昨日の塔矢とのことを思い出したヒカルはひとりごちて顔を染めた。 きっと入れ替わったあいつ(女の子のヒカル)も相当戸惑うことだろう。 だが自分よりは少なくともマシだろうとヒカルは確信する。
なんせ自分ときたら全裸でアキラと寝ていたのだから。 あいつは実家に戻っただけだと思えばいいだけだろう。
そういえば・・・とヒカルは我に返る。 明日(すでに今日となってるが)は囲碁ファンの泊まりのイベントに参加することに
なっていた。塔矢もだった。
こちらの予定はわからないが一緒なら
流石に夫婦いえど仕事では同じ部屋にはならないだろうし、何かと距離を
置くことができるかも
知れなかった。ただファンからは注目を浴びるかもしれなかったが。
仕事だからそれなりに分別がつく。 とにかく元に戻るまでアキラとは距離をおく必要があった。
前に来たときは3日ほどで入れ替わったのだからそのぐらいの日を
稼げばいいだろうか? もし戻れなかったら?
マイナス思考に入りそうになってヒカルは振り払うようにぶんぶんと
顔を横に振った。
大丈夫だ。絶対!!
そんなことよりもあいつに言い訳できないような碁や仕事をするわけにはいかない。 『塔矢』のことは・・・・。今の自分ではどうしようもない気がした。
こちらのアキラも自分の(元の)世界の塔矢と同じだと前に来た
ときに割り切った気でいた。 だからって同じように振舞えるわけではない。ヒカル自身の立場が違うのだから。 こんなことを考え出すと堂々巡りになってしまうのはヒカルもわかってる。
だから今は行動に移すしかない。
ヒカルは随分落ち着きを戻したような気がした。少なくとも目覚めたときよりは こちらの世界を受け入れようとしている。
ヒカルは自分の中でけじめをつけると自室を開けた。
アキラが待つリビングに向かうために。
ヒカルがリビングに顔を出すとアキラがソファからすぐに立ち上がった。
「ヒカル大丈夫?」
名で呼びなれていないヒカルは一瞬ドキっとしたが平静を装った。
「あ、いや、寝ぼけただけなんだ。ホント悪かった。心配させて、」
「そう?」
アキラは顔を曇らせたのを見てヒカルはもっと良い言い訳はないものかと 必死に考えたが思いつかなかった。
「あの塔矢?」
「僕の方こそすまなかった」
「あ、ああ」
ヒカルは言われた意味がわからなくてキョトンとした。 当然アキラとこちらのヒカルの夫婦間の関係なんてわからない。 アキラが何を謝っているのかもわからなくてヒカルはとりあえず無難に 相槌を打つしかなかった。
「つまらない嫉妬をして大切な君を傷つけた。 伊角さんや和谷くんとは院生からの付き合いがあることは知ってたし、 ・・・。」
「伊角さんと和谷って!?」
「昨夜和谷くんのマンションに行った君の帰りが遅かったから・・・。」
ヒカルはアキラの言葉がかなり衝撃的だった。
アキラが妬くってことにも驚いたが
その相手が伊角や和谷ってことにも。
性別の違いがあるのだからわからないが 少なくともヒカルの元の世界ではありえないことだった。
けど嫉妬するぐらい『あいつ』に惚れてるってことだ。
ヒカルはとにかく慎重に言葉を選んだ。
「もっと自信持っていいんじゃねえかな。
お前らしくねえっていうか。結婚したんだろ?」
アキラが苦笑した。
「なんだか人事みたいにいうんだな。君は、」
ヒカルは笑って誤魔化すしかなかった。
「そう・・・かな?でもオレみたいな女男みてえなの、好きになるやつ
お前ぐらいだってオレ思うからさ、」
ヒカルは心の中で(女男なんていったことを)もう一人のヒカルに詫びた。 少なくてもこちらのヒカルはそれほどガサツじゃない気がしたし・・。
「本当にそう思ってるの?」
「そうだって、」
むきになるとアキラは表情を変えた。
「緒方さんのことがあっただろう。君だって知ってるはずだ。 あの人は本気だった。 もし僕があの時告白をしていなければ君を取られていたかもしれないって
今でも思うことがある。」
「緒方先生って?!」
「誘われて何度かデートに行っただろう。もっとも君はデートだとは認識して
なかった っと後で僕に言ったけど。棋院でもうわさになっていたぐらいだから。」
伊角さんや、和谷、それに緒方先生まで・・・って 全くヒカルには想像できないことだった。性別の違いってここまで 違うもんなのか。そんなにこっちのヒカルは魅力的ってことなのか。 ヒカルにはわからなかった。
けど性別がどうだろうがヒカルが惚れたのは塔矢だ。 いつも素直になれねえけど。
「あのさ、オレが好きなのは塔矢だから。」
自分の世界の『塔矢』には言いたくても言えない台詞だった。 それが自然に口から出ていた。
「ヒカル・・・。」
抱き寄せられると男の時よりもアキラと随分体格差があることがわかって 震えた。押し切られたら抵抗できないかもしれない。
だが互いの唇が触れるとわかってもヒカルはそれを受け入れた。
キスをして元の世界に戻れる可能性にかけたかった。
心の中で今キスをしているアキラも元の世界の塔矢にも。
そしてもう一人のオレにも詫びた。
裏切ってしまったような後ろめたさが押し寄せていた。
3話へ
|