契約の花嫁1 |
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それは一本の電話から始まった。 「あなたにビジネスの話があります。 明日3時に・・・」 若い女の声で入っていた留守番電話。 質の悪い冗談かとも思ったが冗談にしては電話の向こうの声は真剣そのもの。 オレの名前や住所も知っていそうな口ぶりに別の可能性も考えなくも無かったが、相手と会うのは大通りに面した喫茶店。 一通りのスポーツや武術を囓ったことのあるオレをどうにか出来るとは思えなくて怪しい話だが乗ってみることにした。 ビジネスとやらがどんなものか知らないが少なくとも金にはなる話だろう。 オレには金が要るんだ。 それも早急に。 約束の5分前にテーブルに着き、コーヒーを頼んだ。 店内を眺めてみるがそれらしき女は見あたらない。 まだ来ていないのか。 ぼんやりと入り口を眺めていたオレに声は思いがけない方向から来た。 「あなたがガウリイ=ガブリエフ?」 見落としてたか? 女の声にそちらを振り仰いだオレはこちらを見る瞳を真正面から覗き込むことになった。 綺麗な・・・いや強い意志をはらんだ真っ直ぐで綺麗な視線。 もっともそれは相手が口を開いた瞬間木っ端微塵に砕け散ったのだが。 「なにぼーっとしてるのよ。 あんた耳付いてるでしょ? あたしはあんたがガウリイ=ガブリエフか聞いてんのよ。 ま、良いけど」 その女は早口で捲し立て勧めてもない向かいの椅子にどかりと腰を下ろした。 なんだ。こいつ・・・ オレはやっと相手の姿を確認する余裕が出来て目の前の相手をしげしげと見つめた。 性別で言うなら確かに女。 年齢も確かに、若そうだ。 と言うか何というか・・・ 年の頃なら16、7。 似合っているような似合っていないような微妙な黒系のスーツに瞬間学生服を連想したぐらいだ。 これが本当に電話の相手か? 第一オレを見る目にビシバシと悪意が混じっている。 オレは勘は良い方なんだ。 言葉に詰まって返事をしないオレを少女は―――としか言いようがない―――じろじろと無遠慮に眺め返してくる。 じろじろと見るのはお互い様だが。 「ふぅん・・・聞いた通りの顔ね」 オレを存分に観察した少女は艶やかな栗色の髪を肩から払い落とし椅子にもたれ掛かった。 「・・・あんたお金が要るそうね。 どうせ遊びで金が要るんでしょうけど」 「なっ」 さすがのオレもむっとした。 確かに金は必要だが初対面の相手にここまで言われる筋合いはない。 睨み付けるオレの視線をさらりと流し、紅茶とコーヒーを運んできたウエイトレスが離れるのを見届けて少女が続ける。 「ある条件を飲んでくれたらあたしがお金を払うわ。 前金で五万、後金で十万。 それから月々五千で合計二十一万ドル」 そこでこちらの反応を伺うように少女が言葉を切った。 オレは返事もせずに煙草を取り出す。 少女が嫌そうな顔をしたが知ったこっちゃ無い。 甘い話には裏があるってな。 「で、条件とやらは?」 「・・・して」 「んあ?」 えい、くそ。火がつかない。 もうこのライターも寿命か? 「あたしと結婚してっ」 「は?」 ぽろりと口の端から煙草が落ちた。 火がついて無くて良かった。 オレはテーブルの上に転がった煙草を拾い上げもう一度口に銜えた。 聞き違いか?何か今変な事を聞いたような・・・ 「・・・煙草が逆よ」 「お?サンキュ」 煙草を銜え直しライターを擦ると今度は一発で火がついた。 精神安定剤代わりに煙を肺一杯に吸い込み、聞き返した。 「で、何だって?」 少女はオレの手からせっかく火のついた煙草を取り上げると灰皿に押しつけた。 「おい、何するんだよ」 「あんたちゃんと聞こえてるんでしょーが。 結婚よ。け っ こ ん !!」 けっこん・・・結婚!? プロポーズされた事はある。泣いて縋られた事も1度や2度ではきかないかも知れない。 しかし・・・ 「・・・悪いがオレはあんたを知らないと思うんだが・・・」 「あたしだってあんたの事なんて知らないわよっ。 ビジネスの話だって言ってるでしょ!! 融資の条件が結婚なのよっ」 「んな無茶な」 「無茶でもなんでも融資が受けられないとあたしの会社が人手に渡っちゃうのよ。 で、あんたを教えられたから・・・」 ここで少女ははっとして周りを見回した。 そう言えばここは喫茶店だったっけ。 ウエイトレスも客もさり気ない風を装いながらこちらを伺っていた。 興奮したオレ達はテーブルを叩いて怒鳴り合っていたからそりゃ視線もあつまるだろう。 少女は咳払いを一つすると紅茶を手に取った。 オレも新しい煙草を取り出しなんとか火を付けた。 そのまま無言で数分間。 やっと離れた視線を気にしながら少女が小声で話しかけてきた。 「結婚ってもフリよフリ。 あんたがなんで金が欲しいのかは知らないけど、婚姻届にサインして1年同居してくれるだけで大金が手に入るのよ。 悪い話じゃないでしょ?」 オレは少女をまじまじと見た。 こいつオレを何だと思ってるんだ? 「断る」 出来るだけ侮蔑を込めて吐き捨てた。 結婚なんてまだする気はないし、第一金で相手の気持ちを動かそうなんてオレはそーゆーのが大っきらいなんだ。 「残念だったな。 オレは金で人生売るほど落ちぶれてないんだ」 当て擦られているのが分かったのだろう。 少女の頬がさっと紅潮した。 オレは少女がヒステリーを起こして泣き喚くんじゃ無いかと身構えたが、予想に反し少女は静かだった。 血が出そうなほど唇を噛み締めて握りしめられて拳だけが少女が示した激情の全てだった。 正直オレはそれだけでも少女を見直した。 金で人を動かそうとした割には、金で身を売ろうとした割にはまともな反応だ。 「・・・ま、こんな突拍子も無い話だものね。 時間取らせて悪かったわ」 少女はさばさばとした調子で言うと喫茶店から出て行った。 後に残されたのは紅茶一杯分の代金と『気が変わったら連絡して』と少女が残した名刺。 裏を見れば手書きで携帯の番号が書いてあった。 オレはそれを破り捨てようとして手を止めた。 分かってるんだ、金が欲しければこの話に乗るしか無い。 結局くしゃくしゃの名刺をポケットに入れたままオレは店を出た。 リナ=インバース それがオレの花嫁の名前だった。 続く |
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