初夏の秋田を歩いてきました。

なぜ秋田か?

今回秋田の旅を決断したののは、航空会社によるバーゲンフェアーのおかげである。バースディーの前後一週間は日本国内航空路で有れば片道1万円でどこでも行けるというもの。東北地方ははっきり言って関西から一番遠いように思う。北海道沖縄は観光を含めて航空路が発達し、また旅行社によるパックも様々売り出されて選択度も広くなり、比較的行きやすくなっている。 それに比べて東北各地へは、自家用車では遠すぎるし、新幹線を使っても時間がかかりすぎる。旅行社のパックは文字通りパックしかないのが実状である。 こんな中でこの航空会社のバーゲンフェアーは、「安く、早く、お気軽に行ける」千載一遇のチャンスである。余談であるが、この間ANAもJALも大バーゲン合戦を繰り広げている。小生のように「歩いて町を知る」をモットーのバックバッカーには色々な可能性がさらに拡大している。もっとも最近の国際線の旅客数激減を受けて、航空運賃は値上がりするとのこと。割引をうまく使うことができるないと度々旅に出ることができない。 秋田を含め東北各地には何度か仕事で出かけているものの、やはりじっくりとみて歩いたところは全くないと言いきれるように思う。誰もがそうであると思うが、仕事での旅行というものは私的な旅とはちょっと違うように思う。かの寅さんぐらいになると、そうでもないかもしれないが。 こんなあんなで何が何でも秋田と決めて、半年前から計画し実現した。 ちなみにこの次は八戸・青森をと考えている。

昼前には秋田市内へ

朝7時に自宅を出発し、MKタクシーで伊丹に8時過ぎには到着し、9時10分発JAS781便にて秋田に10時30分到着。リムジンバスに乗って約50分、秋田駅に昼前には到着した。  秋田への空の旅は2ヶ月も前から予約したおかげで、窓際の景色抜群の席をゲットすることができた。パック旅行では窓際なら翼があるし、大概が通路側と相場が決まっている。久々の快挙である。飛行機は伊丹から名古屋上空を経て、日本アルプスを縦断し新潟から秋田に飛ぶ。快晴で雲一つなくアルプス上空では、黒部ダムがまだ雪に閉じこめられている姿を望むことができた。時速880KMで飛行しているとアナウンスがあったが、黒部ダムをみてまもなく日本海が見えたのには本当に驚いた。狭い日本そんなに急いでどこへ行くという標語があるが、太平洋から日本海も本当に一瞬で行くものと感心した。日本列島の幅は100KMぐらいであるから、列島の真ん中にある黒部ダムから、日本海まで5分ぐらいで飛ぶのであろうか、それをさらに上空10000メートから望むのであるから、あっと言う間になる訳である。その後日本海の港や街が鮮明に望めたが、正直言ってどこの街かさっぱり判らない。 さて飛行最後の関門になる着陸も、全く衝撃のないスムーズなもので良かった良かったと内心ほっとする。しかし空港が近くになって飛行機が速度を落としながら降下するとき、エレベーターに乗って降りるときに感じるような、ある種の不安定さを感じるがこれがたまらなく嫌である。このままバランスを崩して失速するのではと恐怖を感じるのは小生だけでしょうか?正直なところ一万メートルの上空で、少々揺れても落下しても、落ちるという恐怖感はない。揚力を回復するには十分な速度と高さがあると確信できる。着陸時と離陸時はそうはいかない。失速即墜落となるわけで、数百メートルの高さからいや数十メートルの高さから墜落しても、あの世に行くしかないと思うのである。

まずは賑わう千秋公園へ

駅について早速予約していた男鹿半島を一泊2日で巡る秋田中央観光のバスツアー「つばき」コースのチケットを購入する。14:00出発とのこと、まだ2時間ほどあるので早速秋田藩主は佐竹氏の居城であった久保田城跡で、現在は公園として開放されている千秋公園へと向かう。秋田駅から歩いて約10分ぐらいの所にある。再建された久保田城表門を通り、御隅櫓と御物頭御番所を見学する。公園ではツツジとフジが満開で、家族連れや修学旅行生らしき学生らで賑わっていた。この日の天気は初夏の様相で、今年何度目かの夏日になりそうとのこと、多くの人が公園に集まってきたと思われる。25度を超える夏日になるといっても、Tシャツ一枚で街を行き交う人は少なく感じた。考えてみると京都よりやはり数週間は季節がずれているし、蒸すような暑さでないから長袖でも十分快適なのだろう。たまたま今回の旅では、暑い日が続いたのでTシャツ一枚でほとんどすましたが、夜は当然の事ながら上着が必需品であった。秋田はまだ、天気の具合では長袖のシャツや上着が必要となるまだ春の気候であった。

なまはげの里男鹿半島へ

鹿児島旅行の折り、桜島で観光バスを使って良い思い出になったので、今回秋田は男鹿半島に行くににも観光バスを使うことにした。 調べてみると、一日でまわるコースと一泊2日のコースがあった。秋田到着が昼過ぎになるので、それにあう一泊2日のコースを選んだ。泊まりは男鹿温泉郷になるが、それはまたそれで予約を取る必要がある。インターネット等を駆使して予約したのであるが、社団法人秋田観光連盟の方からパンフレットなどを送っていただいて初めて可能になりました。改めてお礼をもうしあげます。
一日目は海岸線を一路男鹿半島最北端の地、入道崎に向かって走りました。途中の海岸や山は大変美しく飽きない物であった。若いガイドさんがメモをみながらではあるが、市内のコミュニティーセンターの説明に始まり、沿道の窓から見えるあらゆる物を案内していただいた。またなまはげの起こりや、民話など歌を交えての説明があり、聞いていて飽きないし楽しかった。
男鹿温泉郷は入道崎からバスで10分ほどの所にある。但し歩いて入道崎に行くにはちょっと遠く、事前に夕日観光ツアーを知らなかったこともあり、入道崎での夕日はあきらめた。あとで行った方から一番印象に残る美しさだったと聞かされ、大きな無念さが残っている。思い返すと、早朝出発などで旅館に着いたときには疲れ切っていて、なんとしても見に行く撮りに行くという気持ちが萎えていたのが、入道崎行きをあきらめた最大の要因であった。
もしもはないが、事前に夕日観光を知っていたら……。ここらは個人で旅行を計画する弱点である。実のところちょっと計画が早すぎて、旅行前の再チェックを怠ったことに原因がある。今後の計画では心しておくつもりである。 湯本ホテルでは、温泉に入ってご飯をいただいたらお酒を飲んだせいもあるが、8時にはとこに入って、翌朝6時までぐっすりと休んだ。
一日目歩数14450歩。
朝8時半に昨日の観光バスが、ホテル前に迎えに来る。最初に訪れたのは真山神社となまはげ館である。ここの男鹿真山伝承館で真山地区のなまはげ習慣を体感できる学習講座が開かれている。なかなか迫力のある体験であった。興味のある方は様子を録音しているので是非聞いてみて下さい。
なまはげ実演はこちらから(約15分)日記読みながら実演を聞いて下さい。
その後寒風山に向かう。ここからは男鹿半島から大潟村まで一望できたいへん気持ちのいいところでした。
バスはこのあと一路秋田へと帰り、13時頃秋田駅に到着した。

赤れんが郷土館とねぶり流し館を訪れる



駅前で昼食にしょっつる鍋を食する。ハタハタの鍋である。卵を持ったハタハタであったが、卵が堅くプチプチしている食感が印象的であった。
昼食と休憩をとった後、まずは赤れんが郷土館を訪れる。ここで秋田の歴史や有名人を知る。正直なところふんふんで終わった。
次にねぶり流し館を訪れる。ねぶり流し館では、竿灯を持ってみる体験をすることができた。持ったのは小若という小さな竿灯であったがそれでも15Kgあり、写真に対してポーズを撮ろうとしたが目線を竿灯からはずすとすぐにバランスが崩れた。お客が少なかったこともあるが、竿灯の体験を気軽にさしていただけ有り難かった。しかも写真まで何枚も撮っていただいた。今度は本番を見学に訪れなくてはなどと思ってしまった。
こうした観光客への思いやりは、観光立県を志す以上絶対必要と痛感する。各史跡でのボランティア案内人制度とともに重要な取り組みと感じた。


秋田城跡を目指す


次に向かったのは秋田城跡である。途中高さ9m、最下部が2m四方の珍しい花崗岩の五重塔のある宝塔寺や、坂上田村麻呂が勝利を願ったと言われる古四王神社によりながら約一時間かけて秋田城跡・東門に到着する。
ここは奈良時代から平安時代にかけての国府の跡との説が有力とか。大和朝廷と蝦夷との激突の最前線であったようである。坂上田村麻呂などが活躍したとか、残念ながらこうしたことには全く無知で、何がなんだかよく理解できないことが多い。近年東北では蝦夷(えみし)の亜弖流為(あてるい)の活躍が話題となり、アニメ化もされているそうである。これを機会に勉強しなければと思う。
復元された秋田城跡・東門は、ねぶり流し館から一時間以上かかった。到着したときにはすでに16時を過ぎ、秋田城跡出土品収蔵庫(資料館)は閉館され、ボランティア案内の方もいなくて、残念ながら歴史的内容を聞くことはできなかった。しばし古代の戦いを思いをはせた。

港町土崎を目指す

秋田城跡を後にホテルのある土崎を目指して歩く。
歩くこと一時間ようやく目指すホテルルートイン秋田に到着した。ホテルの前にはポートタワーセリオンがそびえ立っている。 本日の日没は18時55分とのことだったので、セリオン内で時間をつぶしてタワーに上ったが、あいにく雲が厚く夕焼けや夕日をみたり写したりすることができなかった。
その後近くの居酒屋さんで夕食をいただいたが、昨日のホテルのご飯もそうであるが、あきたこまちのてかてか光った本当に美味しいご飯であった。京都で食べるあきたこまちとはひと味もふた味も違うように感じた。
2日目の歩数25287歩 距離にして約15キロ前後。

最終日は風力発電所見学

3日目は風力発電機群めざして歩きに歩く。新屋南浜にある風力発電機までは直線にして約10キロである。国道とバイパスを歩き続けること2時間ようやく目的地に着いた。海べりの広大な砂丘のような所に風力発電機が10機近く立ち並んでいる。風車は風をうけびゅーんびゅーんと低い音を立てて回っている。発電機の真下から風車を望んで実に歩いてようやく来たと感慨に耽った。
人ひとり通らないバイパス沿いを、炎天下歩きに歩いてようやく来たのである。しかしこの風車を見れるところもただ駐車場があるだけで、渇いたのどを癒すことすらかなわなかった。ここは自動販売機すらなく、のどは渇くしお腹は減るしで、ゆっくりと休んでもいられないところでもあった。もう少し観光資源として整備すると良いのにとぼやきつつ…… 
大概の人にとってはこんな風力発電見学ウォークは、理解できないことと思う。小生は仕事柄、省エネルギーや環境に優しい発電などには人一倍興味がある。それぞれの施設がどのような条件で動いているのか、実際この目で見て知りたいと思っている。
特に実験的な風力発電や、太陽光発電、波力発電などという物はあったらみて行こうと思っている。だからパネルとか解説とか見学コースとかなかったのが残念に思える。
小生のようなものからすると、結構宣伝すると各地から見学人は訪れそうに思うのであるが……
あるいていくのは、秋田城をめざすのも、タワーをめざすのも小生にとっては同じである。
ここからさらに歩いて20分ようやくバス停と自販機を見つける。しかし食堂はもちろんのこと、コンビニも見あたらない。仕方なくバスで秋田駅に行くことにする。
秋田駅に着いたのは13時過ぎで、遅い昼食をとり、再度千秋公園さらに秋田駅東口方面を散策し、土産物など買って、17時10分のリムジンにて空港へ向い。無事京都に帰宅した。
最終日の歩数24454歩

変貌する秋田市

秋田県は現在人口減少、高齢化の進展が日本第2位であるという。日本中どこもが一極集中と、少子化高齢化が進んでいる。東京だけが元気でいるらしい。ここ秋田県では第一子から児童手当を出すとのこと。独自の少子化対策が打ち出されているという。が大学卒業後秋田県内に就職すると奨学金の返済免除の制度があるが、なかなか募集人員に満たないと報道されていた。 秋田市内の中でも変化は激しいようで、駅前からちょっとはずれたデパートは開店休業のようになっていた。ホテル、デパートなど大型ショッピングセンターが駅前に集中し、ここからはずれると全く元気がないように見えた。再開発されずに放置されているような印象があった。30数階建てのマンションとその横の空き地が対照的であった。 逆に駅前の発展はきっと想像以上の物になってきているように思えた。駅をはさんで東西自由通路が2本あり、4階建てほどの高さのアーケードなど、冬の雪の中でも自由に往来できる地下街のような駅前は今後ますます発展するように思えた。
  記  2003年5月吉日
            
Ametyanの旅日記TOPに戻る 

   
ホームページTOPに戻る 
 
感想とご意見はこちらへ