御同朋の社会を目指して!

戦争と差別

STOP! NO!!


○戦争と差別の関係
 いきなり「戦争と差別」と書きましたが、皆さんの中には「差別が戦
争に何の関係がるのか?」と疑問に思われる方もいるかもしれません。
しかし、戦争と差別との間には、切ってもきれない関係があると思うの
です。

 「戦争とは究極の差別表現だ・・。相手に対しても、自国民の兵隊に
対しても・・」『平和と平等をあきらめない』晶文社より)とあるよ
うに、戦争とは、相手の国の人のいのちも、更には自国の人(兵隊)の
いのちをも軽視していないとできるものではありません。戦争を始めよ
うとするする人々(権力者)は決して自ら戦場には行きません。なぜな
ら殺されるのが嫌だからです。自分のいのちが大切だからです。しか
し、その一方で相手の国の人のいのちや自国の兵士のいのちは、どうな
っても構わないと思っています。自分のいのちと他人のいのちとの間に
上下関係をみているのです。差別しているのです。だから戦争をするこ
とができるのだと私は思います。
                                           ””””
○差別心を煽る
 このように戦争が行われる土台には、権力をもった人の差別心という
ものがあるということが少しは解っていただけたと思います。
 さて、しかしそれだけでは戦争を始めることはできません。なぜな
ら、いくら権力者が戦争をしようとしても、国民の間に他人を差別する
心や自分の国を守るという意識(愛国心)がなければ、人々はついてき
ません。
 
 そこで権力者が次に考えることは、同じように国民の中にも他人を差
別する心をつくりだしていくことです。どのようにするかというと、
人々の中にある現状に対する不満や不平を利用して、人間誰しもが多か
れ少なかれ持っている自分自身を他人よりも上に位置づけようとする心
をどんどんと煽り立てていくのですね。
 例えば、江戸時代にあった士農工商「エタ」「非人」という身分制度
を思い出してみてください。これは、時の権力者であった武士が、その
経済基盤であり、人口の大多数を占める農民を支配するために、人間の
差別心を利用してつくりだした巧妙な制度だと思うのです。おそらく当
時の農民の生活は非常に苦しく、武士に対する不平や不満もかなりあっ
たと思います。そこでその不平や不満をそらすために、農民の身分を商
人や職人の上に置いたのですね。しかし、やっぱり経済的には商人や職
人の方がどうみても上です。誤魔化せません。そこで、さらにその下に
「エタ」「非人」という身分をつくり、そこに住む人々を経済的も貧し
く社会的にも差別することによって、「あいつらよりはましだろ!我慢
しろ!」というふうに農民たちの怒りを抑えていったのではないかと思
うのです。いわゆる「上見て暮らすな、下見て暮らせ!」という論理で
すね。このように、意図的に人間の中にある差別心を煽ることによっ
て、多くの人々の不満をそらせ、支配者の言うことに従わせていったの
ですね。                     
        。。。。

○今の日本社会の状況
 さて、では今の日本の社会はどうでしょうか?
 よくみると、今人々の間には、不況によるリストラ、「勝ち組・負け
組」「自己責任」といった貧富の差の拡大、「テロ」や犯罪に対する
恐怖などから、なんともいえない不安感やイライラ感が蔓延してはいな
いでしょうか?江戸時代の農民がおかれた状況によく似ている気がしま
す。
 そして、本来ならばそのよな不平や不安はそのような社会をつくりだ
した権力者の方に向かうはずが、今の状況はそれとは全く逆な方向に向
かっているのも江戸時代と似ているような気がします。
 例えば、イラクでの人質事件の際に、一部の政治家やマスコミの間か
ら広まった人質となった本人やその家族に対する異様なまでの国民のバ
ッシング。外国人や弱者に対して平気で差別発言を繰り返す政治家に対
する国民の圧倒的な支持と同調。北朝鮮による拉致問題では、その怒り
の矛先が北朝鮮指導部に対するだけでなく、在日朝鮮人や飢えに苦しむ
一般の北朝鮮国民にまでにも向けられているような気がします。そうか
と思えば、政府のやり方に不満をぶつけた拉致被害者の家族にまでもバ
ッシングが向けられたこともありました。
 このように、今の日本では、不平や不安を抱えた人々がより力の強い
政治家・政府と一体となって、自分よりもより弱いものを差別し攻撃す
ることによって、その不平や不安を誤魔化し解消しいようとしているよ
うに思えてなりません。
                                      ・ ・ ・ 
○まとめ 
 このように、不安につけこんで人々の間に他人を差別する心がどんど
んと植えつけられ、「教育基本法」の改正によって教育の現場で国を愛
する心(愛国心)を強制されていくならば、いずれ日本は“戦争のでき
る国”“戦争のできる国民”になってしまうのではないかと不安で仕方
がありません。
 戦争に反対し、平和な社会を築いていくためにも、この差別の問題は
決して無関心でいられることではないと思います。共に考えていきまし
ょう!

 
 「人が人を見下すことが日常化しなければ、戦争はできない。不平等
が拡大した階層社会(差別社会)と自国を疑うことのない愛国心が整っ
たとき、戦争は遠くないだろう」『平和と平等をあきらめない』晶文
社より)
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(注)本文中に「エタ」「非人」という差別用語を使用していますが、決してそのような差別を肯定・助長
   するような意図で使用したのではありません。また、この江戸時代につくられた「エタ」「非人」と
   いう差別意識は、現在でもなお一部の人々の心の中に残っており、それによって多くの人が今なお傷
   つき苦しんでいることを付け加えておきます。
 
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