山城高校の優勝を喜ぶ


京都バスケットボール協会副会長
松下電器監督
遊津 孟


 昭和二十三年十月の末に、未だ国体の競技として開かれていたとき、山城が、私の会社に居る志賀君がセンターで東洋高圧にいる田伏君が主将で、優勝した、あれから十年目だな〜と私は新聞を見ながら、丸山・小森両先生の満足と喜びの姿と、選手諸君の得意の様子を想像した。
 全く御苦労だったと思います。第五回の国体だから、昭和二十五年に全国高体連のバスケット部が出来てから三十一年迄、六年間私がバスケットの部長をしていた間、不幸にして山城は全日本大会には遂にタイトルをとれなかった。私も大会毎にきばっていたが、小森先生が病気をしたり、丸山先生は経験不十分というか、チャンスに恵まれなかった。
この間、インターハイのプロを組むのにシートの都合があるので、関西一帯の予想をたのまれて、丸山先生に聞いて見たが、ここ迄やるとは思わなかったので、男子は西日本では山城ではないか、女子も強いと言いたいがこの間浦和に負けたから、関西一であっても、そうあつかましくは強いとは書けなかった。
 やって見ると男子が優勝、女子も四位という事だった。
 多数の先輩と輝かしい伝統の然らしめた結果であり、勿論、選手の皆様の御力闘の賜物と存じます。
 しかし二人の先生の熱心さも大いに力あったことと思う。
 たくさんのスポーツが生徒の間に好まれて採り上げられている。しかし或ものは学校の先生の手に拠らず、他の社会の人々に指導されているものも多い。
 たくさん先生は居られるが、自分の仕事と思って一つのスポーツに本当に精魂を打ち込んで、継続的に、絶えず、うまず、たゆまず、生徒を指導している先生はそんなに居られないと私は思う。
 精魂を打ち込んでいなくても、永らく世話をして居られる先生は居られるが、よい成果をあげ得た先生は、それこそ少ないと思う。
 失礼な言い分かもしれないが学校の先生は、今!今!現在ではいろいろ世の中の人に云われている。善悪の批評は別として、理屈を云う先生も必要だし、月給の上がる事をその筋に要求する先生も、必要かもしれない。しかし先生は何が出来ても、やはり自分の教えている生徒の教育・指導の効果をあげ得ないような先生は、やはり高く評価されない。
 教育界がさわがしい時に、丸山先生や小森先生のような先生が居られることを私は一服の清涼剤だと思っている。
 特に体育の先生は理屈を云わずに、目にものを見せることが大切である。
 今年は大阪の日紡平野が十数年振りに、タイトルを関西に持ち帰った、と思って喜んでいた。私のチームも今年はチャンスと実業団大会に野心を持っていたが、御承知のとうり、優勝戦に惨敗した。これも関西側が優勝戦に出たのは十一年目というのだったが、遂に山城が又優勝してしまった。全く今年はうれしい前半だった。
 親愛なる山城高校の選手諸君。これがフロックではなかったということを、来るべき国体にも見せてほしい。大いに自重して、しっかりやってほしい。
 第三回の大会に優勝した時、時の校長先生幸村先生が選手諸君を京都駅頭に迎えて、それこそ感激の涙で・・・・あの大校長先生が何もおしゃべりにならなかった。おもえば大校長でした。山城のバスケットを思い出すと、この駅頭の光景と幸村校長先生を思い出します。バスケットの連中も、今は無き幸村校長先生の冥福を祈ってほしいと思う。