それでも年が明けた頃には訪島の時期はこのGWの後半の4連休、交通手段は利尻・礼文へ向かったときと同じように今回も飛行機を利用すると決めた。
とはいっても、GW真っ只中の、それも4連休の初日に島に入り、最終日に島を出ようというのだから、そうやすやすと航空券はゲットできるはずがない。かといって、縦走するには最低でも山中2泊は必要で、それだけで離島でははなはだ勿体ないので、もう一日は一端の観光の日に充てたい。
となれば発売日に航空券が上手くゲットできるようパソコンに張り付いて操作するしかあるまい。
こんなことを、あれやこれや考えているうち、航空券の発売日がやって来た。
発売当日、午前9時半を待ってパソコンのキーボードを叩くと・・・、意外に短時間で思いの時間の券がゲットできた。それも2路線のうち1路線だけが・・・。
実はこれが、しばらくは一番の悩みのタネだった。
どちらの路線も取れないなら、きっぱりとあきらめる気でいた。しかし、そうではなく片方だけが思い通りに取れるという、いわば最も中途半端な取れようだ。
操作の仕方がまずかったのか、元々、そのような取り方しかできないのかできないのかはよく解らないものの、とりあえず神戸〜鹿児島便はこの時点で午前便が確保できたので、その後乗り継ぐ屋久島への便はこの便に合わせた最善の便をゲットすべくキャンセル待ちを掛け、この日の作戦は終了。
屋久島への便との兼ね合いを色々考えたあげく、後日、鹿児島への往復は行きは神戸から、帰りは岡山へと戻ることとして再度、取れていない便についてはキャンセル待ちを掛けた。
キャンセル待ちは掛けるものである。一人だったことが大きな要因ではあろうが、出発二日前の5月1日、最後まで取れていなかった屋久島への最善の便が取れたとのメールが届き、すべての便が思わく通り取ることができた。
そして5月3日この日を迎え、7時過ぎ神戸空港へ向け自宅を発つ。天気は上々だ。
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神戸空港 |
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神戸空港での見送り風景 |
展望デッキにたたずむ家内や滑走路で小さな鯉のぼりを振る空港関係者に見送られながら、9時発のJAL便は鹿児島へ向け飛び立った。
あっという間に明石大橋上空。あいにくその大橋は真下に位置したのでほとんど目にできなかったが、淡路島に架かるもう一方の大橋、鳴門大橋は左手にしっかり見えた。
四国上空を飛ぶようになると、しばらくは吉野川の谷に沿っての飛行。
「この調子なら三嶺が見える。」
剣山が眼下に見えてきて、間もなく三嶺上空やや北側を東から西へ飛行した。
三嶺山頂から西熊山、牛の背へと続くササ原は、たとえここからでも解る人にはすぐわかる。
「この時間なら、きっともう誰か歩いているだろう。」
しばらく足を向けていない三嶺界隈だが、こんな形でそこを目にできるとは思ってもみないことだった。
足摺岬を見るとしばらく海上を飛ぶ。
次に見えてきた海岸線は、もう九州。香港線に乗った際、何度も見たことのあるビニルハウスが点在する光景がそこにあった。
大淀川の河口や青島を見ると次第に山間部を飛ぶようになる。
「桜島は見えるだろうか?」
大隈半島の山々は見ることができたが、いつまでたっても噴煙を上げる桜島は見えない。
そうこうするうち、機体は高度を下げ、眼下にこの地域特有のうねったシラス台地を間近に見るようになると鹿児島空港に着陸した。
鹿児島はターミナルビル内でも神戸と比べると少し暑く、蒸したように感じたが、晴れているのだからこれも文句はない。最後まで取れなかった航空券が取れたお陰で、ここでの待ち合わせは35分。
わずかな待ち合わせでの乗り継ぎだ。
屋久島行きの搭乗ゲートでチェックインすると、新千歳空港で利尻空港行きに乗ったときと同じように空港内のバスに乗り込み、当該機に向かう。
ところで、この鹿児島空港の規模の大きさ、駐機している航空機の数や離発着便の多さには驚いた。
神戸なんかの比ではなく、次々と発着態勢に入る飛行機を目にするし駐機している航空機もかなりの数にのぼる。
さすがに大型機は見えないが中型機は何機か停まっている。新千歳や福岡には及ばないまでも、地方空港ではかなりの規模の空港だ。
その中でいかにもこの空港らしいのが、きっと、どれも離島航路なのだろうと思わせる近距離用の小さなプロペラ機が多いこと。それらはどれも、何かと話題のボンバルディア社製だ。
バスはその内の一機のそばに停車した。もちろんボンバルディア社製。
滑走路を歩き、ドア兼タラップの階段を上がる。
この一連の動作は昨年、新千歳空港で利尻行きの飛行機に乗る際、経験していたので特に驚きはなかったが、いかにも昔ながらの搭乗風景で「これからちょっと辺ぴなところに行く。」気分を高まらせてくれるので、すっかりお気に入りの光景だ。
「ブ〜ン」
双発のプロペラが回りだすと出発だ。
誘導路を滑走路に向けて走るのだが、このスピードがやけに速い。滑走路の入り口に来てもスピードを落とさない。
くるりと機首を滑走路の方に向けると、停まることなく一気に加速。
「よほど後続の便がつかえていたのだろうか。」
難なく離陸したのでひと安心。
この便の座席は通路側しか取ることができなかったので窓の外に広がる光景を楽しむことはできない。
機内アナウンスで「左手に桜島が見えます」や「右手に見えるのは開聞岳。」を耳にしたものの、実際には桜島の噴煙をわずかに見ただけで、ほとんど何も見ることはない。
わずかに水平飛行するともう下降をはじめ、海が近くに見えたかと思うと、もう屋久島の島影を見るようになっていた。鹿児島空港を離陸してから20分ほどだ。
「これが屋久島か・・・。」
屋久島を目にした第一印象は”大きな島”だった。
利尻島の印象があまりに強かったからか勝手な思い込みから、きっとこれらの島同士はほぼ同じような島と考えていたが、島の大きさや山容はずいぶん違っていた。(空港ターミナル・ビルもずいぶん古びていた)
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乗ってきたボンバルディア機 |
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屋久島空港はローカル色をいかんなく発している |
飛行機を降りると滑走路からは少し遠目に標高の高そうな山が見えた。
その山はずいぶん遠くの山に見えたが、ここから望めるということは人里から見える山の総称の前岳と呼ばれる山に過ぎない。
「これが前岳なら奥岳と呼ばれる山はどこに位置するのか・・・。」
まずは山の奥深さに圧倒された。
ターミナルで荷物を受け取ったら、バスに乗り込む前に必ずしておかなければならない二つのことがある。
ひとつはこれがないと山中で飯が食えないガスボンベと、もうひとつは山中でチビチビで呑もうと目論んでいた屋久島を代表する酒、三岳(みたけ)の調達だ。
どちらも通常価格に比べるとかなり高価だが、この際目をつむって調達する。
売店で三岳を買う際、屋久島でこれと並び人気の焼酎、愛子について店の人に聴いてみた。
すると、
「8ヶ月待ちです。。。」
「わっちゃ〜ッ!」
三岳は棚に数多く並んでいたので愛子もきっと容易に手に入るのではと軽い気持ちでこう聴いてみたが、予想に反し愛子の方が手に入りにくいらしい。残念。
バスの時間までの1時間を利用して近くのエアポートホテル併設の愛子亭で昼食だ。
店に入りカウンターに腰を下ろすと、ナナ何と、先ほど空港で8ヶ月待ちと聴いたばかりの愛子が目の前に並んでいるではないか。
「ちゃんと、あるやん。」
店の人にそれを指差し聴いてみた。
「(値段は)いくらですか?」
「すみません。キープ用の見本なんです。」
そんなに上手く行けば誰も苦労しない。
あっさりあきらめ食事ののち三岳だけを持参のグラン・テトラに詰め替え、
「これで忘れ物はなし。」
空港前でバスを待つことにした。
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バス内の様子 |
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安房、合同庁舎前停留所 |
バス停に、これから山に向かう風体の人は自身以外には見受けられなかったが、宮之浦方面から到着したバスにはそれ風の人がかなり乗っていた。
バスの人となり南国風の海沿いの道路をしばらく走ると安房(あんぼう)の合同庁舎前に着く。
ここで紀元杉行きのバスに乗り換えるが、それまでしばらく時間があるので道路の向こうの土産屋をのぞいてみる。土産にと考えている屋久杉の工芸品の下調べだ。
約1時間の待ち合わせののちの紀元杉行きのバスには、先ほどのバスにも乗車していた福岡からのUさんを含め数人が乗り込んだ。安房あたりの停留所でも何人かを乗せ、バスは山中へと入って行く。
いきなりの急勾配でグングン高度を稼ぐ。車窓の植生が変わり道路脇にスギを見るようになるとバスが停車した。
「右下にヤクザルがいます。」
運転手がガイドに早変わり。本州で見るニホンザルに比べると毛並みがやや濃く、体格はふた回りほど小さい。家族のようだ。
屋久島に生きる最大の動物はヤクジカで、ヤクザルも含めそれらにはこの島に天敵がいないので、こうやって道端でものんびりしているのだと教えてくれた。
屋久杉ランドを過ぎると、やがて終点の紀元杉停留所。
下車する際、当の紀元杉は少し後戻りしたところに位置するとUさんが教えてくれたので、カメラだけを持って見学に行く。
巨大なスギの周りには木道がつけてあり、わずかな時間でぐるりと一周できる。
確かに大きなスギなのだが、申し訳ないがどうもピンと来ない。
バス停に戻ったらいよいよ歩行開始。このバスを利用しての山行者はUさんと二人だけだった。
アスファルトの道は太陽の照り返しもあり、暑い。
川上杉を見ると淀川(よどごう)登山口はそう遠くなかった。
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紀元杉 |
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淀川登山口 |
ここからがいよいよ本当の登山道。
少し意気込んで登り始める。緩やかに登ると間もなく下りだした。同行のUさんによると登山口と淀川小屋の標高は、ほぼ同じだとか。
淀川小屋へはちょっと拍子抜け気味の、わずか30分ほどの道のりだった。
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淀川小屋前で語らう |
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ICUサークルの若者たち |
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意外や意外、小屋前のテント場にテントは見当たらなかった。
林の中にふた張りのテントはあったが、一等地ともいえる整地された小屋の前にそれはない。
小屋内を覗いてみると、すでにほぼ満員だ。
大きさはそれなりでかなりの人数の人が宿泊できそうなので避難小屋としての役割は十二分に果たしているのだが、あえて云うなら窓が少ないからか少し薄暗い。
時刻はまだ16時過ぎだったが、すでに夜のようだった。
こんな時のためにと持参したテントを、いまぞとばかりガランとした一等地に広げる。
こんな折はテント泊の真骨頂。好天のおかげで露天ではまだまだ明るく、しばらくのんびりしたら小屋内に就寝場所を確保したUさんと早目の夕食とする。
持参の三岳をチビチビやりながら、これまでの屋久島のことや今日のことをUさんと語らううち、ふと西の空を見上げると金星が輝いていた(表題画像)。
いつしかテントの数は増え、と同時に小屋内も満員御礼状態に陥っているようだった。
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夜の帳の下りた淀川小屋 |