今年のプロ試験が始まって一か月が経とうとしていた。
アキラはPCを立ち上げて今日のプロ試験の結果を追った。
勝敗は11勝2敗。勲の勝ち星が増えていた。
プロ試験も三分の二を消化して勲は現在2位につけている。
油断できる成績とは言えないがまずまずだ。
週末プロ試験結果を確認するのがアキラのここの所の
日課になっていた。
勲に声を掛けたいのはやまやまなのだが、大事な時期なのも
わかっていて。
今はこうやってPC越しに彼を見守ることしか出来なかった。
それから10日後アキラはたまたま勲と棋院前であった。
勲の勝敗は12勝3敗へとなり同率3位が二人と
いう状況になっていた。
勲は緊張した面持ちでアキラにぺこりと頭を下げた。
横を通り過ぎようとした勲をアキラは呼び止めた。
「勲くん頑張ってるみたいだね。」
立ち止まった勲はキョトンとした。
「プロ試験」
勲はアキラが成績を知っていたことに少なからず驚いたようだった。
「でも、もう後がなくて伊角先生は焦らなくていいって言ってくれるけど
オレ絶対プロになりたいから。」
「僕も勲くんがプロになるのを楽しみにしてるよ。」
「塔矢名人が?」
勲は不思議そうにアキラを見上げた。
「よかったら今から打てないかな?」
今まで躊躇っていたことがすっと言葉になっていた。
「えっええ?」
勲はきょろきょろして困惑を隠せないようだった。
先日対局を誘った時は嬉しそうだったのにアキラは勲が
何か予定でもあるのだろうかと 思った。
「すまない。忙しいのに声を掛けたようだね。」
「いいえ、そんなことないです。あのオレの方こそお願いします。」
「じゃあ棋院のサロンに行こうか?」
「はい、」
サロンの前まで来て勲が「あっ」と小さい声を上げて立ち止まった。
「どうかした?」
「ごめんなさい、やっぱオレ対局無理です。」
「何か都合悪かった?」
「そうじゃなくて、お金ほとんど持ってない。」
申しわけなさそうにそう言った勲にアキラは小さく笑った。
昔ヒカルがお金を持たずに碁会所に来たことを思い出したのだ。
「僕が誘ったのだからそれぐらい払うよ。
それに心配しなくていいと思うよ。」
実際プロ棋士はサロンへは顔パスでアキラも席料は
払ったことはない。
それでも躊躇する勲に構わずアキラはサロンに入った。
アキラを見て受付の女性がうやうやしく会釈した。
「使わせてもらっていいかな。」
「どうぞ、」
アキラが財布からお金を出そうとすると案の定受付嬢は困惑した。
「塔矢先生からお金は取れませんよ。」
アキラは勲を見て笑った。
ほら、大丈夫だろ?と言うように。
断られたがアキラはそのまま千円札を渡した。
「これで僕にはコーヒーを彼にはジュースをお願いします。」
「わかりました。」
「それじゃあ行こうか。」
アキラは邪魔されたくなくて一番奥の壁に囲まれている場所を選んだ。
ここは指導碁にも使われる場所だ。
「さ、どうぞ、」
「すみません。塔矢先生、」
「どうして謝るの?」
「えっと・・・。」
二人が席に着くと受付嬢が
コーヒーとジュースそれにケーキを運んできた。
恐縮する勲にアキラは彼の謝罪の意味がわかった。
勲は律儀で礼儀正しい性格のようだった。
それは伊角の教えなのかもしれないが。
「気にしないで、僕が誘ったのだから。」
「でもオレを誘ってくれたのは兄ちゃんの事があったから
ですよね?」
まさかそんな風に返されるとはアキラは思ってなかった。
「それは否定しないよ。でも僕個人としてお兄さんの事は関係なく
今は君と打ってみたいと思ってる。
それにしてもどうしてそんなことを?」
「塔矢名人と対局したなんて言ったらきっと友達が羨ましがるだろうな
って思ったから。」
子供らしい返答だと思った。
「そんなことで羨ましがられるんだ。」
アキラは笑って勲が遠慮するといけないと先にケーキに
口をつけた。
「勲くんもどうぞ。」
「いただきます。」
勲はやはり進藤によく似てると思う。顔も声も仕草もだ。
それにドキリとしてしまう時がある。
そしてそんな彼に進藤とは違う所を見出そうとしてしまう
自分がいて心の中で自笑した。
「勲くんはお兄さんの棋譜を見たことがある?」
当然あるだろうと思ってアキラは聞いた。
「はい。伊角先生や和谷先生からも見せてもらった事があるし、
塔矢先生の本も読みました。」
「読んでくれたんだ。あの本はそうだね。もしかしたら
君のために書いたのかもしれない。」
「オレのため?」
「君はお兄さんを知らないだろ?
あの本を書いたのはいろんな人に君のお兄さんを知ってもらいた
いと思ったからなんだ。
勲くんはお兄さんと対局してみたいと思ったことない?」
「えっ・・・と?まあ、そう思うかな。」
そういった後、勲が困ったように笑ったのを見てアキラは違和感を
覚えた。
世界最強・・・とまで言われた進藤ヒカル。
会ったこともないその兄の事を言われても勲にはぴんっとこない
かもしれなかった。だが碁打ちを目指すものとしてそんな相手に挑戦
したいと思う気持ちはあって当然だと思える。
アキラがこの時感じた違和感は拭えなかった。
「ごめん、変なことを聞いたね。それじゃあ打とうか。」
「はい。」
石を待つと勲がアキラに聞いた。
「置き石は?」
「定先にしよう。君は僕と同じプロになるのだから。」
「はい、」
勲のまっすぐな瞳がそれに頷いた。
「負けました」
そう言って勲は頭を下げた。
中押し負けだった。
アキラは本気を出してしまったことを悔いた。
だが本気を出さなければこの小さな少年に負けてしまうと思うほどの
気迫だった。それほど勲は強かった。
低段プロなら互角に張り合えるだろう。
アキラは今更ながら勲の成長に驚いていた。
「いい碁だったよ。」
そう言ったが勲は内容には納得はしていないようだった。
アキラは勲を見送るため棋院の外まで見送った。
「勲くん、今度対局するのは君がプロになった時だ。」
驚いてアキラを見上げた勲にアキラはライバルとしていつか
対局することになるであろう彼を思った。
それは自然と進藤に重なってアキラは胸を締め付けられた。
「楽しみにしてるから、」
「はい、今日はありがとうございました。」
勲は深く頭を下げて走り去って行った。
その後姿が見えなくなるまで見送ってアキラも帰ろうとした時
サロンの受付嬢が息を切らして出てきた。
「塔矢先生、忘れ物です。」
彼女が持ってきたのは小さな財布だった。
それはアキラのものではなかった。
「僕のではないけれど・・・。ひょっとして勲くんの?」
「ええあの子が座っていた席に落ちてました」
アキラは躊躇したが中身を確認した。
勲が言っていた通りお金はあまり入ってはなさそうだった。
棋院の会員証に進藤勲の名があったことから間違いなく勲
のものだ。
「ありがとうございます。」
そう言って勲を追おうとしてアキラは立ち止まった。
ひょっとしたら落としたことに気づいて戻ってくる可能性もあった。
家に帰るには必要だろうから。
そう思って棋院前で待っていたアキラだったが10分ほど待ったが勲は
戻ってこなかった。
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アキラはPCを立ち上げて今日のプロ試験の結果を追った。
勝敗は11勝2敗。勲の勝ち星が増えていた。
プロ試験も三分の二を消化して勲は現在2位につけている。
油断できる成績とは言えないがまずまずだ。
週末プロ試験結果を確認するのがアキラのここの所の
日課になっていた。
勲に声を掛けたいのはやまやまなのだが、大事な時期なのも
わかっていて。
今はこうやってPC越しに彼を見守ることしか出来なかった。
それから10日後アキラはたまたま勲と棋院前であった。
勲の勝敗は12勝3敗へとなり同率3位が二人と
いう状況になっていた。
勲は緊張した面持ちでアキラにぺこりと頭を下げた。
横を通り過ぎようとした勲をアキラは呼び止めた。
「勲くん頑張ってるみたいだね。」
立ち止まった勲はキョトンとした。
「プロ試験」
勲はアキラが成績を知っていたことに少なからず驚いたようだった。
「でも、もう後がなくて伊角先生は焦らなくていいって言ってくれるけど
オレ絶対プロになりたいから。」
「僕も勲くんがプロになるのを楽しみにしてるよ。」
「塔矢名人が?」
勲は不思議そうにアキラを見上げた。
「よかったら今から打てないかな?」
今まで躊躇っていたことがすっと言葉になっていた。
「えっええ?」
勲はきょろきょろして困惑を隠せないようだった。
先日対局を誘った時は嬉しそうだったのにアキラは勲が
何か予定でもあるのだろうかと 思った。
「すまない。忙しいのに声を掛けたようだね。」
「いいえ、そんなことないです。あのオレの方こそお願いします。」
「じゃあ棋院のサロンに行こうか?」
「はい、」
サロンの前まで来て勲が「あっ」と小さい声を上げて立ち止まった。
「どうかした?」
「ごめんなさい、やっぱオレ対局無理です。」
「何か都合悪かった?」
「そうじゃなくて、お金ほとんど持ってない。」
申しわけなさそうにそう言った勲にアキラは小さく笑った。
昔ヒカルがお金を持たずに碁会所に来たことを思い出したのだ。
「僕が誘ったのだからそれぐらい払うよ。
それに心配しなくていいと思うよ。」
実際プロ棋士はサロンへは顔パスでアキラも席料は
払ったことはない。
それでも躊躇する勲に構わずアキラはサロンに入った。
アキラを見て受付の女性がうやうやしく会釈した。
「使わせてもらっていいかな。」
「どうぞ、」
アキラが財布からお金を出そうとすると案の定受付嬢は困惑した。
「塔矢先生からお金は取れませんよ。」
アキラは勲を見て笑った。
ほら、大丈夫だろ?と言うように。
断られたがアキラはそのまま千円札を渡した。
「これで僕にはコーヒーを彼にはジュースをお願いします。」
「わかりました。」
「それじゃあ行こうか。」
アキラは邪魔されたくなくて一番奥の壁に囲まれている場所を選んだ。
ここは指導碁にも使われる場所だ。
「さ、どうぞ、」
「すみません。塔矢先生、」
「どうして謝るの?」
「えっと・・・。」
二人が席に着くと受付嬢が
コーヒーとジュースそれにケーキを運んできた。
恐縮する勲にアキラは彼の謝罪の意味がわかった。
勲は律儀で礼儀正しい性格のようだった。
それは伊角の教えなのかもしれないが。
「気にしないで、僕が誘ったのだから。」
「でもオレを誘ってくれたのは兄ちゃんの事があったから
ですよね?」
まさかそんな風に返されるとはアキラは思ってなかった。
「それは否定しないよ。でも僕個人としてお兄さんの事は関係なく
今は君と打ってみたいと思ってる。
それにしてもどうしてそんなことを?」
「塔矢名人と対局したなんて言ったらきっと友達が羨ましがるだろうな
って思ったから。」
子供らしい返答だと思った。
「そんなことで羨ましがられるんだ。」
アキラは笑って勲が遠慮するといけないと先にケーキに
口をつけた。
「勲くんもどうぞ。」
「いただきます。」
勲はやはり進藤によく似てると思う。顔も声も仕草もだ。
それにドキリとしてしまう時がある。
そしてそんな彼に進藤とは違う所を見出そうとしてしまう
自分がいて心の中で自笑した。
「勲くんはお兄さんの棋譜を見たことがある?」
当然あるだろうと思ってアキラは聞いた。
「はい。伊角先生や和谷先生からも見せてもらった事があるし、
塔矢先生の本も読みました。」
「読んでくれたんだ。あの本はそうだね。もしかしたら
君のために書いたのかもしれない。」
「オレのため?」
「君はお兄さんを知らないだろ?
あの本を書いたのはいろんな人に君のお兄さんを知ってもらいた
いと思ったからなんだ。
勲くんはお兄さんと対局してみたいと思ったことない?」
「えっ・・・と?まあ、そう思うかな。」
そういった後、勲が困ったように笑ったのを見てアキラは違和感を
覚えた。
世界最強・・・とまで言われた進藤ヒカル。
会ったこともないその兄の事を言われても勲にはぴんっとこない
かもしれなかった。だが碁打ちを目指すものとしてそんな相手に挑戦
したいと思う気持ちはあって当然だと思える。
アキラがこの時感じた違和感は拭えなかった。
「ごめん、変なことを聞いたね。それじゃあ打とうか。」
「はい。」
石を待つと勲がアキラに聞いた。
「置き石は?」
「定先にしよう。君は僕と同じプロになるのだから。」
「はい、」
勲のまっすぐな瞳がそれに頷いた。
「負けました」
そう言って勲は頭を下げた。
中押し負けだった。
アキラは本気を出してしまったことを悔いた。
だが本気を出さなければこの小さな少年に負けてしまうと思うほどの
気迫だった。それほど勲は強かった。
低段プロなら互角に張り合えるだろう。
アキラは今更ながら勲の成長に驚いていた。
「いい碁だったよ。」
そう言ったが勲は内容には納得はしていないようだった。
アキラは勲を見送るため棋院の外まで見送った。
「勲くん、今度対局するのは君がプロになった時だ。」
驚いてアキラを見上げた勲にアキラはライバルとしていつか
対局することになるであろう彼を思った。
それは自然と進藤に重なってアキラは胸を締め付けられた。
「楽しみにしてるから、」
「はい、今日はありがとうございました。」
勲は深く頭を下げて走り去って行った。
その後姿が見えなくなるまで見送ってアキラも帰ろうとした時
サロンの受付嬢が息を切らして出てきた。
「塔矢先生、忘れ物です。」
彼女が持ってきたのは小さな財布だった。
それはアキラのものではなかった。
「僕のではないけれど・・・。ひょっとして勲くんの?」
「ええあの子が座っていた席に落ちてました」
アキラは躊躇したが中身を確認した。
勲が言っていた通りお金はあまり入ってはなさそうだった。
棋院の会員証に進藤勲の名があったことから間違いなく勲
のものだ。
「ありがとうございます。」
そう言って勲を追おうとしてアキラは立ち止まった。
ひょっとしたら落としたことに気づいて戻ってくる可能性もあった。
家に帰るには必要だろうから。
そう思って棋院前で待っていたアキラだったが10分ほど待ったが勲は
戻ってこなかった。
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