本因坊戦4戦はまさかの進藤のストレート勝ちで終わった。
あっけない幕引きであった。
緒方の不調もあったろうが、それより進藤の快進撃の方がより
強かった。碁会はこぞって進藤の強さに絶賛し、世界戦への
期待が高まっていた。
ホテルでの謝恩会ー
昼間は対局、夜は料理とお酒を囲んでの
地方のファンの集いには今人気の若手の棋士が、進藤やアキラも参加していた。
進藤は仲の良いプロ棋士たちと語らいながら、スポンサーや
お客とグラスを傾けていた。
アキラは芦原と語らいながらそんな進藤を横目で時折追っていたが、次第に忙しくなりそれも忘れていた。
アキラが夜風をあたりに会場を出るとトイレの入口に和谷が
立っていた。
和谷はアキラに向かって「よぉ」っと手を挙げると思わせぶりに苦笑した。
「どうかしたの?」
「ああ、進藤のやつがさ」
トイレを指刺して和谷が頭を掻く。
「進藤?体調でも悪いのか」
「そうなんだ。あいつそんなに酒強えわけじゃないのに
客に勧められるまま飲みやがって、それでちょっとな」
「大丈夫なのか?」
「まあ、たぶんな、
今伊角さんが薬買いに走ってくれてる」
そんな話を聞いたらアキラは一人で外に行くなど出来なくなって
しまう。
トイレを伺いに行こうとしたアキラを和谷が制した。
「塔矢、今は一人にしておいてやれって、お前の心配はわかるけどあいつ、お前にはそう言うの見られたくないと思うぜ」
和谷は暗にアキラにここは任せて欲しいと言ったのだろうが、
アキラはどうしても放っておくことが出来なかった。
「わかってる、でもそう言うのとは少し違うんだ」
先日、アキラは本因坊戦1局目の朝の事を緒方に問うた。
緒方は、否定しなかった。
『それで・・、オレが対局者の進藤と居たからどうなんだ?』
何か含むように緒方は笑っていた。
『いえ、別にどうとことはないです。ただ前日の進藤の様子が気になっていたので』
『小さな親切、大きなお世話だ』
緒方ははっきりとそう言ってアキラを睨んだ。
『どういう事ですか?』
アキラの声は微かに震えていた。
『お前は見なくていいものを見たんだ。
まあ、だが、あいつじゃなくオレに聞いたのは賢明だったな。
あいつを心配するならもう放っておいてやれ』
緒方はそう言って、その話をさっさと切り上げた。
あの時の緒方は今考えてもアキラには解せなかった。
緒方にも和谷にも進藤の事は放っておけ・・・と言われたのにアキラは何かが引っかかっている。
今の進藤を放っておけないのだ。
丁度その時、芦原が会場から駆け足で出てきて、こちらに気づき手を上げた。
「和谷くん、進藤くんと一緒じゃないの?
進藤本因坊がいないってお客さんが騒いで」
「芦原さんすみません。進藤の体調崩してちっともう今夜は無理じゃねえかな」
「そうなの、困ったな」
「しょうがねえか。塔矢オレは会場に事情を説明しに行くけど、」
和谷はそう言うとアキラをちらっと見た。
アキラに進藤を任せてもいいか?と無言で聞いていた。
「ああ、大丈夫だから、進藤は僕がみるよ」
「頼む」
和谷はアキラの気持ちを察してくれたのだろう。
和谷を見送った後アキラはトイレに入った。
一通り見回し進藤が入ったのが介助用だとわかると、
ノックした。
「進藤大丈夫か?」
中から返事はない。
ゆっくり戸を引くと鍵は掛かっていなかった。
「進藤、入るよ」
進藤は壁に凭れるようにうずくまっていた。
顔は真っ青で色がなく、アキラは血が引いたような気がした。
思わず駆けより肩を揺り動かす。
「進藤!」
「うっ、」
微かに進藤の目が開き反応がある。
「進藤!!」
もう1度名を呼んで揺り動かすとヒカルはアキラに気づく。
「塔矢?」
「ああ、僕だ。取りあえず部屋に行こう」
僅かに進藤の体が拒否をするように震え、アキラの手を払いのける。それが少し胸に刺す。
「こんな時ぐらいはいいだろう」
虚ろだった進藤の目がしっかり開き、アキラを受け入れるように
手を伸ばす。それに少しほっとして強く握り返す。
「君の部屋は?」
進藤が答えなければ自室に連れて行こうと思ったが進藤はポケッとからキーを出してそれをアキラに渡した。
アキラはヒカルの肩を抱くとトイレから出た。
通りすぎる人の好奇な視線をやり過ごしアキラは何とか部屋にたどり着くと、キーを入れる。
進藤はそのままベッドに転がるように突っ伏し、アキラは
スーツだけ脱がせると布団を掛けた。
そうすると進藤は布団に体を埋めた。
取り急ぎアキラは和谷にメールを打った。
『進藤は彼の自室に居ます。僕が付いてます』
その後すぐ和谷からメールの返信があった。
>こっちは何とか大丈夫だ。伊角さんが薬買ってきたけど持って
行った方がいいか?
『今は寝てるから無理だと思う。後でまた連絡する』
>わかった
一通りのやり取りの後、携帯を閉じベッドで眠る進藤を見た。
進藤は布団に丸めたカラダを微かに震わせ、寒毛を纏っているようだった。
「進藤寒いのか?」
無言の頷きがあり、布団の中から進藤が手を伸ばす。
アキラはその手を温めるように握った。
偶にはこんな事があったっていい。
今は安心して眠ったらいい。
ヒカルの手を握りながらアキラには確かに湧き上がる感情があった。
「ア・・・キラ」
掠れた声がそう自分を呼んでいることに気づきアキラははっと
した。
一度だって進藤が自分を『アキラ』などと呼んだ事はない。
「進藤・・・?」
「アキラ・・・・好きだ」
握りしめた手が震え、進藤の手を放しそうになる。
ただの寝言だと自分を咎める。
「アキラ・・・・
温めて・・・いつもみたいに・・・抱いてくれよ」
握っていた進藤の手が自然に落ちた。
雷が落ちたような衝撃だった。
その手がアキラの手を探すように空を掴む。
アキラはその手を握り返す事が出来なかった。
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