対局10分前、対局室の前で勲がアキラを待っていた。
勲は少し緊張した面持ちだったがアキラを見て頬を緩めた。
「よかった。」
胸を撫で下ろす勲にアキラは微笑んだ。
「居るんだね?」
誰がとも何処にとも聞けない。けれどアキラも勲もそれで十分だった。
人がいたので小声で聞くと勲はアキラの左背後を指差した。
「そっか、ありがとう勲くん、それに・・・。」
振り返ってアキラは勲の示した方をみた。
「『今日は憑いて見届ける』って」
要約された勲の言葉にアキラは気を引き締めた。
「ああ、」っと。
アキラが第一局二日目の対局を終えたのは昼過ぎだった。
検討に感想戦と新聞社のインタビューに応えた後にはすでに伊角や
勲の姿はなくそれに寂しさを感じたことは言うまでもなかった。
そこから2局目、3局目とアキラが勝ち越し、残り1戦となったころ
別の仕事でアキラは緒方と一緒になった。
「アキラくん、夕食を兼ねて一杯やらないか?」
アキラは緒方の誘いに苦笑した。
「ほどほどにして下さいよ。」
居酒屋の個室に腰を下ろすと緒方はいつも以上に言葉が多かった。
「アキラくん絶好調だな。」
「そうでもないですよ。」
アキラはため息交じりで答えた。棋聖戦は好調だが他はそうでもない。
特に世界戦では苦渋をなめることがまだまだ多かった。
「それより何かいいことでもあったんですか?」
アキラに声を掛けてくるときは大抵緒方の機嫌はいい。
先日バーに呼び出された時もそうだった。
「ああ、まあそうだな。」
「また夢で進藤に会ったとか?」
アキラは実はそのことについて緒方にもっと聞きたいと思っていた。
ヒカルは『偶然だった』と言っていたが・・・。
緒方に出来て自分に出来ないというのは許せなかった。
あまり深入りすると緒方に勘ぐられるかもしれないが酒の席であれば
緒方も笑いごとで済ましてくれるだろう。
「残念ながらあれからは会ってないな。」
「そうですか。どうすれば進藤と会えるのか緒方さんにご教授願いたかった
んですが。」
アキラの物言いに緒方は笑った。
「何だ、嫉妬してなかったんじゃなかったのか?」
緒方は目の前にあったジョッキを飲み干し、タバコに火をつけた。
「そうだな、しいて言えば酒を飲んで、タバコを吸っただけだが。」
アキラはそれに苦笑した。
「それだったら今と変わりませんね。」
「自棄酒だったがな。まあオレだって進藤に会える
方法があるなら教えて欲しいさ。」
緒方は「それより・・」と声を潜めた。
「オレの方がアキラくんに聞きたいことがあるんだがな。」
「なんでしょう?」
「1勝4敗、」
アキラは緒方のつぶやいた勝率に眉をひそめた。
緒方が言わんとしてることがわかった気がしたからだ。
緒方は不敵に笑いを浮かべると店員からジョッキの代わりを受け取った。
「アキラくん最近ネットでプライベート対局室を使っているだろう。」
アキラはやはりと思った。
「一体誰と対局してるんだ?」
「プライバシーを守るためにプライベート対局室を使っているんですよ。」
「つまり答えられない相手と取っていいというんだな?」
そう言った緒方にアキラは唇を噛んだ。
盲点だった。確かにプライベート対局は非公開で棋譜も公開されないが
勝率はカウントされてしまう。
「塔矢アキラ」で登録したことが裏目に出てしまったのだ。
疑問に思ったのは緒方だけではないかもしれない。
「忙しいアキラくんが棋戦を縫うように対局してる。
しかもアキラくんほどの実力で5回の対局中1度しか勝てなかった
相手となるとな。
オレはsaiだと思っているが違うのか?」
アキラはそれに肯定も否定もしなかった。
「saiの動向は僕もずっと探っています。でもsaiはあれからネットに姿を現して
ないでしょう。」
そうアキラは用心を考えて『sai』ではなく勲と対局をしている。
だからsaiはログインさえせず勝率も以前のままだ。
そこまで気づいて緒方はアキラに言ってるのだろうか?
「ハンドルネームぐらい誰だって変えられるだろう。
登録名を一つ増やすことだってできるんだ。
『sai』のネームは目立つしな。
特にアキラくんが『sai』の正体に気づいて声を掛けたのだとすればその辺りは
抜け目なくするんじゃないのか?」
アキラは深く溜息を吐くと言った。
「緒方さんの洞察力には驚かされますよ。でも残念ながら僕はsaiの正体
を知りません。」
「まあ、オレも素直にアキラくんが応えてくれるとは思っていなかったがな。」
勝ち誇ったように言った緒方にアキラは眉間にしわを寄せた。
「緒方さんはsaiの正体に思いあたるプロがいるのですか?」
「残念ながら全くだ・・・が。」
そう言って緒方は勿体ぶったように言葉を区切った。
「まもなくはじまるネット最強王戦でひきづり出してやるさ。」
「ネット最強・・・?」
公式ではないがネット最強は今までもあった棋戦の一つだ。
緒方は昨年度のネット最強王だ。
が、それと『saiの正体を暴くこと』がアキラには結び付かなかった
「ああ。今年からルールを変えたんだ。ネットに登録してるプロ棋士なら
誰でも参戦を可能にした。登録していない棋士も期間内に申し込めば
今までのように参戦できる。
プロの棋士なら自宅だろうとネットカフェからだろうと棋戦に参加
できるわけだ。
それは日本のプロだけじゃないぜ。世界中のプロ棋士だからな。
自分を試したいと思っているsaiが『ネット最強』に目をつけ
ないはずないだろう。」
これほど大掛かりな、
世界のプロ棋士と予選から競う大会など前代未聞だった。
ネットだからこそ可能だといえる。
緒方がそんなことを考えていたなんてアキラは想像もしていなかった。
それに確かに緒方の言う通りだろう。
ヒカルはこの棋戦のことを知れば間違いなく参戦したいと思うはずだ。
・・・が、それは正体がバレてしまうかもしれないというリスクも含み
勲にのしかかってしまうことにもなるのだ。
「それともアキラくんは正体がバレるかもしれないから
参戦するな・・・とsaiに進言でもするのか?」
そんな事を言った所でヒカルが引くとはアキラには思えなかった。
「saiを参戦させるためにルールまで変えたのですね。」
「ああ、saiが参戦すれば間違いなく注目されるからな。
ネットは宣伝にお金がかからないし、スポンサーも大喜びだったさ。
saiは頂点まで上がってくる。
オレは待てばいいだけだ。」
昔から緒方はヒカルの事に関しては計算高く勘がよかったことを思い出し
アキラは唇を噛んだ。
流石にsai≒ヒカルだとは思いも及んでいないだろうが。
緒方を侮るわけにはいかなかった。
「結婚する前に決着をつけてやるさ。」
そうつぶやいた緒方はやはりsaiを通してヒカルを見ているのかもしれない
と思う。
この棋戦アキラも引くわけにはいかない。
18話へ
勲は少し緊張した面持ちだったがアキラを見て頬を緩めた。
「よかった。」
胸を撫で下ろす勲にアキラは微笑んだ。
「居るんだね?」
誰がとも何処にとも聞けない。けれどアキラも勲もそれで十分だった。
人がいたので小声で聞くと勲はアキラの左背後を指差した。
「そっか、ありがとう勲くん、それに・・・。」
振り返ってアキラは勲の示した方をみた。
「『今日は憑いて見届ける』って」
要約された勲の言葉にアキラは気を引き締めた。
「ああ、」っと。
アキラが第一局二日目の対局を終えたのは昼過ぎだった。
検討に感想戦と新聞社のインタビューに応えた後にはすでに伊角や
勲の姿はなくそれに寂しさを感じたことは言うまでもなかった。
そこから2局目、3局目とアキラが勝ち越し、残り1戦となったころ
別の仕事でアキラは緒方と一緒になった。
「アキラくん、夕食を兼ねて一杯やらないか?」
アキラは緒方の誘いに苦笑した。
「ほどほどにして下さいよ。」
居酒屋の個室に腰を下ろすと緒方はいつも以上に言葉が多かった。
「アキラくん絶好調だな。」
「そうでもないですよ。」
アキラはため息交じりで答えた。棋聖戦は好調だが他はそうでもない。
特に世界戦では苦渋をなめることがまだまだ多かった。
「それより何かいいことでもあったんですか?」
アキラに声を掛けてくるときは大抵緒方の機嫌はいい。
先日バーに呼び出された時もそうだった。
「ああ、まあそうだな。」
「また夢で進藤に会ったとか?」
アキラは実はそのことについて緒方にもっと聞きたいと思っていた。
ヒカルは『偶然だった』と言っていたが・・・。
緒方に出来て自分に出来ないというのは許せなかった。
あまり深入りすると緒方に勘ぐられるかもしれないが酒の席であれば
緒方も笑いごとで済ましてくれるだろう。
「残念ながらあれからは会ってないな。」
「そうですか。どうすれば進藤と会えるのか緒方さんにご教授願いたかった
んですが。」
アキラの物言いに緒方は笑った。
「何だ、嫉妬してなかったんじゃなかったのか?」
緒方は目の前にあったジョッキを飲み干し、タバコに火をつけた。
「そうだな、しいて言えば酒を飲んで、タバコを吸っただけだが。」
アキラはそれに苦笑した。
「それだったら今と変わりませんね。」
「自棄酒だったがな。まあオレだって進藤に会える
方法があるなら教えて欲しいさ。」
緒方は「それより・・」と声を潜めた。
「オレの方がアキラくんに聞きたいことがあるんだがな。」
「なんでしょう?」
「1勝4敗、」
アキラは緒方のつぶやいた勝率に眉をひそめた。
緒方が言わんとしてることがわかった気がしたからだ。
緒方は不敵に笑いを浮かべると店員からジョッキの代わりを受け取った。
「アキラくん最近ネットでプライベート対局室を使っているだろう。」
アキラはやはりと思った。
「一体誰と対局してるんだ?」
「プライバシーを守るためにプライベート対局室を使っているんですよ。」
「つまり答えられない相手と取っていいというんだな?」
そう言った緒方にアキラは唇を噛んだ。
盲点だった。確かにプライベート対局は非公開で棋譜も公開されないが
勝率はカウントされてしまう。
「塔矢アキラ」で登録したことが裏目に出てしまったのだ。
疑問に思ったのは緒方だけではないかもしれない。
「忙しいアキラくんが棋戦を縫うように対局してる。
しかもアキラくんほどの実力で5回の対局中1度しか勝てなかった
相手となるとな。
オレはsaiだと思っているが違うのか?」
アキラはそれに肯定も否定もしなかった。
「saiの動向は僕もずっと探っています。でもsaiはあれからネットに姿を現して
ないでしょう。」
そうアキラは用心を考えて『sai』ではなく勲と対局をしている。
だからsaiはログインさえせず勝率も以前のままだ。
そこまで気づいて緒方はアキラに言ってるのだろうか?
「ハンドルネームぐらい誰だって変えられるだろう。
登録名を一つ増やすことだってできるんだ。
『sai』のネームは目立つしな。
特にアキラくんが『sai』の正体に気づいて声を掛けたのだとすればその辺りは
抜け目なくするんじゃないのか?」
アキラは深く溜息を吐くと言った。
「緒方さんの洞察力には驚かされますよ。でも残念ながら僕はsaiの正体
を知りません。」
「まあ、オレも素直にアキラくんが応えてくれるとは思っていなかったがな。」
勝ち誇ったように言った緒方にアキラは眉間にしわを寄せた。
「緒方さんはsaiの正体に思いあたるプロがいるのですか?」
「残念ながら全くだ・・・が。」
そう言って緒方は勿体ぶったように言葉を区切った。
「まもなくはじまるネット最強王戦でひきづり出してやるさ。」
「ネット最強・・・?」
公式ではないがネット最強は今までもあった棋戦の一つだ。
緒方は昨年度のネット最強王だ。
が、それと『saiの正体を暴くこと』がアキラには結び付かなかった
「ああ。今年からルールを変えたんだ。ネットに登録してるプロ棋士なら
誰でも参戦を可能にした。登録していない棋士も期間内に申し込めば
今までのように参戦できる。
プロの棋士なら自宅だろうとネットカフェからだろうと棋戦に参加
できるわけだ。
それは日本のプロだけじゃないぜ。世界中のプロ棋士だからな。
自分を試したいと思っているsaiが『ネット最強』に目をつけ
ないはずないだろう。」
これほど大掛かりな、
世界のプロ棋士と予選から競う大会など前代未聞だった。
ネットだからこそ可能だといえる。
緒方がそんなことを考えていたなんてアキラは想像もしていなかった。
それに確かに緒方の言う通りだろう。
ヒカルはこの棋戦のことを知れば間違いなく参戦したいと思うはずだ。
・・・が、それは正体がバレてしまうかもしれないというリスクも含み
勲にのしかかってしまうことにもなるのだ。
「それともアキラくんは正体がバレるかもしれないから
参戦するな・・・とsaiに進言でもするのか?」
そんな事を言った所でヒカルが引くとはアキラには思えなかった。
「saiを参戦させるためにルールまで変えたのですね。」
「ああ、saiが参戦すれば間違いなく注目されるからな。
ネットは宣伝にお金がかからないし、スポンサーも大喜びだったさ。
saiは頂点まで上がってくる。
オレは待てばいいだけだ。」
昔から緒方はヒカルの事に関しては計算高く勘がよかったことを思い出し
アキラは唇を噛んだ。
流石にsai≒ヒカルだとは思いも及んでいないだろうが。
緒方を侮るわけにはいかなかった。
「結婚する前に決着をつけてやるさ。」
そうつぶやいた緒方はやはりsaiを通してヒカルを見ているのかもしれない
と思う。
この棋戦アキラも引くわけにはいかない。
18話へ