大地へ


18





※またしてもお話が飛びました。北斗杯終わっています(苦笑)アキラくん視点に変わっています。


     
北斗杯を終えて3日後.の事。




大手合いを終えて家に帰った僕を温かいあかりが迎え入れる。
いつもは暗く火の気もない家の玄関に灯りがともっているだけでもなんだ
かうれしい。


が、あえて言うなら彼の帰国中に帰ってこなくても
と思う自分自身にアキラは苦笑する。


だが・・・玄関を上がると彼のシューズが目に入った。




慌てて家に駆け込み、台所にいた母の背に聞いた。

「おかあさん。進藤が来ているのですか?」

「あら アキラさんお帰りなさい。」

挨拶さえせず血相をかえて入ってきた息子に明子は
少なからず驚いた。

「ええ、進藤くんなら来ているけれど・・・」

戸惑いがちに返す母にアキラは怪訝に思って聞き返した。

「なにかあったの?」

「それが・・・朝10時ごろからお父さんと碁を打っていて、
まだ終わってないようなの。」

「朝10時って・・・」


僕はしばし言葉を失う。今 午後6時を回っている。
公式戦でもないのにいくらなんでもそれは長すぎる。

「お昼にと思って軽くつまめる物とお茶を持っていったのだけれど
二人ともほとんど食べていなかったし。まるでタイトル手合いでもして
いるぐらい真剣でとても声を掛けられる雰囲気じゃないのよ。」

「わかりました。僕が見てきます。」

「そうしてもらえると助かるわ。」




居間のまえで僕は躊躇する。

お父さんと進藤。
いったいどんな対局をしているのだろうか。

居間の中はまるで誰もいないのではないのかと思うほどの
静寂が流れていた。

襖に手をかけた時、その沈黙を父が破った。

「彼はもういないのだな。」

呟くようにだが、その言葉をかみ締めた父の言葉に
戸に触れていた指が電流に触れたように押し返された。

ここに居てはいけない。咄嗟にそう思った。
だが、足はそこに張り付いたように動かない。

触れてはいけない進藤の過去と父の葛藤が
そこにあった。

またしばらく沈黙がながれて・・・
次に沈黙を破ったのは進藤だった。

「先生が佐為との再戦をずっと望んでいる事はしってました。
だのに俺 約束していたのに・・・」

「君のせいではない。」




進藤は泣いているのだろうか、声がかすかに震えていた。
僕は目を閉じて湧き上がるやりきれない思いをこらえた。


「 ひとつだけ教えて欲しい事がある。彼の本当の名前を
聞かせてはくれないか。」

「藤原 佐為です。」

「藤原 佐為 ・・・・」



父は胸に刻むようにそう呟いた。

「進藤くん。本当の事を話してくれて、ありがとう。
もしよければ 私が帰国した折にはこうやって君と対局したい。」

「俺なんかでよかったらいつでも。」

「君と対局すると彼を思い出す。」




この襖の向こうにいる二人が思いをはせている相手に
沸き上げる嫉妬心に似た想い。

だが、その相手はもうこの世にいない。顔さえ知らなかった。
話すことも対局する事すら叶わず、
遠い想いを忍ばせる父の気持ちが痛いほど伝わってくる。




父がずっと対局したかった相手はいない。



そして・・父は彼の代わりを進藤の碁に見いだそうとしている。
やるせない思いに囚われながら僕はその場を離れた。


台所に戻ると何事もなかったように母に伝えた。

「もう、対局は終わるようです。」

「そう、それじゃあすぐ夕飯にしましょうね。」

進藤とお父さんが顔を出したのはそれから間もなくの事だった。

「あれ 塔矢帰ってたの?」

できる限りの平常心を装いながら僕は進藤に話しかけた。

「まさか君が来ているとは思わなかった。」

「ハハ 塔矢を驚かそうと思ってさ・・驚いた?」

いたずらっぽく聞いてくる彼に先ほどの父との会話の
影は見えない。


4人で取った夕食は僕の気持ちとは裏腹に明るくて
和んでいた。

「俺 帰ります。」

「あら、今日は泊まっていかないの?」

母が名残惜しそうに進藤に聞いていた。

「こっちにいるときぐらい 家 帰んないと。」

「それもそうね。進藤くん またいらしてね。」

「はい。俺明子さんの料理食べられるならいつでも来ます。」

すっかり両親に打ち溶けてる彼に驚きながら僕は彼に付き添った。

「僕も少し出かけてきます。」

二人並んで外に出ると進藤がはにかむように言った。

「塔矢 見送ってくれるのか?」

「君と少しでも一緒にいたいから、」

そういうと進藤が照れくさそうに笑った。進藤の僕への
想いにウソはないことはわかっていて、だから悲しくなる。

僕に何も言ってくれない君が。






僕は家の近くの公園の前で足を止めて、彼の手を引いた。

「塔矢・・・?」

「少し君と話がしたい。」





誰もいない小さな公園のベンチに二人で座ると僕は彼に話を切り出した。

「君と父の会話を立ち聞いてしまった。」

「そっか。でもいつかお前には話さなきゃいけないって思ってたからいいさ。」

「じゃあ 僕にも話してくれるんだね。」

「それは・・・・」

困ったように俯く進藤に僕は思っていたことを投げかける。

「少なくともあれが全てではないと思っている。」

知りたい気持ちが彼を求める気持ちが止まらない。

「塔矢は何を知りたいんだ。俺から何を聞きたいんだ。」

「話してくれるのか?」

「お前が望むのなら・・・・」

そう言った進藤の言葉は震えていた。

僕の中に点滅する信号・・・・

真実を知って僕はどうするのだろう。何がわかるのだろう。
僕が望むなら話してくれるといった進藤の気持ち・・
今はそれだけで十分なのだ。

僕はいつだって彼の全てを求めてしまいそうになる自分を諌めた。
これ以上聞いてはいけないと・・・。
進藤はそっと目を閉じて僕の言葉を待っていた。





その横顔に僕は真実よりも今は彼の気持ちの方がずっと
大切なことなのだと思う。

そう真実より彼の気持ちが知りたい。
僕は進藤の肩をそっと抱き寄せた。

「進藤 ・・・君は父と佐為の対局を観戦したのだろう。
あの対局を見て何を感じた。何を思った。」

進藤が目を開けて僕の顔を驚くように見た。

おそらくもっと別の事を聞かれるものだと覚悟していたのだろう。



進藤の返事にはやや間があった。

「塔矢、一期一会って言葉知ってる?」

進藤の言葉にしては非常に難しい言葉だ。誰から聞いたのだろうか?
僕がうなずくと進藤は話を続けた。

「あの二人はさ、顔を合わせる事も 言葉を交わす事も一度
もなかった。
だけど、あの一局が周りに与えた影響はすげえ大きくて。誰もが心を
動かされるほどの碁で。そしてそれはお互いの運命さえ狂わせちまった。」

「ひょっとして進藤 、佐為が亡くなったのは父と対局した後だったのか?」

その質問に進藤は顔を曇らせた。
進藤の答えを聞かなくても彼の表情からそれを読み取る事はできた。
父との対局の後 佐為は亡くなったのだろう。




「悪かった・・・話を続けて、」

「佐為はあの一局に全身全霊をかけて、俺たちにさ囲碁の
未来を託したんだと思う。」

「一期一会、たった一度の出会いにかけた碁か。
・・・わかるような気がするよ。」

父があれほどまで拘ったsai。自分と対局するために存在
したとさえ言い切った相手。

だが父はもうこの世にいない彼の代わりを進藤に見出そうとしている。



「だけど 進藤 父は君を佐為の変わりにしようとしている。
君はそれでいいのか?」

「俺じゃ佐為の代わりになんてならないさ。そんな事先生だってわかってるよ。」

「でもさっき君と打てば佐為を思い出すと・・・」

「俺だって先生と打つと佐為の事を思い出すよ。」

「だから父と打つのか?」

そういうと進藤が可笑しそうにクスリと笑った。

「何だよ。塔矢ひょっとして妬けるのか?って先生に俺に?」

「えっ?」

進藤に心境を読みこされて僕は正直に答える。

「参ったな。両方だよ。」

「悪かったな。お前の親父なのに・・」

「構わないよ。」

「でもさ 俺たちがあの二人のような出会いじゃなくてよかったよな。」

「もしそんな出会いなら僕は君と出会わなかった方がよかった。」

「そう。俺はそんな出会いでもお前に出会わないよりはマシだって
思うけどな。」

「進藤!?」

進藤とたった一度の出会いなんて僕はそんな事を想像する事
すら拒否したかった

「君はそんな出会いでも耐えられると言うのか!」

自然と声が荒がってしまう。

「もう 塔矢たとえ話だよ。俺だって耐えられないさ。
でも俺中国にいた時でもお前の事身近に感じた。どこにいたって
俺たちは繋がっていられるんだなって思ったんだ。」


その言葉は昨年彼が中国に行く前に僕に行った言葉を思い出させた。
そう確かあの時彼は・・・・



離れていても心はここに置いて行くと言ったのだ。
ずっと僕の傍にいるからと・・・



彼は僕と離れてもその思いだけで生きていけるのかもしれない。
だが、そんな感情だけで僕はとても生きていけない。
耐える事などできない。

彼を離したくない一心で僕は進藤を強く抱きしめていた。




「本当はもう君を中国になんて行かせたくないんだ!」

言ってはいけない事だとわかっていた。自分の弱さだとも。
でももうこの腕の中からだって離したくないほど僕は君を愛してる。

「塔矢ありがとう。俺すげえうれしい。でもさ、行かなきゃならないんだ。
俺さ必ず帰ってくる。俺が帰ってくるところはお前のいる
所だけだからさ、だから待っててくれよ。」




この1年で身にしみてかんじた進藤との距離。

それは中国と日本という距離ではなく僕の弱さなのだ。
それに反比例するように進藤はどこまでも強くなっていく。



この時僕が感じた一抹の不安はこの後ますます増幅する事になる。
  
2章の大地へも次で終わりになります。   
      


目次へ

19話へ