あっと言う間に 伊角と和谷が中国棋院に来てから2週間がたって、
明日の夕方には帰国するという日 楊海が小旅行を持ちかけてきて、
急遽4人で出かけることになった。
ところが俺たちが小旅行に向うために棋院を抜けた所で楽平に
呼び止められた。
「ドコニ イクンダヨ。」
怒ったようにいう、楽平に楊海は頭を抱えた。
「ちょっと出かけるだけだ。」
「ダカラ ドコニイクンダッテ キイテンダロ。」
伊角は普段楽平のまえでは広東語を使うのだが、この時は日本語を選んだ。
「楊海さん。楽平が行きたいっていうなら連れていってやろう。」
「伊角くん本気でいってるのか。」
「なあ。楊海さん俺からも頼む。コイツとはさ、そりゃいろいろあったけど
今度いつ会えるかわかんないし、なんか他人のような気がしないんだよな。」
和谷の言葉に俺は関心したように言った。
「さすが楽平の兄ちゃんだな。」
中国棋院では密かに和谷を楽平の兄として位置づけられており
通称も「ダーレェピン」(大きい楽平)と呼ばれていた。
観念したように楊海が手の平を上げると楽平を誘った。
「お前も来るか?」
その途端楽平が満面の笑みを浮かべた。
北京から車で3時間。楊海が小旅行に選んだのは万里の長城の中でも
あまり観光客が訪れない司馬台長城だった。
ロープウェイで上まで上るとその全貌が明らかになった。
見渡す限り山の間をぬって長城が横たわる。
それはまるで山に絡みつく竜のようだ。
「なんか写真で見た長城とは雰囲気が違うような」
「和谷くんが言っているのはおそらく八達嶺長城のことだろうな。
日本人観光客はそっちに好んで行くことが多いから。」
以前写真で見た長城はレンガがきちんと道のように敷き詰められていた。
だが、ここは廃墟に近い。急坂の上 レンガの石も剥き出し、
道には草むらが生い茂って非常に歩きにくい。
「八達嶺の方は観光用に修復をされてるんだけど、こちらはほとんど作られた
当時のまま、だから風化していて危険な箇所も沢山ある。
だけど俺はこっちの方が好きなんだよな。」
険しい坂道を登りながら楊海がガイドをしてくれる。この自然のまま残された長城は
2000年以上も前に作られたものらしい。
「どんな物だっていつかは風化して消えていく。だが、人の想いや願いは繋がって
いくのだと思うよ。」
楊海の言葉は俺に向けられたものなのだと思う。
俺の存在理由を囲碁を打つ理由を北斗杯の時 楊海は聞いていた。
「うん。」
俺はその言葉を心に刻みながら廃墟の長城を仰ぐ。
「それにしても、あいつら早いなあ〜」
先々歩く楽平と伊角は(伊角は楽平に引っ張られて行っただけの事だが。)
とうに俺たちの視界からは見えない。
「いいじゃん。今日ぐらいさ、二人にしてやろうよ。」
俺の言葉に和谷が頭を掻いた。
「ああ。そうだな。だけど何か複雑なんだよな。あの二人見てると。」
それを聞いていた楊海が和谷に興味深げに聞いてきた。
「和谷くんも伊角君が好きなんだろう?」
「そりゃ嫌いじゃねえけど。でもあいつのとは違うさ。楊海さんだって
それぐらいわかるだろ。」
楽平が和谷に拘った理由。負けて悔しかったのは一番に和谷が
楽平にそっくりだったから。そして何より伊角と仲がよかったからなの
だろう。もちろん和谷には伊角に対するそんな感情はないだろうが
楽平にとっては最大のライバルになったに違いない。
だが、想われている当の本人伊角は全く気づいている様子はない。
「伊角さん気づいてるのかな?」
和谷がため息混じりに言った。
「そういう事に疎いからな、伊角さんは。
あいつの想いが報われる事はないだろうな。」
オレたちが喋りこんでいたら突然視界が開けた。
「すごいな。」
「ああ。」
見渡す限りどこまでも続きそうな山と長城・・・空が近くてほんの少し手を伸ばせ
ば届きそうだ。
「なんかさ、こんな広大な景色を見ると人間ってちっぽけだと思わねえ。」
「そうかな。俺は今だったら何だって出来そうな気がするな。」
「進藤?」
「だってこの空だって手が届きそうじゃん。」
そういって俺は空を掴むように両手を伸ばした。
そう、この空はどこまでも続いていて・・・もちろんあいつのいる日本にだって
続いている。
今この瞬間離れていてもあいつと同じ時を生きていると感じられる。
たったそれだけの事なのに俺の気持ちは晴れ渡ってく気がした。
想いだって本当に届きそうだ。
「いつか・・・あいつとここにこれたらいいな。」
ふと何気なく呟いた言葉に楊海がにやりと笑みを浮かべた。
「何 それ、どういう事 進藤君?」
「えっ?」
「あいつっていったろ。日本にいるコイビトのことじゃないのかい?」
「違う!」
慌てて否定すると和谷が大笑いした。
「楊海さんこんな囲碁バカ野郎に恋人なんている訳ないだろう。どうせコイツのいう
あいつなんて大方 塔矢の事なんじゃねえの。」
図星をさされて俺は苦笑するしかない。
「塔矢って先生の息子の塔矢くん。進藤君そうなの。」
困った俺は話を逸らす為に前方を指差した。
「それより見ろよ・・・」
そこには俺たちより随分先に行っていたはずの伊角と楽平が見えた。
二人は寄り添うように山々の頂きを眺めて楽しそうに話しこんでいた。
和谷が声を落とした。
「ちょっと俺たちも足とめよっか。」
二人の姿はなんだか微笑ましくて邪魔したくない。
「そうだな。」
報われない想い・・・和谷はそういったがきっと楽平にとってそれは報わ
れない想いなんかかじゃない。きっと今日の事は忘れられない‘想い‘になるだろう。
想いや願いがなんらかの形を残して繋がっていくのなら、どんな小さな想いだって
報われるはずだ。
楊海さんの手配してくれたホテルに入ると部屋にはベットが
4つしかなかった。楽平が急遽加わったために準備でき
なかったのだ。
楊海が冷たく楽平にいう。
「お前は床で寝ろ。どうせこの暑さで布団なんていらんだろう。」
むすっとした楽平が伊角に擦り寄った。
「 イスミクン ト イッショニ ネルカラ イイモンネ。」
伊角は少し困ったように微笑んだが、「いいよ。」
と返すと楽平の顔が破顔した。
伊角のベットにもぐりこんだ楽平は本当に幸せな笑顔を見せていた。
翌朝早朝 俺が気持ちよく眠っていたら突然肩を叩かれた。
「進藤君 進藤君」
小声で俺を呼ぶ声は楊海だ。
「何だよ 。もうちょっと寝かせて・・・」
昨日の山登りの疲れが残る俺は
文句をいいいながらそっと目を開けると間じかに伊角と楊海の顔があって二
人が隣りのベットに目配せした。
おれが起き上がるとそこには寄り添うように和谷と楽平が眠っていた。
「あれ?楽平って伊角さんと寝てたんじゃなかったっけ?」
まだ眠気の冷めない俺に伊角が「シー」と人差し指を口元に当てながら
小声でいった。
「楽平も素直じゃないよな。でも可愛いと思わないか。」
「寝ているとな。まだあどけないな。楽平も和谷くんも。」
楊海と伊角の瞳は温かい。確かに・・・
二人で寄り添って寝ている姿は微笑ましくなるぐらい可愛い。
そうか、楽平は和谷の事も伊角に負けないぐらいすきなのだ。
でもそれを和谷にも言う事が出来なかったんだ。
和谷お前も気づいてやれよ。
俺がそんな事を考えていると伊角が鞄からカメラを持ってきた。
「せっかくだから記念に写真を取っておこう。」
二人のツーショットはこうして伊角によって収められた。
その日の夕方 北京空港で・・・
二人の帰国を見送る楽平の顔は沈んでいた。
「楽平 また来るからそんな顔するな。」
楽平が神妙にうなずく。
和谷も名残惜しいのだろう。
楽平の頭をぽんぽんってたたいた瞳は少し濡れていた。
二人がゲートの中へ入っていく瞬間楽平が大きな声を上げた。
「ワヤ ライネン ゼッタイ オレ ホクトハイニ デルカラナ 。
オマエモ ゼッタイ デロヨ!」
振り返った和谷は少し困った顔をしたあと
「ああ わかったよ。日本で待ってるからなっ!!」
楽平にも負けないぐらい大きな声でそう返した。
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