RAIN

20

 

     




名人戦 第5局目、ヒカルはこの対局はすでに7局までもつれ込むような予感がしていた

5局前夜にホテル入りしたヒカルはロビーで記者と話を終えた
アキラに目で合図を送った。

『ちょっと出ないか?』

ホテルの外をゼスチャーで示し、ヒカルは先に外に出た。
しばらくしてヒカルを追うようにアキラも出てきた。

「話があるんだけど」

「あまり2人で出歩かない方がいいだろう」

「対局者だからか?その対局者の部屋に押しかけてきたのはお前だったよな?」

アキラは小さく溜息を吐くと「わかった」と呟いた。

「そんなに時間取らせねえよ」


5局目の対局場所になった ホテルは海岸を見下ろすような高台に建てられていて裏手は海浜が広がっていた。

ホテルの裏手を下り、砂浜に降りると砂に足を取られた。
場所を少し誤ったかもしれないと掠めたが、今更引き返すわけにも行かずヒカルはそのまま進んだ。


夜もまだ早い時間だったが、浜辺に人の気配はなかった。

ホテルの灯りも届かない場所まで来てヒカルは足を止めた。
背後から追ってきていたアキラの足音も止まる。
ホテルからここまでくる間2人は何も話さなかった。

無言の沈黙に潮騒だけが闇に響く。

「この間の事だけど、オレはお前に応える気はねえから」

波の音にかき消されそうな声だった。
暗闇でもアキラがまっすぐにヒカルを捉えていた。

「ここまで呼び出したのはそれを言う為なのか」

「ああ」

沈黙が2人の間に流れる。逃げだしたいと思う反面、痛みを伴う
今の二人の空間がひどく愛おしくも想う。
対局とはまた違う重い空間だ。

そんな重ぐるしさを軽く吹き飛ばすようにヒカルは笑った。

「お前さ、市川さんの事どう思ってるんだ?」

「どうって?」

不審に問うアキラにヒカルは苦笑した。

「そのままだよ。未練はあんのかって聞いてるんだ」

アキラは答えなかった。『ある』とも『ない』とも言わず・・・
また沈黙が2人を包む。
そのアキラの沈黙が応えなのだろうと、ヒカルはやがて小さく頷いた。

「オレが市川さんを貰ってもいいか?」

「どういうつもりだ」

アキラの声は怒りを含んでいた。

「だからそのままの意味だって」

「ふざけるな!!」

怒りを含んだ声は怒りそのものになって、ヒカルも負けじと声を
張り上げた。

「なっ、ふざけてなんかねえって。ちゃんと真面目に考えてる。
市川さんにももう返事を貰ってる」

「本気なのか?」

「ああ」

「君は彼女を愛せるのか?」

ヒカルはその質問に少し呆れて、いや塔矢らしい気もして苦笑した。

「オレ市川さんの事、結構好きだぜ。それにそういうのはこれからだろ?・・・ただ」

そう言ってヒカルは一息入れ、塔矢を伺うよう見据えた。

「お前に未練があるならさ・・・オレは引くべきなんだろなって」

「君の想いは譲れる程度のものなのか!!」

甘かったヒカルの考さはアキラの強い憤りに吹き消された。
いや、初めから予想は出来たはずだった。


「お前の気持ちはよくわかったよ。オレはお前に気兼ねせず市川さんと付き合うから」

それだけ言い置いてヒカルはアキラを置き去りにその場を離れた。
振り返る事はしなかった。静かな海辺に砂利を踏みしめる音がやけに耳に響く。
見上げると空に三日月が浮かんでいた。

その月にアキラの姿がなぜか重なった。
振り返らなくても1人取り残されたアキラの姿が手に取るように見える。



「ちくしょ」

思わずそう口から漏れた。

抱きしめられた腕を思い出し『好きだ』と言われた事に未だ縋ろうとする自分が腹立たしかった。

オレが決めた事だろう。
もう十分じゃねえか。

矛盾する想いを断ち切るよう、ヒカルは月から視線を逸らした。





闇に消えていく進藤の背をアキラは睨みつけていた。

先日ホテルの部屋で彼を抱きしめた時に感じた高揚も手ごたえも消え失せていた。

なのに進藤を想う気持ちだけがこの『今』ですら募ってる。

「どうして、君は・・・、」

緒方のさる知恵があったのかもしれないし
市川と何かあったのかもしれない。

誰かのせいにすることは簡単だ。
だがこの場で何も言い返せんかったのはアキラ自身だ。

アキラは苛立った感情を落ち着かせるように目を閉じた。


「進藤・・・」

視界を閉じて脳裏に浮かんだのは闇に消えて行った進藤の後姿で、それは拒絶と同時に孤独も感じさせた。

『君はずっと僕を想ってくれていたのだろう』


アキラが目を開けた時飛び込んできたんは夜空に浮かぶ
三日月だった。





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