ベットからはあの時のように微かにタバコのにおいが した。
この腕は塔矢じゃない。
塔矢は俺をこんな風にじらさない。
じれったいほどゆっくりと開かされた欲望と思考が混乱する。
それでも求めてしまうのは何故だろう。
緒方のもたらす快楽に沈んでしまいたい。
塔矢のことなんて忘れてしまいたい。
だけど本当は忘れる事なんて出来ない事もわかってる。 だからこんなにも苦しくて誰かに縋ろうとするんだ。
俺はもっと欲しいと言うように緒方を煽った。
腰を抱えこまれて受け入れやすくするために身をかがめた。
「はああああ・・・っん」
圧迫された内臓が悲鳴を上げる。
痛みと 快楽が入り混じり 呼吸も次げないほど息が乱れる。
「あああ ああああ!!!!」
思考が飛び散る前、暗闇のなかに塔矢がいた。
涙がぼろぼろと溢れ出す。
ベットに沈みこむ瞬間俺は無意識に塔矢の名を叫んでいた。
意識を失ったヒカルから緒方は覆っていた ネクタイを外した。
ネクタイはヒカルの涙で濡れていた。
「進藤・・・お前が好きだ・・。」
腕の中にあるのに手に入らない。
緒方は満たされない想いを口にして乾いた声で自分をあざ笑った。
ばかなやつ。だと。 アキラも 進藤もそして俺も。
緒方はこの生活が終わる事を予感した。
どのくらい眠っていたのか。
ヒカルはベットから起きあがろうとして下半身の痛みに疼いて
低く呻いた。
・・・全身に赤い鬱血のあとが広がっていた。
身なりを整えてからリビングに入ると行き場を失った先生が
タバコをくわえて遠い目をしていた。
「ごめん。先生の部屋空けるから。」
緒方が長い長い息を吐く。
「ええっと・・・」
俺は何か言いかけてその言葉を飲み込んだ。
何を言おうとしたのかさえわからかった。
重く長い沈黙。
「進藤 相手をしてくれ。」
緒方はタバコを灰皿に押し付けると碁石を掴んだ。
「お前に勝てば明日勝てそうな気がする。」
明日は棋聖のタイトルをかけて緒方は芹沢先生に挑戦する。
「そうかんたんにはいかないぜ。」
「わかってる。」
碁石の音だけが部屋に響く。
「俺の負けだな。」
緒方はそういうとイスに深く身を沈めた。
「うん。でも明日勝つのは先生だ。」
気休めではなく、そんな気がして俺はそういった。
「お前に言われるとそんな気がするな。」
「だろ?」
石を片付けながら俺は先ほどいえなかったことを
口にしようとした。
「先生 俺ここを・・・」
「それ以上いうな。」
ぴしゃりと締め出されて、オレはもう何もかも先生はわかっているのだと
理解した。
「うん。ごめん。」
オレはその場を逃げるように自室に入った。
次の日 俺は対局に向かう先生を玄関まで見送った。
「進藤 お願いがあるんだ。」
「なに?」
「ここの鍵は置いていくな。」
俺ははっとして先生をみた。
「でも 俺先生に・・・」
「応えなくていい。応えようなんて思わなくていい。
だが・・・お前が辛い時はここに来い。俺はいつでもお前を待ってる。」
そんな事を言われたら決心が鈍りそうになる。 俺はポケットに握り締めた鍵を手放した。
「うん。」
俺の揺れる心のタイミングを計るように先生は言った。
「・・・キスをしてくれないか。」
昨日肌を合わせた時 俺は先生のキスを拒んだ。
自分でもその理由はわからなかったけれど塔矢がこの部屋を出て行く時に
俺にキスをしたからかもしれない。
だが 俺は構わず背伸びして先生のそれに合わせた。 微かに唇が触れた所で離そうとして、だが、先生は
それを許さなかった。
俺の背中をしっかりと押さえ込むと深く深く唇を這わせた。
俺の内面まで入り込もうとするように・・・。
押し寄せる想いを受け止めるように俺はその口づけに応えた。
満足したように先生は俺を解放した。
「行ってくる。」
「うん。」
もうこうやって見送る事もないだろう。 でも俺はこれから先ずっと先生と碁盤をはさんで対局する。
塔矢とだって・・・だから。
「俺 今度の十段戦絶対落とさねえから。」
「ああ。楽しみにしてる。」
この日俺は先生のマンションを後にした。
広がる青空は見渡すかぎり快晴で・・・・
この道はこの空と同じようにどこまでも
続いている気がした。
それから5ヶ月後・・・
ヒカルは本因坊 名人 天元に続き王座そして
緒方から十段を奪い5冠を制した。
そして十段の就任式の次の日ヒカルは引退届けを提出した。
空を行く雲 おわり
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