パチリ パチリ パチリ・・・
こ気味良いテンポで碁盤に戦術がくりひろげられる。
長考する間はない。1手持ち時間10秒の早碁だ。
俺と塔矢はもう何局打ったかわからない早碁を
飽きる事もなく繰り返していた。
まるでこの1年を取り戻すように・・。
「負けました。」
頭を下げたのは俺の方だった。
「ここは手拍子だったね。」
「ああ、失敗した。ここは固めとくべきだった。」
碁石を片付けながら俺は欠伸を噛み殺した。
「進藤疲れてきたんだろう。」
塔矢の言葉に俺は1年前を思い出して笑っていた。
「僕は何かおかしなことでも言ったか。」
「いや。なんかこうしてるとさ、北斗杯の合宿
した時のことを思い出してさ。」
「何を言い出すのかと思えば。」
「社がいたんだよな。」
そうあの時は俺と塔矢と社がいたんだ。
「社くんがいなければ僕はあの時君に想いを果たそうと
したかもしれない。」
真顔でそう言った塔矢に俺は噴出した。
「ぷははは・・・駄目だ。可笑しい・・・」
「そんなに笑う事ないだろう。」
「だってさ。」
お互いあの時は知らなかった。こんな風に互いに
想いを寄せてたなんて・・・。
塔矢が俺の言葉や態度にこんなに一喜一憂するなんて。
俺はようやく笑いを抑えて言った。
「もしそうだったら俺困ったろうな。突然片想いだと思っていたお前から
押し倒されたりでもしたらさ。きっとあたふたしてたな。」
塔矢の碁石を掴んだ指が止まった。
碁盤の距離を超え腕を捕まえられる。
「お前ってわかりやすい・・・」
深く唇が重なって、俺は観念して塔矢に体を預けた。
朝の日差しが窓から差し込んでいた。
投げ出しただるい肢体を俺は何とか起き上がらせた。
「塔矢 俺腹減った。」
まだ隣で眠る塔矢の体を俺は揺さぶった。
昨日は塔矢が用意してくれた昼食件夕飯を食べたあと
何も食べてはいなかった。
「ああ そうだね。でも冷蔵庫に何もないんだ。買出しに行かないと。」
「だったら、ラーメン食いにいかねえ。この近くにさ、
すげえおいしい所があるんだ。」
塔矢が目を丸くする。
「ラーメン?」
「うん。前に緒方先生に連れてってもらったんだ。」
「それはいつ頃の事?」
先生の名が出ただけであからさまに不機嫌になった塔矢に俺は苦笑した。
「もう1年以上も前だって。お前さ緒方先生が絡むと途端機嫌悪くなるよな。」
「そうかな。」
塔矢には自覚はないのだろうか。
「そうだよ。」
「君が緒方さんに無防備だからだ。」
塔矢は怒ったようにベッドから起き上がった。
「塔矢 それってさ、ヤキモチなわけ?」
「進藤僕をからかって楽しい?なんなら もう1度
相手願おうか。」
「バ バカ 俺腹減ったっていってんだろ。」
俺も慌ててベットから起き上がった。
服に手をかけて俺は塔矢に言いそびれていた本音をぼやいた。
「本当の事言うとさ 俺の方がヤキモチやいてんだぜ。」
塔矢は知らない。緒方が塔矢に惚れてる事を。
俺にしてみれば自分よりも大人でTOP棋士の
先生は憧れで・・・。
しかも塔矢と同じ門下の緒方先生は
俺よりもずっと塔矢に近い存在だ。
そんな緒方が塔矢に惚れているとなれば油断大敵だって。
とは言ったものの今の塔矢の様子からじゃその心配もなさそうだとおもった
案の定、塔矢は呆れたように笑い声をたてた。
「君はひょっとして僕と緒方さんの仲を勘ぐってるのか。
だとしたらとんでもない誤解だ。」と。
10時過ぎ二人で出かけたラーメン屋はまだ準備中の看板が掛かっていた。
「ひょっとして今日休みじゃないよな。」
「準備中の札があるんだからまだ開いてないだけじゃないのか。」
「ここの親父は頑固でさ いい食材が入らなかったら店開けないんだよな〜」
俺はそういいながら店の扉を開けて中を覗き込んだ。
店の奥からスープの仕込みの匂いが広がっていた。
俺のお腹がぐぐぐ〜ぐとなり塔矢がくすくす笑いだす。
「だって 俺 腹減ったんだぜ。」
「おいおい誰だ。まだ準備中だぞ!」
おやじさんの怒鳴り声が俺はなぜかむしょうにうれしかった。
「おじさん 久しぶり!」
「おお〜坊主か。久しぶりだな。」
「はじめまして。すみません準備中にお邪魔して。」
塔矢は礼儀正しく深々と頭を下げていた。
「おっ!連れは塔矢アキラくんかい。もうちょっと待っとけ。すぐ
だからな。」
二人並んでカウンター席に座るとおやじさんは店のTVをつけた。
「お前ら見てたか。今緒方先生が打ってんだぜ。」
TVには緒方とその相手の彰元の対局が映し出されていた。
俺はその対局に鳥肌がたった。
「すげえ。これどういう手順だったんだろ。」
俺と塔矢はTVに釘づけになる。
「何だ。坊主見てなかったか。」
呆れたようにそういったおやじは初手から棋譜を
教えてくれる。
「 初手 緒方 右下星 2手目 彰元 左上星
3手目・・・」
俺は感心する。
「おじさん碁 打つんだ。」
おやじは頭をかいて笑った。
「坊主 先生から聞いてねえのか。
こう見えても俺は昔院生やってたんだぜ。今はラーメン屋
やってるけどな。
ほらお待たせ。お前らもそれ食ったら
日本代表を応援してやれよ。今年の北斗杯俺も緒方も
ここでお前らの事応援してたんだからな。」
「ありがとうございます。」
そうかえした塔矢におやじさんはにこやかにTV画面を
見上げた。
「塔矢くん。君のことも緒方から聞いてるよ。
二人ともそのうちあそこで対局するかもしれんな。
将来楽しみだ!」
おやじさんは本当にうれしそうにそういうと店の暖簾をだしにいった。
ラーメン屋を後にした俺と塔矢は部屋への道を急いだ。
先生の対局をみて じっとはしていられなくなったのだ。
この道は続いてる。どこまでも限りなく続く高みへと。
神の一手に・・。
俺たちは疑うことなくそう信じてた。
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