2005年5月にようやく旅に出る

念願の八戸の旅が実現する

実のところ昨年の春、是非とも八戸に行こうと思いたち、八戸市観光課に資料送付を依頼した。送られてきた資料をもとに、あれやこれやと計画を練り八戸の旅を準備していた。ところが肝心要となる飛行機の手配、つまり航空チケット入手に失敗し旅行はあえなく中止となった。
バーゲンフェアの片道1万円、往復2万円での伊丹ー青森往復を前提に、お気楽にも旅行を計画していた。チケットがとれると確信していたのには訳がある。第一は一昨年の秋田行きがうまくいったこと。第2は、これが錯覚のポイントであるが、新たにWeb会員優先の早期予約サービスが始まったこと。何の根拠もないのに、これに安心しチケットはとれると確信しきっていたわけである。
ところがどっこい、早期予約もすさまじい競争に全く変わり無かった。受付開始日の夜、会社から帰って申し込もうとWebを開いたら、伊丹ー青森はJAL朝夕2便の運行しかないからか、すでに申込枠は一杯と早期予約の申込自体を断られてしまう。一般申込の日、会社を休んでチャレンジするしかバーゲンチケットを入手する方法がなくなってしまった。今までの経験から言って、これはもう入手不可能との結論に達する以外ない。バーゲンフェアのWebは、つながらない空きがないが常識になっている。正規運賃の予算などあるわけもなく一旦断念せざるを得なくなってしまった。
一方このころ小生の勤める会社は、空前の機構改革?の真っ只中に突入していた。さすがの小生も数カ月先の休暇予定などとても立てられない状況になってしまった。数カ月も先から予約が必要なバーゲンチケットの入手それ自体困難になったわけである。皆さんも知ってのとおりバーゲンフェアーのチケットはキャンセルも便の変更も出来ないから、仕事が入れば2万円どぶに捨てることになる。休みを取ってようやくチケットは入手出来る。しかも仕事によっては、旅行をキャンセルせざるを得なくなる。ちょっとリスクが大きすぎるのである。
正規運賃でいけるほど裕福ではないから、おのずとこの旅行は宙に浮いた状態になった。
それから一年、せめて一ヶ月前ぐらいの計画で安くいける方法がないかと調べていたところ、ある日、JTBの「出張名人」というホテルと飛行機のみのフリープランがあることを見つけた。
バーゲンに比べると勿論割高ではあるが、それでも正規運賃に比べれば半額近い安さである。ホテル代金を含めたトータルではお得といってもよい。その時八戸に行くならこの「出張名人」と心に決めていた。
さて2005年の正月は、孫が産まれたこと、年末年始つまり正月宿日直体制の抽選メンバーになった…結果的には運良く?外れになったが…、こんなわけで久々に自宅で迎えることになる。
その後も、とても旅を計画できるような状況…主にどちらかといえば精神の面でであるが、にはならなかった。こうして半年以上どこにも行けない状態が続いた結果、旅に出るエネルギーが肉体的にも精神的にも充満したわけである。4月末、5月の末に三連休が可能と判り八戸の旅を決断する。早速ゴールデンウィークの一日JTBに出かけ、チケットを予約し念願の八戸の旅を実行するに至ったのである。
準備期間はわずか数週間である。したがって前回たてた計画を踏襲し旅に出かけることになる。
蛇足になるが、「出張名人」は実のところ枠がすでに一杯で、「出張名人」のチケットは入手出来なかった。JTBの窓口で応対していただいた、目のくりくりしたお嬢さんのお勧めで、JALツアーズ「空旅」でチケットを取ることが出来た。しかも結果的に、これが一番安いチケットだった。JTBまで出かけた甲斐があったというものである。
ちなみに青森往復と、ホテルJALシティー八戸朝食つき2泊で、44800円であった。

事故続きのJAL機でしたが無事飛行

事故続きのJALで不安を覚えつつ青森へと飛び立った。JALの事故続きが気にはなっていたが、青森へはこのJAL便しか無くANAでというわけには行かない。
さてこの飛行機であるが、伊丹を飛び立ってシートベルトのサインが消える頃には長浜の上空あたりを飛んでいる。これには本当にビックリする。さらに10分もするともう日本海の海岸線に達する。
あとは佐渡、粟島、飛島と眺めているともう男鹿半島と八郎潟が見え、シートベルトサインがでてくるや青森空港着陸となる。正味の飛行時間は60分ぐらいである。本当に早いと思う。
ところで飛行機はやはり離陸後の数分間が一番嫌である。グ、グウと加速度を感じながら上へ上へと上がっていくのであるが、しばらくすると加速度感が消えスピードが落ちていくように感じる。機首を上に向けた機体が失速し、斜めのまま後部を下にそのまま落ちていくような錯覚を覚え不安感に包まれる。こんな思いは小生だけなのだろうか?
そうこうしているとシートベルトのサインが消え、もう京都か奈良を飛び越えて滋賀北部を飛んでいるのである。このとき改めて飛行機の速さを実感する。時速800キロ以上で飛ぶわけだから当然といえば当然であるが離陸直後の飛行距離にはいつも驚かされる。
この飛行機は上空1万メーターに達したら、もうあとは着陸にむけてスピードと高度を落としはじめているように感じる。 JAL機は陸奥湾上空をゆっくりと旋回し、午前十時前に無事青森空港に着陸した。

まずは三内丸山遺跡をめざす

青森空港に到着しまずは三内丸山遺跡をめざした。空港からのアクセスはバスが無く、唯一のタクシーに乗り込み約20分で三内丸山遺跡に到着する。
10時半前にはもう三内丸山遺跡に到着した。早速荷物をロッカーにあづけ園内の見学を開始する。巨大な櫓や、様々な竪穴式住居、出土した土器類の展示などをじっくりと見て回ることが出来た。
三内丸山遺跡は平成12年に国の特別史跡に指定されている。今から5500年〜4000年前1500年間の長期に渡って縄文人の定住生活が営まれていた貴重な遺跡である。その広さは39ヘクタールにもなるとのことである。
縄文時遊館や三内丸山遺跡展示室、ドームで保護された遺跡のあとなどがある。一通り見て歩くだけでも結構な時間が必要となる。
佐賀県の吉野ヶ里遺跡に比べるて若干もの足らない面があったのも事実である。何がといわれると困るが、ちょっと遺跡の復元などで絵になる光景が少ないように感じた。もっと人形などを駆使して生活の再現がされると良いと思う。もちろん展示品をはじめ、縄文時遊館というりっぱな施設もあり大変興味深く見せていただいたのではあるが……
この北の大地に、1500年に及ぶ長期の定住生活が営まれていたことには驚かされる。まだまだ発掘が続いており、これからさらに縄文文化をイメージ豊かに想像させるよう変貌していくであろう。今後に期待したい。
さて午後一時過ぎ一回り見学を終えたので、縄文時遊館にあるレストラン五千年の星で縄文定食「五千年の星御膳」を頂いた。縄文人の食したメニューとのこと、鹿刺しが出たのであるがこれが馬刺以上に美味しかったのにはビックリした。腹一杯なるとドット疲れが吹き出してくる。もう遺跡の見学どころではなくなり、日向でうとうとしてしまう。早々とおみやげあさりをし帰り支度をしはじめる。

本八戸は遠かった

三内丸山遺跡をあとにし八戸に向かう。青森から特急で約1時間強かかる。八戸は漁業と工業の町、青森県第2の都市である。
なぜ八戸かと問われて、これと言った答えがあるわけではない。しいていえば昔知り合いが八戸出身で、明治新政権による南部藩分割の歴史や、八戸の漁業とりわけ烏賊の水揚げなどについて語っていたことが、何となく脳裏に残っていたからであろう。
八戸港の漁獲高は、日本のなかで焼津港、境港に続いて第3位である。また烏賊の水揚げでは日本一を誇る。漁業を主産業にする北日本有数の港町である。
ま、こんな程度の知識しかなかったのであるが、あるいて町を知るを実践しに、烏賊刺しを食べに八戸に来たのである。
夕方4時過ぎ、JR八戸駅に降り立った。そして躊躇なく中心街の本八戸に向かって一路歩き始めた。地図もなく、案内もない中でままよ歩けとばかり突きすすんだ。が、歩けども歩けどもいっこうに市街地は現れない。
JR2駅、本八戸までは5.5キロであるが、それは三角形の最短を鉄道が走っているような構図になっていた。実際の道路は遠回に出来ていた。二辺を廻るように歩いた結果1時間半かかってホテルに到着した。見知らぬ町のウオーキング、疲れ切っていたのと何時着くのか判らない不安で、実際より一層時間がかかったように思えたものになってしまった。
さすがの私も、ホテルに着いたときには心底ほっとした。
一休みして早速烏賊刺しを食べに出かけた。夕食は大変美味しかった。
第一日目の歩数は19390歩であった。

三八城公園と根城の広場

二日目の朝、まず本八戸駅にむかう。午後からの種差海岸への時間や、翌日の青森への移動計画を練る。
事前に駅の位置確認と観光案内などのチェックをしておかないと、ちょっとしたミスで電車を逃したり、町のお勧め観光を見逃したりすることになるわけだ。
しかし本八戸駅では情報が少なく、結果的に不十分なものに終わり後で多いに苦労することになってしまった。
そのことはともかく、この後すぐそばにある二万石八戸南部藩城跡の三八城(みやぎ)公園を訪れた。特にどうのこうのはない公園であった。
次に向かったのが根城の広場である。ここは南北朝時代から江戸時代初期まで根城を城とした南部氏の城跡である。その本丸跡に中世の建物を復元した日本でも珍しい施設になっている。八戸博物館とともに興味深く拝見する事が出来た。
一時間ぐらいで退散しようと予定していたが、以外と見学に時間が取られた。ちょっと時間潰しにと立ち寄ったのであるが、思った以上に興味深く見て回れた結果である。根城から博物館と見て回り終わってみたら12時を過ぎていた。
あわててここから八戸駅に向う。八戸駅まで4〜50分ぐらいかかる。バスでも行けたが、駅舎が近くに見えたのでやはり歩かねばと思いてくり通した。
八戸駅で鮫行きの列車が出発するまで約20分ほどあったので、昼飯を食べることにする。ちょっと時間が気にはなったが、せっかくの八戸での昼飯なのでここは奮発し大枚1000円以上の八戸名物せんべい汁を注文する。野菜鍋に肉とせんべいが入っているというものである。前から一度は賞味してみてはといわれていて念願が叶った。だしがよく利いていてとても美味しい鍋である。何となく雅な味がし、こういうと失礼だが、とても東北の食べ物とは思えない薄味の上品な味がする。
今回の旅でいちご煮というものも頂いた。これはウニとアワビでお吸い物風にしたもので、ウニが朝もやにけむる野いちごのように見えると言うことに由来するとか。これもだしがとても上品で、薄味でとても東北の食べ物には思えない。どちらも関東風というより関西風の薄味であったのが印象深い。
ともあれ昼ご飯を無事頂き腹一杯になって電車に乗り込めたのである。もっとも予定の電車から2時間以上遅れていた。

まずは種差海岸に向かう

種差海岸は次のように紹介されている。
「八戸の海岸線が行楽や風光で注目され始めたのは、明治20年代のことでした。八戸の人々を中心に風景のすばらしさが紹介され、石川啄木の友人、内田秋交が鮫海岸を逍遥したのは30年代末。明治41年には島谷部春汀の紹介で名文家として知られた大町桂月が鮫〜種差海岸を訪れてその風景を絶賛して以来、全国に知れ渡るようになりました。柳田国男、釈超空、棟方志功、関野準一郎、狩野享吉、壇一雄、玉川一郎、三木卓、俵萌子、松岡洋子、磯村英一、色川大吉……など百を超える文学者、芸術家の作品や、文章にその印象が描かれています。」
鮫駅を降りてバス案内をみると、ちょうど種差海岸行きのバスがでると判りこれに乗車した。ワンコインバス ・うみねこ号で、100円で乗れる。
種差海岸に着くや、この種差海岸から鮫駅にむけ、この種差海岸沿いに作られた遊歩道を一生懸命歩いた。はじめの計画では鮫駅まで歩くつもりであったが、時間が無くなったことと、寒さで体力が持ちそうになくなったので半分ほどはバスで移動した。雨は免れたが、風が強くちょうど花冷えの頃のような肌寒さの日であった。
到着時間の遅れは決定的である。白浜海岸や、太平洋を望む葦毛崎展望台などはカットすることにする。再度訪れる機会があれば今度は一日かけて歩こうと思う。ともあれ三陸海岸のもっとも北の端とはいえ、種差海岸のグリーン芝が生えた緑豊かな海岸線は驚きのものがある。
途中ももちろんワンコインバス ・うみねこ号に乗っての移動である。事前の調査、といっても一年前の調査では、このうみねこ号は7月から9月に運行され、それ以外の季節は汽車しか移動手段がないとなっていた。きっと昨年好評だったのだろう。今年は5月より開始され日に8往復していたのである。知っていれば少し計画が……。
本八戸駅で一応事前調査したのだが、残念ながら目に止まらなかった。実のところ根城を見て回るうちに、種差海岸はあきらめていた。鮫駅から先に行く電車は乗り遅れた結果?すでになかったから。
新幹線の開通で観光に力を入れている八戸ではあるが、市内バスの運行ルート表示や交差点名の標識など、観光都市にはまだまだと思われる。
この点では京都はやはり進んできているように思う。

ウミネコの島蕪島

次に訪れたのは蕪島である。まずは八戸水産科学館マリエントに立ち寄って、事前に蕪島について学習する。訪れた町を知るためになるべくこうした施設には寄るようにしているが、何処もなかなか特色がだせず、がっかり施設が多い。ここも……。
このマリエントから蕪島へは5分ほど海岸線を歩くのだが、驚きと感動にあふれた散歩となった。
蕪島からは絶えずウミネコの鳴き声が聞こえ、群がるように飛び交うウミネコの姿が、近づくに連れて鮮明に、鳴き声はよりすさまじく聞こえ、目の前の海岸にはウミネコの大群が飛び交うのである。
さて到着した蕪島といえば、もうウミネコだらけである。
パンフレットの案内には次のように書かれている。
「国指定 ・天然記念物蕪島 ウミネコの繁殖地として天然記念物に指定されいます。毎年3月中旬頃に数万羽のウミネコが飛来産卵します。」
もうここはウミネコの天下である。ウミネコは逃げるどころか、この時期はちょうど産卵から孵化の時で、ひよこがいる親鳥の側を歩こうものなら足下をつついてくるのである。野鳥に襲われたのは?始めての経験であった。
町では島の周囲を金網で囲い、天敵の進入を防ぐとともに、犬などのペットの散歩も周辺50メータ以内に近づくことをを禁止している。こうした手厚い保護の結果、全く人間を恐れないウミネコの集団繁殖地が形成されたのである。それはともかく豊かな北の海が作り出した自然の驚きである。一度は訪れてみることをお勧めします。

八戸の味……烏賊とほや

今回の旅で烏賊刺しとほやを食べるという目的は結構重要な位置にあった。旅に出て、その地方独特の名物を食するのはなんと言っても最高の楽しみのひとつである。
となるとここ八戸では、烏賊となるわけである。なんと言っても水揚げ日本一である。どこに行っても烏賊がでてくる。 居酒屋のお通しから始まって、ホテルの朝食まで必ず烏賊がでる。食べ方も烏賊刺し、烏賊そうめんは当たり前、烏賊徳利でお酒を頂き、イカめしにしてご飯を頂くのである。
次の名物はやはりほやではないだろうか?軟体動物の一種で独特の化学臭がある。馴れると案外はっまてしまう食べ物である。足が速いのであろうか、関西ではほとんど見かけない。
2日続けて食したが、あまりの味の違い…一日目のものはほや独特の臭みがなく、2目のものはこれぞほやと感じる強烈なものであった…天然物で鮮度が良くないと本来のほやの味ではなくなるらしい。これにも養殖とかがあるらしい。
もちろん三陸海岸は一番北の果てに八戸があるのだから、海産物は何でも来いで美味いものだらけである。ボタンエビ、ほたて、うに、いくらあげれば切りがない。おかげで今回はこうしたものを存分に食することが出来た。
2日目の歩数 29663歩

3日目は青森市内を散策する

この日はまずは八戸から電車で再度青森に向かう。昼前には青森に到着した。夕方まで時間があるので土産物の調達や、空港へのバスを調査して市内散策にはいる。
まずは目の前のアンパムなる建物の有料展望台を訪れた。天気のいい日には北海道まで見えるらしいが、この季節海に霧がでるとかで、津軽海峡はともかく竜飛岬もなにも見えなかった。これも日頃の行いの結果と諦めるしかない。
そのあと八甲田丸まで歩いてみたが特別のことはない。その先には津軽海峡冬景色のなにかがあるらしいが、まったく寂れていて案内も錆だらけでよく判らない有様である。歌碑などは訪れるのが面倒になってやめにした。
その後市内を歩いたが特にこれといったものはない。しかし旧東北本線の跡地が文芸の小道として整備され、駅あとが立派な平和公園となっていた。ここは市民の憩いの場になっているようである。小生もしばしの休息を楽しませていただいた。
それと市内の目抜き通には電柱がなく、電線は全て地中化され、そこから夏のねぶた祭の重要性が感じられた。
最終日は月曜日に当たり、ちょっとした施設がほとんど休館日となる。そんなこんなで本当に町を闇雲にあるいて見たに止まった。
3日目歩数は23310歩
            
  記  2005年6月吉日
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