織田信長のお墓
法事のスケジュール
 / 情報誌『デス・ウオッチング』93.5より 
 信長の葬礼が遅れたのは信長の後継者問題からであった。やがて葬儀は信長の四男で秀吉の養嗣の羽柴秀勝を喪主として行なわれることになり、法要の日程は次のようにきめられた。戒名、惣見院殿贈大相国一品泰巌大居士。場所、龍宝山大徳寺、10月初旬より17日までの法事のために、費用一万貫、ならびに精米千石が大徳寺の納所に渡された。
 10月11日転経(経文を転読すること)、12日頓写(経を書写すること)施餓鬼、13日懺法、14日入室、15日火葬、16日宿忌というスケジュールであるが、クライマックスは 15日の葬儀で、特に大徳寺から火葬場蓮台野に向けての葬列である。棺は金紗金欄によって包まれ、軒の瓔珞欄干は宝珠を形取り、ことごとく金銀がちりばめられ、八角の柱は丹青を尽くされた。棺の中には遺体の代わりに、沈香に彫刻された仏像が安置された。蓮台野は大変に大きく、4つの門には白の綾120間(約216米)、中に火屋(火葬舎)がある。秀吉の異父弟である羽柴長秀が警固大将となり、大徳寺より十町ばかり(約1キロ)の間に1万余人の武士が警固に着いた。
            (資料「太閤記」、「信長公阿弥陀寺由緒之記録」他)
                      
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                                                                                                                                                        阿弥寺の織田信長廟所               大徳寺惣見院織田家廟所
         
阿弥陀寺森欄丸の墓                   惣見院案内札
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なお京都にはこれ以外にも本能寺の織田信長廟所が有名です。
聞くところによりますと、織田信長の廟所は全国で20数カ所あると言うことです。