契約の花嫁2


翌日、同じ時間に待ち合わせたオレは嫌味の一つでも言われるかと思ったがそれは無く、代わりに3枚の書類を渡された。
1枚は今日の日付の婚姻届。
もう1枚は日付の入っていない離婚届。
最後は何があっても慰謝料や財産分与を求めない事を誓う誓約書。
腹が立たなかったと言えば嘘になるがどうせ財産なんて求める気もないので何も言わずサインする。
指輪くらい買ってやろうと申し出たがにべもなく断られた。
式も指輪も何もない。後はこの紙を役所に届け出て終わり。
なんて簡単。
たった紙切れ一つの結婚。
オレ達にはピッタリだ。
こうしてオレと少女の契約結婚は始まったのだった。


「ここが居間でそっちがキッチン。
部屋はそっちのゲストルームを使って。バスルームはこの先。
あたしの部屋はこっち。ここから先には勝手に入らないでね」
「ああ」
こざっぱりと言うより殺風景な部屋。
もっと金に飽かせた部屋かと思っていたから意外だった。
ここで1人で・・・?
「居間とキッチンとバスルームは自由に使って良いから。
言っとくけど女は引っ張り込まないでね」
「なっ」
何でいちいち突っかかってくるのか。
会った時からそうだが敵意を感じる。
押し付けられた旦那じゃ仕方が無いがそれにしても、だ。
あんまり腹が立ったので少々大人げないが仕返しをしてやる事にした。
「そーゆー訳にはいかないな。
レインはオレにぞっこんだし、オレもレインを放っておく事なんて出来ないからな。
オレ達は外に行く時以外は食事もベッドも一緒なんだ。
それを追い出すなんてそんな事出来ないね」
オレが何か話すごとにどんどんとリナの眉間の皺が深くなる。
正直言って・・・面白い。
「っ!そんな彼女がいるなら何で結婚なんて・・・」
そこでリナは言葉に詰まった。
そう、オレもリナもお金の為に結婚したんだ。
それをオレばかりが悪者のように言われる筋合いは無い。
リナがギリリと歯を噛みしめたがそれ以上オレを攻める事なんて出来ない。
「勝手にしなさい!
だけどその女以外連れ込んだらタダじゃおかないから!!」
言ったな。
「レインだけで十分さ。
さ、レイン許可が出たぞ。出てこい」
「へ?」
目を見開き固まるリナの前で足下の籠を開けオレの恋人を抱き上げた。
「美人だろ?」
白いしなやかな肢体に青い瞳に揺れる長い尻尾。
そこらの女なんて目じゃないね。
オレの言いつけ通り大人しくしてた彼女は背中を撫でてやると満足げに喉を鳴らした。
「なぁーう」
「・・・猫?」
「良いだろ。こいつは家族なんだ。
離れて暮らすなんて出来ない」
「・・・仕方がないわね。
その代わり躾はちゃんとしてよ」
「大丈夫。レインは賢いから」
「・・・撫でても良い?」
仕方なさそうには見えない表情で笑ったリナはオレが止める暇も無くレインに手を伸ばした。
「わっ、よせ!」
賢いレインはオレ以外に身体を触られるのが嫌いで、しかもオレに近づく女に容赦が無い。
オレはこの後の惨事を思って目を瞑ったがいつまで経っても悲鳴も怒声も聞こえない。
はて?
「大人しいのね、可愛い・・・」
オレが見たのはリナに撫でられて喉を鳴らすレイン。
そうか。レインは賢いからリナが家主だって分かったんだな。
リナとの暮らしの懸念が一つ減ってオレはこっそり息を吐いた。
他もこう上手くいくと良いんだけどな。
レインはリナに任せて荷物を解きに掛かる。
荷物と言っても男のオレは大した量は無かったが、それでも机などを1人で運ぶと結構時間が掛かった。
普通ならゼルあたりに無理矢理にでも手伝わせるのだが、事情が事情なので止めておいた。
荷物を全て仕舞った頃には外は暗くなってきていた。
いつもならテイクアウトか行きつけの店で食事するのだが、このあたりの店は知らない。
どうするか・・・
オレが思案している所にリナが顔を覗かせた。
ああそうか。立場上こいつも飯に誘わないとまずいか。
「あ〜・・・」
「・・・ちょっと晩御飯作りすぎちゃったんだけど・・・いる?」
こちらに視線も向けずぶっきらぼうに。
しかし薄っすらと赤く染まった頬が全てを裏切っている。
断るのも大人げないし、第一断る理由もないしオレはありがたくご相伴にあずかる事にした。
リナに付いてダイニングに行くと、テーブルの上には6、7人分はあろうかと言う料理の数々。
これがちょっと?可愛らしい言い訳だと思った・・・
のだが。
―――そこは戦場だった―――
なんてどこかで聞いた事のあるセリフが脳裏を駆けめぐる。
「あ〜〜〜〜っそれはオレが食べようと・・・」
「早い者勝ちよっ」
閃くナイフとフォーク。
その下を掻い潜って行われる高度な駆け引きの数々。
・・・本気で作りすぎたのはちょっとだけだったんだな。
初めて見たよ。オレと同じぐらい食べるヤツ。
「は〜〜食った食った」
「ん〜美味しかった。
でもちょっと物足りないかなぁ・・・多い目に作ったつもりだったのに・・・」
え?
それってもしかして・・・
オレの視線にリナがやっと失言に気づいたらしく忙しなく手を動かし言い募る。
「多くってあたしの食べる分よりもって事よ。
あたし1人なら十分足りてたはずなんだから。
それなのにあんたってばパカパカ食べちゃって、遠慮ってものを知らないの!?」
そんな赤い顔で怒ったフリをされてもちっとも怖くない。
オレはリナが入れてくれた食後の紅茶に手を伸ばし口に運ぶ。
うん、旨い。
「あ〜あんまりリナの料理が旨いからさ、つい。
ありがとな、リナ」
にこり。
「!?・・・あ、あたしが作ったんだから美味しいに決まってるじゃない」
リナは林檎の様に赤く染まった。


1日目は作りすぎ。
2日目はレインのおこぼれ。
3日目は冷蔵庫の物が腐りそうだから。
4日目は打ち合わせで外で食べると連絡があった。
5日目は1人も2人分も手間は変わらないから。
6日目にもなるとさすがに面倒くさくなったのか特に理由も無く食卓へ呼ばれるようになった。
この気の強い少女が最初の印象ほど悪い人間ではなく、照れ屋で寧ろお人好しな部分があるのはすぐに理解した。
ただ時々思い出したように突っかかってくるのがよく分からなかったが。
それでもリナは会社へオレは大学へ。
互いの生活ペースも掴んでそれなりに仲良く暮らすのに時間はそう掛からなかった。
レインもすっかりリナに懐きこれではどちらが飼い主か分からないほどだ。
今もパソコンを覗き込んでいるリナの膝の上で気持ちよさそうに寝そべっている。
あんな風に尻尾が揺れている時は機嫌が良い時なんだよな。
「リナ、調べ物があるから次パソコン貸してくれ」
「良いわよ。でも何を調べるの?」
今日の終値を熱心に見ていたリナがブラウザを閉じ席を譲ってくれる。
膝から下ろされたレインが少々機嫌悪く鳴く。
あはは・・・悪いな。
「今週中にレポートを提出しないと単位がもらえないんだ」
IDとPASSを打ち込み大学のデータベースにアクセスし、必要な資料を読み出す。
大学の構内からだともっと簡単だが、結婚前と変わらずバイトを入れているので家でしないと仕方がない。
「ふーん、なかなか良く書けてるじゃない」
オレのレポートの下書きを読んでいたリナが顔をあげ意外だと呟いた。
「それどーゆー意味だよ」
「その通りの意味だけど?」
軽口をたたき合いながら話をするとどーも違和感が・・・
「リナは大学は行ってないんだよな?」
19で―――結婚する時聞いて驚いた―――会社に通いながら大学には行けないよな・・・
「・・・大学ならもう卒業したわよ」
「!?」
驚いた事にリナは大学をスキップして卒業したそうだ。
道理で話が通じる訳だ。
オレはリナにアドバイスに従って資料を集め考えを煮詰めていく。
そのおかげでレポートは良い感じでまとめられそうだ。
「今日はホントに助かった。サンキュな」
「子ども扱いしないでってば」
丁度良い位置にあった頭をわしわしと撫でるとその手がたたき落とされた。
別に子ども扱いという訳じゃ無いんだが・・・
怒りながらもリナが入れてくれた紅茶を手に取り喉を潤す。
ん〜ほっとするな〜〜
リナと暮らしだしてから飲むようになったが紅茶もいいもんだよな。
一日が終わったって気がする。
ま、実際はレポートを書き上げる作業が残ってるがリナのおかげで明日の晩でも十分に間に合う。
「リナは凄いな〜」
気が付くとそんな言葉が口から出ていた。
案の定向かいのソファーで紅茶を飲んでいたリナが訝しげな顔をする。
「急に何よ」
「いやだって頭も良いし、料理も旨いし、社長だし、何でも出来るんじゃないか?」
「・・・そんな事無いわよ」
勿論オレはリナを誉めたつもりだったのだが本人はあまり嬉しそうじゃない。
何かマズイ事でも言ったんだろうか?
「じゃああたしはもう寝るわね」
オレに疑問を残したままリナはさっさと自分の部屋に帰ってしまった。
それ以上踏み越えられない境界線を超えて、もう少しリナに近づきたいと思うのはおかしいのだろうか?


     続く


2002/9


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