この空の向こうに
(邂逅)

8







     
緒方の部屋の壁を抜ける。
物に触れることが出来なくなった分
こういう時は便利になったと言えるかもしれない。

緒方の部屋は幸いにも一人部屋だった。
落とされた照明にヒカルはまだ戻っていないのか
すでに寝てしまっているかと思ったが緒方は一人ソファに腰を
下ろしていた。

近づくとテーブルランプが緒方のうつろな表情を映した。

テーブルの上にはタバコの残骸と空き缶が転がる。
緒方はそれでもまだ気が済まないのか缶ビールを開けた。

緒方はよく自宅でもこんな感じだった。
嬉しい時があった時も憂さ晴らしをする時もだ。

だがヒカルが思い出したのは佐為が緒方と最後の対局をした
日のことだった。


あの日の緒方と重なってヒカルは顔をしかめると
そのまま緒方が座っていた椅子とは向かい側に腰掛けた。

「勲の代わりにオレが来てやったぜ。にしても先生荒れてねえ?」

声をかけたが当然返事はない。
緒方にはヒカルは見えてない。
それでもヒカルは言葉を続けた。

「この間先生パンネットでオレと打ったんだぜ。気付いてくれたか?
あの碁もちっと荒れてたよな。ああそう、塔矢のやつと打った
名人戦の最終局も・・・らしくなかった。」

緒方は頭を抱えてますますうなだれた。
そんな緒方にヒカルは今愛おしさを感じてる。

うまくは言えないがそれは塔矢に対した激しい想いとは違ってた。
そして緒方のその憂いを帯びた横顔に10年という月日が流れた
ことも感じてる。


自分だけがあの頃のまま取り残された。
それは月日が経つにつれもっと離れてやがて置いていかれてしまう
かもしれない。

佐為が虎次郎を失った喪失で孤独に打ちひしがれたと言ったとき
ヒカルにはよくわからなかった。でも大切な人が出来た今のヒカルには
わかる。
それは深い闇の孤独だ。

ヒカルにはこの世に未練がある。
もっと碁を打ちたい、或るいわ勲と一緒にいたい。
・・・・そして塔矢への未練。
おそらくそれらの想いが魂をここに留めているのだろう。

神様の采配はいつなのか?
ヒカルにはそれは明日のようにも思えたし、ずっと先のようにも思えた。

現世に留まってもヒカルには両親とも友とも恋人とも歩むことは
許されていない。
ただ見守ることだけしかできない。

それでも勲と巡り会えて幸せだと思う。こうしてまた緒方にも
会うことができた。


目の前の緒方にはヒカルの言葉は伝わらない。
声は届いていない。
それでも何か緒方に伝わるものがあるかもしれない・・・そう信じて
ヒカルは話しかける。
ヒカルはタバコに火をつけた緒方に手をのばした。

「先生それ以上タバコ吸うなよ。オレがタバコ嫌いだったの知ってるだろ。」

緒方にヒカルの声が聞こえたとも思えなかったが
緒方はそのタバコをもみ消した。
そしてそのまま虚ろな目を閉じた。
しばらくしても動かない緒方にヒカルは緒方がこのまま寝てしまったことを
悟って溜息を落とした。

「もう、こんなとこで寝たら風邪引くだろ、」

毛布でも掛けてやりたいところだがそれはヒカルには出来ない。

「また先生の顔見に来る。それと勲の事ありがとうな。でも勲は先生の
事怖えみたいだから。もう少し優しく見守ってくれよ。」

すやすや寝息が聞こえてきてヒカルは微笑んだ。

「じゃあな、先生おやすみなさい、」

そういって立ち去ろうとした時ヒカルは不意に腕をつかまれた。

「えっ?ええ、」

この姿になってから物理的に足止めされたことはない。
一度車と接触したがすり抜けたぐらいなのだから。

「進藤・・・。」

背後で呼ばれた緒方の声に驚いてヒカルは振り返った。
腕を掴んでいたのは緒方だった。
それにヒカルは目を見開いた。

「先生?どうして?」

ヒカルがソファを見ると緒方は変わらずスヤスヤ寝息を立てていた。
じゃあ一体?いぶかしむように腕を掴んだ緒方を見上げた。

うっすら浮かんだその姿はヒカルと同じ霊体のようだった。
ひょっとしてこれが世に言う幽体離脱というものかもしれないと
思った。

「進藤オレに会いに来てくれたのか?」

緒方は眩しそうにヒカルの顔を見ていた。
それにヒカルは驚きを隠せなかった。
この姿になって一度だって勲以外の人と(お化けとだって)
会話なんてしたことはない。

だから緒方の方がヒカルに会うために来てくれたような気がした。


「ああ、先生が湿気た面してっから。」

ヒカルは緒方の手をほどくともう1度ソファに腰掛けた。

「そんなことで来てくれるならもっと早く来い。」

「落ち込んでたのか?」

「ああ、タイトルを全部無くした。」

ヒカルは笑ってはいけないと思ったが思わず声を上げてしまった。

「生きてたらいろいろあるだろ?いいじゃねえか。無くしたらまた取りに
行けば。防衛なんかより、がむしゃらの方が先生らしいぜ?」

何の根拠もないがそう笑い飛ばしてやった。

「お前に言われたらそんな気がするな。」

「だろ?」

「せっかく進藤がオレの夢に出てきたんだ。相手していけ。」

「夢」・・・っか?
緒方にとってはこの思いがけない邂逅は夢なのかもしれない。
だったら目覚めたら忘れてしまうのだろう。

寂しいと思ったことは否めなかった。
それでもヒカルが覚えていたらいい。

「ああ、相手してやるよ・・・と言っても碁盤と石がな。」

ヒカルも緒方も霊体なら石を掴むことが出来ないはずだった。

「そんなもん心配ないだろ。夢だからな。」

緒方がそういうと碁盤と碁石が突然目の前の机の上に現れた。

ヒカルはそれにおそるおそる触れた。
掴むことができただけじゃない。冷たい石の感触がした。
おそらく普通の人には見えない碁盤と石だ。

霊体同士ならこんなことも出来るのか?
それとも緒方が夢だと思い込んでるからなのかヒカルにも
わからなかった。

「先生は何でも出来ちまうんだな。ちっと驚いた。」

おそらく現実主義者のアキラだとこうはいかないような気がした。

「はは、オレがやろうと思ったらこんなもんさ。お前にだって
会えたしな」

「もう、調子いいよな。」

ヒカルは笑いながら石を握った。



                                     
                                   9話
     
    





ごちゃごちゃ考えてたらヒカルの思考もそんな感じになって
しまいました(汗)読み返すと『壁抜け』るのにソファに座れるってどんな
だろうっと思ってしまいました(苦笑)







目次へ

ブログへ