を間違っていても尋ねる人もいない。
氷見市も夜になると人が歩いていない寂しい港町である。それこそタクシーをと思っても拾うこともできない。
幸いにも事前に地図をいただいていたので、直線的に最短時間でホテルに到着できた。、
一人旅で、食事つきのホテルとなるとなかなか制約があって、今回のようにルートイン系になるとどうしても国道とかインターチェンジとかに隣接していて、
JRの駅からは意外と遠いのである。ルートインは大きな風呂があるところが多いので小生は好きなのであるが、徒歩の一人旅ではなかなかヒットしない。
ホテルでは天然温泉につかり、レストランで、豪華なしゃぶしゃぶ定食をいただいた。
朝食はそれなりに良かった。
第三日目 氷見市を散策する
寂れた港町
今回氷見を訪れたのは特段の目的が会ってのことではない。しいて言えば新鮮なお魚が食べれればとの思いでした。
事前にパンフレットなども氷見市より送って頂いていたのですが、自動車なしの人には不便極まりがなく計画たたずの状態で訪れる結果となった。
氷見港だけではなく、雨晴海岸に行くようにすればよかったのであるが、
どうも雨晴海岸は高岡市になるようで案内が連携してなくてレンタサイクルを借りるチャンスを逸してしまった。
帰りの列車からこの雨晴海岸の人出の多さを見て次ぎの機会には訪れようと思った。
氷見市は忍者ハットリくんの生みの親、藤子不二雄Aさん出身地とかで、漫画での売り出しに懸命である。
境港には行っていないのでなんともいえないが結構さえてるように感じた。
湊川リパーウォーク・カラクリ時計などはなかなか見ごたえのあるものであった。もう少し茶店等の休憩場所が市街地にあると良い。
どうも食べ物屋が氷見番屋街に集中していて、自動車で氷見を訪れた人には良いが、ぶらぶら族には不満が残る。
寒ブリが上がる頃となり海も荒れるのかもしれないが、氷見港の遊覧船まで休航に入っていたのには驚いた。一応まだ10月の連休中であったのだが……
氷見の海岸からの立山の景色はなかなか雄大で一見の価値はあった。
どこも熱心な町おこし
漫画での町おこしの写真をいくつか紹介する。
ハットリくん列車の運行。光善寺の漫画キャラクターの石像。ハットリくんポスト。巨大壁画。湊川カラクリ時計等々。

昼には名物?氷見うどんなるものを頂いて、高岡よりサンダーバードに乗って帰路につきました。途中金沢と福井に止まって次が京都であった。これには驚いた。
記 2012年11月吉日