【肥前平戸藩士 今村氏系図】

【始祖】巨関  【本貫】朝鮮國慶尚道熊川(朝鮮慶尚南道鎮海市)

【世系】肥前平戸藩士 今村氏の始祖は、朝鮮國慶尚道熊川(朝鮮慶尚南道鎮海市)の陶師なり。平戸焼(三川内焼)を創始せる陶工にして、その来歴は、 肥前平戸藩主・松浦法印鎮信公、並びに御嫡 久信公 豊太閤高麗御陣の節、小西行長、宗義智等と共に御先鋒を相勤む。 慶長3年(1598)、鎮信公朝鮮より御帰陣之節、朝鮮熊川の陶師「巨関」、鎮信公の聖徳を慕ひて其の御供を乞願ふ。 巨関曰く「吾(朝鮮)王は、徒に豪奢に耽り、民を疎かにして貫郷は疲弊す。願わくば、吾等百民を公の御國へ御供参らせ賜え」と。公は即ち之を許す。 或いは云ふに、巨関一族は、豊太閤高麗御陣の節、朝鮮の道先案内を相勤む。而して豊太閤御逝去の後、松浦の軍勢、 将に朝鮮より引き揚げむとする時、巨関、韓人の逆乱を察し、之を避けむがため日本へ赴かん事を欲し、公にその御供を乞願ふと。 公は即ち之を許す。巨関は、喜びて百餘名の韓人を伴ひ我朝に渡来せると。別傳に云ふ、松浦鎮信公高麗御陣の節、彼地で夕膳を食する時、 其碗秀逸なることを知る。公は之を賞して陶師の名を問ふ。彼地の人、其名を知らず唯「土俗の陶人なり」と答ふるのみ。 御意に召さず、公は市にてこの陶人を探査せしめ「巨関」なる陶人の作なるを知る。公は之を召喚するに「巨関」は、己の賤なるを恥じ、固辞して應ぜず。 公は礼を盡して是を恭しく招聘す。巨関に三顧之礼を諭す人有り、よつて以て公に御召抱えらるゝと。 或いは云ふ、巨関は公に召出され候節、言語相通ぜず如何なる御咎を受け申し候か取り違え申し候て、身を隠し應ぜずとも云へり。 而して公は礼を盡して是を恭しく招聘するに、巨関、公の御褒を賜りて曰く「拙、作陶を生業として幾歳、 嘗て此國(朝鮮)の人に賞せられたる事無し、公の仰せ恐れ入り畏まり候」と感涙すと。

公は仁政を以て平戸城下に町割を為し、「高麗町」と称して之に韓人を居住せしめ作陶を奨励す。 而して巨関は、肥前松浦郡中野村椿坂(現 長崎縣平戸市)に開窯す。 或時、巨関、望郷の念ありて作陶に身が入り申さず萬事が不出来に相成り申し候て、昼夜を問はず海の波濤を茫洋と眺むること屡々なり。 公は之を憂慮せられ、巨関に日本の三人の美女を遣わす。公は問ふに「汝の好むる女子は此中に有れりや」と。巨関答えて曰く「総て気に入り申し候」と。 公は喜びて「然らば三女子を全て汝が妻とせよ。令しく汝が才を磨き子孫相傳へ一族繁茂の礎とせむがため、より汝が子を為しやがてと成せ」と仰せを賜ふ。「今村」の名は茲に由来すと。

巨関は、日本の三美女を娶る。男子の生まるゝに三女子、之を好く撫育するを以て「三之丞」と名付く。 或ひは云ふ。「三之丞」の「三」は「三才」の「三」なり。「三才」とは即ち「天・地・人」の才能なり。 巨関は其子に「三才」の有を祈願して名を付くる処なりと。 三之丞は、慶長15年(1610)平戸城下に産す。元和8年(1622)、鎮信公の孫、隆信公(宗陽公)の庇護の下に領内を踏査し陶土を発見す。 而して、寛永14年(1637)、命を奉じて中野村より三川内(佐世保市)に移住し、葭之本村(長崎縣・佐賀縣境附近)に試窯す。今、其処を「皿山」と云ふ。 寛永18年(1641)、公、御巡見の節、皿山の陶業の進歩、技術の精巧を賞し、三之丞を膝下に召す。三之丞、平戸藩の士分を得て、先の故事にて「今村」の姓を賜ふ。 慶安3年(1650)、中野村の陶工を三川内皿山へ移し、今村三之丞を棟梁として三川内の陶工等をその配下となさしむ。 寛文2年(1662)、三之丞の子、今村弥次兵衛、天草に原料を発見し試焼研究を重ねて、遂に純白の逸品を製出し大に名声を博す。 寛文4年(1664)、公より徳川将軍家への献上品御用を命ぜられ、元禄12年(1699)、禁裏献上品の御用を命ぜらる。 当時、青藍染附・錦附・盛上画・彫刻・捻物・透彫等、頗る技巧を凝らし精巧を極む。平戸藩の御用窯師となり、馬廻格に列し禄100石を食む。 弥次兵衛は、平戸焼(三川内焼)の陶祖として「如猿大明神」の神号を賜ふ。これ今「陶祖神社」、「熊川明神」と称する社なり。 子孫世々、平戸公に仕ふ。今村家屋敷は「三川内皿山代官所」と称さる。天保13年(1842)第35代藩主 松浦熈(観中公)は今村弥次兵衛(如猿)の功績を賞して子孫 今村槌太郎に感状を与ふと。

安政末期(1860)の平戸焼(三川内焼)名陶工に、今村恒作、今村幾太郎、今村冨右衛門、今村助太郎、今村槌太郎、今村利右衛門、今村弥次衛門、今村松治、今村平作など見ゆ。 之すべて巨関の血脈にて、平戸公の御意の通りとなりぬると里俗に云ふ。

【氏神】陶祖神社(熊川大明神)  肥前平戸藩士 今村氏系譜はこちら


※薩摩藩士の今村家についてはこちら

『御家世伝草稿』
『(三河内皿山)今村三之丞家傳』
『今村家古老傳』肥州今村氏蔵
『三河内今村氏繁榮始祖傳』肥州今村氏蔵
『(折尾瀬村三河内)今村甚三郎蔵書(写)』
『今村正芳旧記』今村弥次兵衛正芳 差出文書(平戸藩)
『平戸焼沿革一覧』大正7年、樂歳堂(松浦伯爵家文庫)版、松浦史料博物館蔵
『平戸藩主と松浦鎮信の茶道』安部直樹 著(所収『長崎国際大学論叢』第1巻 2001年3月 9頁-17頁)
『松浦鎮信(天祥公)と三川内焼』立平進 著(所収『長崎国際大学論叢』第8巻 2008年3月 13頁-22頁)
■表紙へ