星を読む人 3
●星読み。
星々は夕刻とは随分位置を変えている。日周運動だ。
「秋の空が昇ってきたね」
クリプトンライトを手にした宮原が光の軌跡で星と星の間を繋ぐ。秋の四辺形から南に下りて、ひとつ星フォーマルハウト、北東へ行くとアンドロメダ座。
「大星雲、わかる?この辺なんだけど」
「どこ?望遠鏡で見ないの?」
「肉眼視できるんだよ。ほら、三つ並んだ星の隣にぼんやり雲があるだろ」
「…白っぽいところ?」
「そうそう」
亘が絶句する。美鶴も同じように空の一点を凝視している。
「大きいだろ、あれが隣の銀河だよ。それからもうひとつ下って、カシオペアから続いてる一本線を辿った先にごちゃごちゃしてるのがスバル」
「小さい…かわいいなぁ。あれがスバルかぁ」
ひたすら感嘆している亘に、宮原は思い切り倍率を下げて望遠鏡の視野にスバルを入れてやった。
「枕草子、だな」
美鶴が呟いた。酷く優しい口調だった。
「宮原―!そろそろ始めるぞー」
地学部の顧問が呼ぶ。屋上の中央あたりでは既に10人ほどがブルーシートの上に寝転がってわいわい騒いでいる。
「部員はあっちで流星観測するんだけど、お前たちはどうする?こっちで見る?」
「何か、手伝えることある?」
「さっき、先輩の友達が来たから、人数は足りてる」
「じゃあ望遠鏡のそばで見る」
「了解。毛布持ってきてやるよ。それから、エロ行為禁止だからな!」
「何でー!?」「しないよ」「美鶴―!?」
亘と美鶴の、即時ツッコミ合戦。美鶴が他人の心を奪うタイミングで笑うと決着する。
「星がみたいから」
「なぁんだ。僕よりもハマってるんじゃないか…」
つまらなそうに亘がぼやいた。
まったく、互いに星に嫉妬してるんじゃないよ…そう言いたいのを、宮原はため息にして散らした。
望遠鏡の鏡筒を横向きに倒して(上を向けたままだと結露でカビるからだ)、亘と美鶴は借りた毛布に包まって背中合わせで座り込んだ。
流星はペルセウス座を中心に、全天に向けて放射状に飛んでゆく。見上げると、二人の視界は天頂あたりで重なっている。
「すごい、流れるね」
「そうだな」
「きれいだね」
「ああ」
ぽつり、ぽつり、話す。お互い以外の、空の上に心を奪われるのも心地がよかった。
地学部員たちの騒ぎもひそやかになる。星が流れたときだけ歓声が上がり、時間と場所と光度を記録する至極真面目な報告が聞こえる。
互いの背にかかる重みと温もりも、あやふやになりそうな闇の中を、光の軌跡が網膜を貫いて消える。
遠くで腕時計のアラームが鳴った。
「数えてみようよ。1時間にどれだけ流れるか」
美鶴の返事を待たず、ひとつ目が流れて、数えはじめる。
2、3、4、567、わぁ連続だ。…10、11、12、
…18、18?…18からなかなか流れないね。そんなときもあるだろ。あ、流れた19、
…30、…34、今のはペルセ群じゃないだろ。いいよ、数えちゃおう。正確なのは宮原たちに任せればいいよ。
…41、42、43、…
「知らなければ意味が無い」
47、何のこと?
「星もヒトも、その存在に意味があるのなら、その意味が解からなければ存在する理由も無い」
51、52、美鶴、その謎賭け、難しいよ…
「オレにとってお前は、ハルネラの星そのものだよ」
「え!?凶星なの?」
「違うよ、バカ」
58、59…あれ、亘、数えないのか?
アラームが鳴った。
「65個か」
「すごい願い事ができそうだよね」
「…お前、まだ願い事があるのか…」
「ひとつだけだよ。ずっとこうやって美鶴と星見てたいなぁ〜」
「すぐに終わりそうな願いだな」
「意地悪だな、美鶴は」
亘がむくれて、美鶴がそれを楽しむ。いつも通り。
いつまでも、この時間が続けばいいと思うのは美鶴も同じだった。
●流星痕。
流れ星を数えなくなると、静寂が満ちてくる。
ふと、亘の背にかかる重みが増した。温もりも。心地よくてそのままにしていると、かすかに寝息が聞こえる。
幼子のような、美鶴の寝顔を見たくて、誰にも見られたくなくて、亘は合わせた背をずらす。美鶴がビクリと身体を震わせたが、亘はそのまま肩を抱いて小さな頭をひざの上に乗せてやった。
「なつかしい」
「なにが?」
美鶴は指を伸ばして、亘の頬に触れた。こうやって血の痕をつけたことがある。
「そうだね。前にもあったね、こんなこと」
穏やかにまどろむ美鶴。はかなさは変わらない。色素の薄さは存在の薄さに直結していて、感情を見せないときにはいつでも消えてしまいそうだ。
「キスしていい?」
「だめ。部活中、エロ行為禁止」
「ちぇっ」
「宮原に迷惑かけられないだろ」
「そーだけどさ」
不意に、美鶴の視線が流れた。黒い瞳に眩しい光が灯る。宝玉みたいな輝き。
同時に、流星観測中の部員たちが騒ぐ。亘も慌てて空を見上げたけれど、残っていたのは赤灰色の煙だけだった。
「すごいのが流れたぞ。今」
「見逃しちゃった」
「残念でした」
「いいよ。今の美鶴がすごくきれいだったから」
「バカ。上見てろよ…」
クスクス笑いながら、再び美鶴は眠りに落ちていく。
亘は美鶴の柔らかな髪を指で梳きながら、真っ黒な夜空を見上げる。
星が流れてゆく。
亘の目の中に幾つも傷痕を焼き付けて。
●明け星。
亘には闇が深くなったように見えた。
「もうすぐ終わりだな。…なんだ、芦川、寝てるのか」
「終わりなの?」
「明るくなっただろ。暗い星が見えなくなってきた」
宮原と同じに視線を巡らせると、確かに東の空から黒い色が消えて行く。
「何あれ?」
光点がゆっくり南から北へ流れてゆく。飛行機みたいだけど、明かりが点滅しない。
「ああ、人工衛星だよ。薄明の時にしか見えないんだ」
いつもならそこで何かしら返事があるのに、亘はぐっと黙り込んだ。
どうしたのかと関心を亘に戻すと、亘はじっと宮原を見つめている。
「さっき、美鶴に何か言っただろ?」
唐突に切り出す。美鶴を傷つけるヤツは許さないぞ的な成分が混じっている。
はあ、っと宮原は大きなため息を漏らした。見当違いもいいところだ。
「何?怒ってるの?オレが芦川を傷つけられると思ってる?」
「計算高いもん、宮原って」
怒り口調で言い切られると、確かにそうだと思い当たって、宮原は笑ってしまう。
このふたりに関わると、火の粉だのラブ光線だの、痛痒いモノが降ってくる。宮原自身が当たらないように避ける努力の結晶が計算だから仕方が無い。
「お前たちのこと、とやかく言わないよ。この学校もね、中学から一緒のヤツも多いし、男子校だし、男同士でつるんでるヤツもいるよ」
でも、と、続く声はとても小さかった。万一、美鶴が寝た振りをしていても、聞こえないように。
「芦川、目立つだろう。良くも悪くも」
頷いて答える。ひざ上の温もりを抱きしめたくなる。
美鶴の、外見の美しさに反するような冷たい言動と存在感の薄さは余計な関心を引いた。
今まで精一杯守ってきたつもりだけれど、身体の関係が深くなるにつれ、自己の満足と安心感から緩みが出てきている。
宮原はそれを指摘しているのだ。
「守りたいんだったらしっかりしろよ、三谷」
もっと周りを見てみろ、と宮原は空を見上げたまま淡々と語る。
片手間に面倒をみられてる気がして、小学生の頃に憧れた宮原と今の彼を重ねてみた。あの頃も、計算高かったと思う。
「宮原って、美鶴のこと好きなんだな。…でも、あげないよ?」
「いらないよ!!…つくづく自分が嫌になる。オレ、なんでお前たちに付き合ってるんだ?」
「ケッコンするとき仲人やってね」
「いやだよ!」
宮原はかなり本気で断った。冗談じゃない。冗談じゃすまない気がするからもっと嫌だ。
亘は面白がって続ける。
「今でも、美鶴が女の子だったら付き合いたいと思う?」
「…引っ掻くやつキライ」
「え?」
「三谷、夏休み明けの体育はまだ水泳だぞ。それまでに何とかしろよ、背中」
亘は慌てて手を背に回す。確かに美鶴に引っ掻かれた傷痕があって、かすかに痛んだりする。暫し呆然。
これで宮原は満足だった。しばらく(一ヶ月くらい)は、平穏に暮らせそうな気がする。
星が消えてゆく。
黒に蒼が流れ込み、空の色を変えてゆく。夜明けだ。
「東の、あの星、何?すごいキラキラ光ってるヤツ」
「金星、明けの明星だな。西方最大離隔前で一番光度がある時期だよ。…芦川起こせよ。望遠鏡、ラストに金星入れよう」
「うん。美鶴、美鶴、」
一緒に星を観よう。キラキラ星。
亘が耳元で呼びかけると、長い睫毛をゆらして、薄く開く眼。
この瞳の中に星を映したい。
今夜の宮原の企みに、亘はやっと気が付いた。
終わり。でも、あとちょっとだけつづく。
説明しなくちゃわかんない…
・枕草子「星は昴」、「星といえば昴でしょう」と誉めてる。=美鶴も誉めてる。
・ハルネラ星は、美鶴の運命を左右する存在。大きい。左右しろよ、亘。
あと、蛇足が続きます。
2006.08.02
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