続・BOY&GIRL


8




     
因島から尾道までの帰路はバスに乗車した。

墓の前で会話をしてからアキラもヒカルもほとんど口を開かな
かった。アキラが怒っているのか、そうでないのかちらりと盗み見た
横顔だけでは判断できなかった。
それはヒカル自身もそうなのだが。

けれどまさかアキラが佐為のことをあんな風に考えていたなんて思っても
みなかったのだ。
そしてアキラがそのことをずっと燻ってきたんだろうことも。
オレの世界(向こう)の塔矢もきっとそうなんだろうなと思う。


はっきりとアキラが言ったことを否定したかった。
『佐為はいたんだ。』


ヒカル自身、佐為が消えてしまって時間が流れていくにつれ
あのころが幻だったんじゃないかと掠めることがある。

それが怖かった。
『佐為は本当に存在したんだ』、『幻なんかじゃないっ!!』
佐為がヒカルが残した欠片を必死に拾い集めようとしてる。

秀策にこだわるのはそのせいかもしれない。





駅に着いてヒカルは足早にバスを降りた。そうして未だ何を
考えているのかわからないアキラに話しかけた。

「早く帰んねえと電車なくなっちまうぜ。」

「ヒカル。」

ようやくアキラはヒカルを正面に捕らえた。
突然に改まってだったのでヒカルのほうは逆に身構えた。

「な、なんだよ。」

「今日はこっちに泊まっていかないか?」

「明日は大手合だろ。深夜になっても東京に戻らねえと。」

「今日こっちにホテルを取った。それと一緒に明日一番の飛行機の
チケットも予約した。だから手合いには間に合う。間に合わせる。」

「はあ?なんでそんな勝手なこと相談もせずに決めるんだよ。
オレは1人でも東京に帰るぜ。」

イライラしてヒカルは駅構内へと歩き出す。

「進藤待って。」

ヒカルでなく進藤と呼ばれたことに驚いてヒカルは立ち止まった。
少なくとも(2度目となる)こちらの世界にきて
進藤と呼ばれた覚えはない。


「今君をこのまま帰したら僕はきっと後悔する。」

「だったら一緒に東京に帰ればいいだろう?」

「一緒に?なら君はマンションに帰って来てくれるの?」

「・・・オレはその・・・3、4日1人になりたいだけだから。」

日数は適当に誤魔化すしかない。それぐらいであいつと入れ替わった体も
戻れるかもしれない。もし戻れなかったら・・・?
そのときはまた考えるしかない。

「その間君は実家に帰るの?」

「そんなこと・・・。」

ほっといてくれと怒鳴りそうになってヒカルは口を閉じた。
ヒカルはこれでも彼女の代わりなのだ。
ヒカル自身のせいで塔矢と彼女との夫婦の関係を壊すわけには
いかない。お互いの体に戻ったときにあいつに迷惑かける
とりあえずの体裁だけは保っておかないと・・・。
ヒカルは冷静さを取り戻すように言葉を捜した。



「実家はちっとな。」

帰ってもお袋たちに嫌味を言われるだけだろうし、あの家にはすでにヒカルの
居場所はなかった。
普段なら2、3日ぐらい和谷の家でも転がり込めるが性別が違うのだから
そういうわけにもいくまい。

「ビジネスホテルにでも泊まろうかな。3日〜4日ぐらいだから
心配すんなって。」

ヒカルはなるだけ明るくそういったがアキラは露骨に顔をしかめた。

「君にそんなことをさせるぐらいなら僕がマンションを空ける」

「なんでそうなるんだよ。」

「君が1人になりたいのは僕のせいなんだろう?」

ヒカルは返事に窮してアキラから視線をそらした。

「いや・・でも・・・それは・・・お前だけのせいじゃないし。」

アキラは苦笑すると長いため息をついた。

「君が1人になりたいというなら、僕はそれを尊重する。でも
その前に僕は君とちゃんと向き合いたい。話がしたい。僕は後悔し
たくないんだ。」

「大袈裟だよな。たかだか3、4日のことで、」

「今の君を見ていると不安でしょうがないんだ。」


塔矢と一緒にいたい。同じ時間を共有したい。
普段何気なく感じてはいてもヒカルはそれを意識しないようにしてきた。

塔矢もそうだった。
お互いに意識してはいるもののその先の一歩を踏み出すことにためらい
があった。

だがあの日・・・塔矢は踏む出そうとした。

こっちのヒカルと入れ替わった日の前夜、碁会所で塔矢にキスされたことを
思い出しヒカルは体が熱を帯びたような感覚に襲われた。

あんな風に感情をぶつけられると正直面食らう。

そしてまさに今ヒカルと向き合っているアキラはストレートに
その想いをぶつけてくる。

こっちのヒカルとアキラは夫婦なのだから
そういったことに遠慮がないのかもしれないし、性別の違いから
して根本が違うのかもしれないが・・・。

それよりも一番気がかりなのは
このままアキラを避け続けて元の世界の自分に戻れるのかってことだ。
考えても堂々巡りになりヒカルは深くため息をついた。

「オレどうしたらいいかわかんねえよ。」

本当に。どうしたら元の自分に戻れるのか、この状況をどう乗り切ればいいのか
わかるというなら教えてもらいたい。

「すまない。」

そう言ってアキラは端正な顔をゆがめた。

「なんで謝るんだよ?」

「今日君と一緒にいて感じたんだ。君は少なくとも僕を嫌ったわけ
じゃなさそうだ。
でも僕に触れられることを極端に怖がってる。
それは先日の僕の身勝手な行動がそうさせてるんじゃないの?」

「それは・・・。」

まさかそういう解釈に至るとは思わなくてヒカルは頭を掻いた。
全くの誤解なのだが今はそれで誤魔化すしかない。

「僕はそんな君を1人にしたくない。」

「でもさっきオレの意見を尊重するって。」

ヒカルは声を荒げた。

「わかってる。わかってはいるんだ。それでも・・。」

ヒカルの一言一言に一喜一憂するアキラにヒカルは内心驚いていた。
アキラがこんなにも心を乱すとは。本当にあいつに惚れてるのだ。
ヒカルは小さくため息をついた。

「わかった。今日オレお前と一緒にホテル泊まるし、明日はマンション
に帰るよ。」

「いいのか?」

「うん。けどしばらくは夫婦としてはちょっと・・・間を置いて欲しい。
そうだな。ライバルとしてなら・・・それでお前がいいなら。」

これが今のヒカルがアキラに譲歩できる最大の範囲だ。

「わかった。」

アキラは神妙にそういった後言葉を続けた。

「それから、saiのことはすまなかった。
もうあんな詮索はしない。」

「・・・・ああ。そうだな。」

また佐為の話をぶり返されるのかと思って身構えたヒカルにアキラ
が微笑んだ。

「しばらくはただのライバルに戻るんだな。」

「ただのライバルじゃねえよ。オレは『進藤ヒカル』だからな。」

それにアキラは笑った。

「そうだな。君は女流名人だった。」

あいつが女流の名人になったことはヒカルも知っていた。
前に入れ替わった時のこともあったし、気にしていたのだ。
あいつも頑張ってる。

そう思うと気持ちが少し楽になったような気がした。
こっちのアキラとはまだ1度も対局をしたこともないし・・・。

「塔矢、ホテルに着いたら打とうぜ?」

先ほどまであれ程渋っていたヒカルの変わりようにアキラは目を
細めた。
内心は複雑の心境なのだが表面は取り繕った。

「対局するのは構わないが明日はかなり早いよ。徹夜はできない。」

「1局だけだって!!」

「君の1局はいつもあてにならないだろう。」

「うっ、」

ヒカルは言葉を詰まらせた。
いつも『もう1局・・・』と言って対局をせがむのはヒカルの方だ。

言葉を詰まらせたヒカルにアキラが笑った。

「いいよ。碁聖のこの僕が君の相手をしよう。」

「おう、とにかく対局だ。対局。」

二人は顔を合わせると噴出すように笑った。

こうしているといつもの世界の普段の塔矢と自分
に重なっていく。先ほど根本から違うとヒカルが感じたことも
今は些細なことのような気がした。


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