その日は取材の為、棋院に訪れたヒカルだったが、棋院を出た
所で見覚えのある車から市川が顔を出した。
「進藤くんお疲れ様」
「市川さん、塔矢の迎え?」
そうは言ったものの塔矢が今日棋院で仕事があったのか
思い当たらなかった。
「ううん、今日は進藤くんを待ってたの。乗って行かない?」
市川は『私とドライブでも』・・とおどけたように誘う。
ヒカルはわけもわからないまま助手席に座っていた。
「家は確か○○の辺りだったよね?」
「市川さん、送ってくれるの?」
「進藤くんに会うために棋院に来たんだから。
もちろん送るわよ」
車がゆっくり滑り出し景色が流れ出すと共に軽いPOPミュージックが流れ出す。ヒカルはこの歌を知らなかったが
きっとアキラもこの曲を市川さんの車で聞いたのだろうと、ぼんやり思う。
「進藤くん足はもういいの?」
「ああ、普通に歩くのは平気だけどって、
市川さんオレが怪我したの塔矢に聞いたのか?」
「ううん、雑誌に載ってたわよ。進藤君が足を怪我して、名人戦の間は椅子で対局するって」
「そっか」
そこで2人の会話が途切れた。
市川がなぜ、スケジュールまで調べて
自分を待っていたのかわからず、なんとなく窓から流れる景色と音楽で追いやりすごす。
「私アキラくんと別れたのよ」
ふいに独り言のように市川がつぶやいた。
「・・・・」
何と言っていいかわからなくてヒカルは言葉に窮した。
「アキラくんから聞いてない?」
「えっ、いや、聞いてたけど・・・。ごめん。」
「やだ、何で進藤君が謝るの?」
くすくす笑う市川はまるで気にしていないようにも見えた。
でも内心そんなはずないはずだ。
「進藤くん、アキラくんの好きなのでしょう」
ドキリとしてヒカルは一瞬市川を見ようとしたが、直視出来なくて窓へと視線を戻した。
「そんなのあるわけないだろ」
「進藤くんは嘘が下手ね。アキラくんがここにいるわけじゃないん
だから本音を言っていいのよ」
「誰かに何か言われたとか?」
信号で止まった市川が頬杖をついた。
「まあそうね、余計な事を聞いちゃったかな。でも
進藤君のこと放っておけなくて。おせっかいだってわかってるんだけど」
「だったら市川さんは塔矢の事どう思ってるんだ?」
「好きよ」
市川ははっきりとそう言った。横目で見てもすがすがしい程
の笑顔が少し羨ましくなる。
「アキラくんの事は今も変わらず好きよ。でも、ううん、だからって言うか、幸せになって欲しいと思ってる」
「あいつの幸せって、オレは市川さんと一緒になる事だって思うけど」
「そうかしら?」
「そうだよ。市川さんぐらい塔矢の事わかってるやついないし。
あいつ、市川さん逃したら結婚なんて出来ないって」
「そんな事はないと思うけど」
市川は可笑しそうにくすくす笑ったが、『そうだ』と言って頑固譲らなかった。
「塔矢は市川さんと結婚して、父親になって。
それであいつが親から受け継いだように、慈しんで、育てて、繋いでくんだ。それがあいつの幸せだって」
「それが進藤くんの描くアキラくんの幸せなのね。だからアキラくんの気持ちに応えないの?」
流石にぎょっとしてヒカルは市川を見た。
「塔矢が言ったのか?ひょっとして今日ここに来たのも塔矢に言われて・・とか」
「この際誰に聞いたかは詮索しないでくれると助かるのだ
けど。少なくとも誰かに言われて来たわけじゃないわ」
『これは本当』と市川は念を押した。
ヒカルはもしかしたら緒方かもしれないと過ったが、『詮索しないで』と言った市川にそれ以上は聞きだせなかった。
「塔矢だけの幸せじゃないさ、それがオレの幸せなんだ」
「進藤君の幸せ?」」
「オレも見たいんだ。あいつが親になって、そうやって繋いでいく
のをさ」
「アキラくんの子だからって同じ道に進むとは限らないでしょう」
「それでもいいさ。塔矢が父親になるのを見たいんだ」
「進藤くんはアキラくんの事を本当に愛してるのね」
「なっ、何言ってんだよ」
思わず、カッとして怒鳴っていた。
「だってそうでしょう.
好きになったら、自分に振り向いて欲しい。
愛してほしいと普通は思うもの。でも進藤くんはずっとそんな想いと葛藤して、その想いを殺して、アキラくんとライバルとして盤上で戦ってきた。違う?」
ヒカルは顔が熱くなるのを感じた。
「そんなじゃないって言ってるのに」
「ふふ、ここが車の中でなかったら進藤くんを抱きしめてる所よ」
「もう、からかわないで下さいって」
最寄駅もすぎ、間もなく自宅という頃になって市川が言った。
「もし、だったら・・・進藤くん、提案なんだけどこういうのはどう?
・・・・・・・・・・。」
一瞬の間の後ヒカルは市川の提案の意図を悟って小さく頷いた
「考えてみる」
自宅近くの公園前で市川は車を止めた。
「ここでいい?」
「うん、ありがとう。ここからすぐだから」
市川が車を止めた公園はアキラに告白されたあの公園で、あれからヒカルは公園の前も通った事がなかった。
「返事期待してるから」
そう言って走り出した車を見送った後、公園に目を移した。
甘く苦い痛みが胸を締め付ける。
市川さんの提案に乗るのもありだろうと。
たとえそれが塔矢を傷つける事になったとしても・・・・。
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