アキラが緒方にバーに呼び出されたのは温泉のイベントの翌日だった。
呼び出されたバーで緒方はすでにほろ酔い状態だった。
「アキラくん遅いじゃないか。」
隣を勧められて座ったアキラに緒方はカウンタにブランデを注文
した。
「僕は明日は仕事だからあまり・・・。」
やんわり断ったが緒方は上機嫌だった。
「まあそう言うな。今日は付き合え」
相変わらずだと思いながらアキラはやむなくバーテンから差し出された
グラスを受け取って口につけた。濃厚な香りが口の中に広がる。
「何かいい事でもあったのですか?」
「ああ、あいつに会った。」
アキラはそれでピンっと来た。
「勲くんですね?」
「なんだ知っていたのか。」
「僕も知ったのは最近です。」
「お前を出し抜いて弟子にしようと思ったんだがな。」
アキラはそれに笑った
「出し抜くも何も、彼は伊角さんの弟子でしょう。」
「お前は弟子にしたいとは思わなかったのか?」
「彼の打つ碁には興味があります。
彼の棋譜を何局から見ましたが小4とは思えないキレと洞察力
です。それに打つごとに強くなっていく成長にも驚きます。」
緒方はそこで 溜息をついた。
「オレが言ってるのはそういう事じゃない。弟子にしたいかって
事だ。」
緒方の「勲を弟子にしたい」という思惑はアキラにはわからなかった。
ただ勲に興味があるのか。
勲にヒカルの面影を重ねているのか。
勲とヒカルは違う。緒方だってそんなことはわかっているはずだ。
けれど重ねてしまう気持ちもわかる。
アキラもまた溜息をついた。
「弟子にしたいかどうかわかりません。」
アキラはそう言って言葉を探した。
「もし・・進藤が生きていたら勲くんは彼の弟子
だったでしょう。
僕が亡くなった彼の代わりに勲くんに出来ることがあるとすれば
師匠としてではなくライバルとしての道を示すことだと思ってます。」
「お前が進藤の代わり?勲があいつの代わりなんじゃないのか?」
緒方は本音を言いすぎる。それは危険だ。
「進藤と勲くんは違います。」
「わかってるさ。そんなことは。」
緒方は煙草に火をつけた。
「と言ってもまだまだ先の話だろう。オレたちの前に現れるのは」
煙とともに吐き出された溜息にアキラは首を横に振った。
「そんな事はないです。もうすぐです。」
はっきりとそう言い切ったアキラに緒方は少なからず驚いたようだった。
おそらく緒方は勲の実力を知らないのだと思った。
「アキラくんにもう一つ今日は見せたいものがあるんだ。」
緒方は1枚の棋譜を取り出した。
「取り合えず何も言わずに見てくれ。」
言われた通りアキラはその棋譜を初手から最後まで追った。
細かく難しい碁だった。アキラから見ても白も黒も相当の手練れだ。
理解できない手もあった。だがそれらは後で絶妙に生きてくる。
落とされた石から示される道に
アキラはヒカルを思い出した。そうこの白はヒカルの碁だ。
アキラが棋譜を置くと緒方は得意げに笑った。
「どうだ?すごいだろ。」
「ひょっとしてこの白は進藤ですか?」
「流石アキラくんだな。白はあいつで黒はオレだ。」
アキラは目を丸くした。
「こんな対局いつしたんです?知っていたら本にも載せたのに。」
緒方は声を上げて笑った。
「本に載せるも何も対局したのは昨日だからな。」
「えっ?」
一瞬固まったアキラに緒方はもう1度自分に言い聞かせるように言った。
「対局したのは昨夜だ。」
まさか緒方は勲と打った棋譜だというのだろうか?
そう疑問を持ったアキラに緒方は少し憂げに笑った。
「夢の中であいつと打ったんだ。」
「夢・・・?」
呆れたのか驚いたのかアキラにもわからなかった。
「夢って夢ですか?」
「ああ、夢だ。だが、夢じゃなかった。たかが夢ならこんなに心が高揚
したり、乱れたりはしない。
それにこんなにもはっきり夢で打った対局を覚えてはいないだろう。」
緒方の言った事は最もだと思う。
アキラも夢の中で対局したことはあるがその内容を覚えていたこと
など1度もない。
「緒方さんが夢だと思っているだけでは。以前進藤と打ったものを
思い違いしたのでは?」
アキラの問いに緒方は首を横に振った。
「いや、昨夜オレは確かにあいつと対局したし、あいつを抱いた。」
緒方の言いぐさにアキラは口に含んだブランデーを吹きそうになった。
「彼女が聞いたら怒りますよ。」
笑って取り合わないアキラに緒方は口を尖らせた。
「なんだ?アキラくんは怒ったり嫉妬はしないのか?」
「いえ、そうですね。確かに、僕の夢にはどうして出てきてくれないのかと
恨みがましく思いますよ。
僕も夢でもいい。もう1度彼に会えたら・・と思います。」
そう言って心が締め付けられるように痛んだ。
もし叶うというなら一目でもヒカルに会いたいと思う。
それがうたかたの夢でも。
「オレはあいつなら1度なんて言わず毎日でも大歓迎だし、ネットの
亡霊でもかまわんさ。」
緒方がいう亡霊はネットのsaiのことだ。
ヒカルのはずはないが、そうと言って思い当たる棋士もいない。
「そうですね。」
「だがアキラくんと対局してからsaiは姿を現さない。
一体saiは何を考えているのか?」
アキラはあれから勲の打った棋譜を探した。
あの時エレベーターで勲は院生仲間と『sai』の話題をしていた。
勲もネット碁をしている可能性を考えて探したのだ。
院生の登録はプロのように申請すれば表示もされる。
但しプロの用に無期限でなく半年の期限つきになっていてその後は
その都度更新となる。
プロ以上に少ない日本の院生だ。
アキラが勲を見つけるのはそれほど難しいことではなかった。
勲はsaiが姿を現さなくなってからもネット碁を利用していたし特に
変わった様子はモニター越しからは伝わってこなかった。
ただ兄弟だから似ているのか。あるいわ二人ともsaiとの
接点があるためか棋風はどこか似ている気がした。
「saiの目的は僕にもさっぱり見当がつきませんよ。」
アキラは空いたグラスを置くとふっと長い溜息を落とした。
「なんとかsaiを引きづり出す方法があればいいんだがな。」
そう言って笑った緒方が実は本気だったことをアキラは
後で知ることになる。
11話へ
呼び出されたバーで緒方はすでにほろ酔い状態だった。
「アキラくん遅いじゃないか。」
隣を勧められて座ったアキラに緒方はカウンタにブランデを注文
した。
「僕は明日は仕事だからあまり・・・。」
やんわり断ったが緒方は上機嫌だった。
「まあそう言うな。今日は付き合え」
相変わらずだと思いながらアキラはやむなくバーテンから差し出された
グラスを受け取って口につけた。濃厚な香りが口の中に広がる。
「何かいい事でもあったのですか?」
「ああ、あいつに会った。」
アキラはそれでピンっと来た。
「勲くんですね?」
「なんだ知っていたのか。」
「僕も知ったのは最近です。」
「お前を出し抜いて弟子にしようと思ったんだがな。」
アキラはそれに笑った
「出し抜くも何も、彼は伊角さんの弟子でしょう。」
「お前は弟子にしたいとは思わなかったのか?」
「彼の打つ碁には興味があります。
彼の棋譜を何局から見ましたが小4とは思えないキレと洞察力
です。それに打つごとに強くなっていく成長にも驚きます。」
緒方はそこで 溜息をついた。
「オレが言ってるのはそういう事じゃない。弟子にしたいかって
事だ。」
緒方の「勲を弟子にしたい」という思惑はアキラにはわからなかった。
ただ勲に興味があるのか。
勲にヒカルの面影を重ねているのか。
勲とヒカルは違う。緒方だってそんなことはわかっているはずだ。
けれど重ねてしまう気持ちもわかる。
アキラもまた溜息をついた。
「弟子にしたいかどうかわかりません。」
アキラはそう言って言葉を探した。
「もし・・進藤が生きていたら勲くんは彼の弟子
だったでしょう。
僕が亡くなった彼の代わりに勲くんに出来ることがあるとすれば
師匠としてではなくライバルとしての道を示すことだと思ってます。」
「お前が進藤の代わり?勲があいつの代わりなんじゃないのか?」
緒方は本音を言いすぎる。それは危険だ。
「進藤と勲くんは違います。」
「わかってるさ。そんなことは。」
緒方は煙草に火をつけた。
「と言ってもまだまだ先の話だろう。オレたちの前に現れるのは」
煙とともに吐き出された溜息にアキラは首を横に振った。
「そんな事はないです。もうすぐです。」
はっきりとそう言い切ったアキラに緒方は少なからず驚いたようだった。
おそらく緒方は勲の実力を知らないのだと思った。
「アキラくんにもう一つ今日は見せたいものがあるんだ。」
緒方は1枚の棋譜を取り出した。
「取り合えず何も言わずに見てくれ。」
言われた通りアキラはその棋譜を初手から最後まで追った。
細かく難しい碁だった。アキラから見ても白も黒も相当の手練れだ。
理解できない手もあった。だがそれらは後で絶妙に生きてくる。
落とされた石から示される道に
アキラはヒカルを思い出した。そうこの白はヒカルの碁だ。
アキラが棋譜を置くと緒方は得意げに笑った。
「どうだ?すごいだろ。」
「ひょっとしてこの白は進藤ですか?」
「流石アキラくんだな。白はあいつで黒はオレだ。」
アキラは目を丸くした。
「こんな対局いつしたんです?知っていたら本にも載せたのに。」
緒方は声を上げて笑った。
「本に載せるも何も対局したのは昨日だからな。」
「えっ?」
一瞬固まったアキラに緒方はもう1度自分に言い聞かせるように言った。
「対局したのは昨夜だ。」
まさか緒方は勲と打った棋譜だというのだろうか?
そう疑問を持ったアキラに緒方は少し憂げに笑った。
「夢の中であいつと打ったんだ。」
「夢・・・?」
呆れたのか驚いたのかアキラにもわからなかった。
「夢って夢ですか?」
「ああ、夢だ。だが、夢じゃなかった。たかが夢ならこんなに心が高揚
したり、乱れたりはしない。
それにこんなにもはっきり夢で打った対局を覚えてはいないだろう。」
緒方の言った事は最もだと思う。
アキラも夢の中で対局したことはあるがその内容を覚えていたこと
など1度もない。
「緒方さんが夢だと思っているだけでは。以前進藤と打ったものを
思い違いしたのでは?」
アキラの問いに緒方は首を横に振った。
「いや、昨夜オレは確かにあいつと対局したし、あいつを抱いた。」
緒方の言いぐさにアキラは口に含んだブランデーを吹きそうになった。
「彼女が聞いたら怒りますよ。」
笑って取り合わないアキラに緒方は口を尖らせた。
「なんだ?アキラくんは怒ったり嫉妬はしないのか?」
「いえ、そうですね。確かに、僕の夢にはどうして出てきてくれないのかと
恨みがましく思いますよ。
僕も夢でもいい。もう1度彼に会えたら・・と思います。」
そう言って心が締め付けられるように痛んだ。
もし叶うというなら一目でもヒカルに会いたいと思う。
それがうたかたの夢でも。
「オレはあいつなら1度なんて言わず毎日でも大歓迎だし、ネットの
亡霊でもかまわんさ。」
緒方がいう亡霊はネットのsaiのことだ。
ヒカルのはずはないが、そうと言って思い当たる棋士もいない。
「そうですね。」
「だがアキラくんと対局してからsaiは姿を現さない。
一体saiは何を考えているのか?」
アキラはあれから勲の打った棋譜を探した。
あの時エレベーターで勲は院生仲間と『sai』の話題をしていた。
勲もネット碁をしている可能性を考えて探したのだ。
院生の登録はプロのように申請すれば表示もされる。
但しプロの用に無期限でなく半年の期限つきになっていてその後は
その都度更新となる。
プロ以上に少ない日本の院生だ。
アキラが勲を見つけるのはそれほど難しいことではなかった。
勲はsaiが姿を現さなくなってからもネット碁を利用していたし特に
変わった様子はモニター越しからは伝わってこなかった。
ただ兄弟だから似ているのか。あるいわ二人ともsaiとの
接点があるためか棋風はどこか似ている気がした。
「saiの目的は僕にもさっぱり見当がつきませんよ。」
アキラは空いたグラスを置くとふっと長い溜息を落とした。
「なんとかsaiを引きづり出す方法があればいいんだがな。」
そう言って笑った緒方が実は本気だったことをアキラは
後で知ることになる。
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