帰宅してすぐにPCを開けた。
ネット碁でsaiを検索すると何百ものHITが当たる。
その中から一番近いものを選んだ。
ドンピシャだった。
国籍は日本。所属はプロ棋士になっていた。
ここ2週間で対局数は50を超えていた。
だがそれ以前のものはデーターはない。
この2週間のsaiの対局者は全て名のあるプロ棋士ばかり
だった。
黒星は一度もない。そして検索数、閲覧数も圧倒的に
ずば抜けていた。
アキラは無造作にその中から一つ棋譜を選んだ。
それはたまたま緒方とsaiが対局したものだった。
アキラはクリックするたびに体が震えを纏うのを覚えた。
「圧倒的強さ」
いや、ただ強いと言うわけじゃない。対局時間の制限される
ネット碁でここまで的確に打てるものかと思うほど冷静沈着
で、かつ攻撃的である棋風は確かに「進藤」を彷彿
させた。
アキラは心が高揚していくのを感じた。
あの高永夏が「進藤の亡霊」と言わしめただけのことはある。
けれど、だからと言って日本のプロ棋士で思い当たる
ものはいない。
一体誰なんだ?
画面を見ながらアキラは棋譜に見入った。
そして別の棋譜をクリックしようとした時にわかに
画面が騒がしくなった。
>対局してください。
>オレが勝ったら正体を明かして。
>本当に日本人?
>プロなんですか?
>・・・・・
>・・・・・・。
一瞬にして画面に並びきれないほどのチャットが走った。
saiが入室したのだ。
アキラは慌ててsaiに対局を申し込んだ。
すでにこの時には30件以上もの対局申込みが
殺到していた。
もしアキラを知ってるなら対局を受けてくれるだろうと
いう自信はあった。
名のあるプロ棋士と対局して自分の
存在をしらしめようとしているなら「塔矢アキラ」は打って
つけだ。
待つこと数十秒。
アキラの思惑通り相手は対局の申し出を受けてきた。
但し持ち時間は30分、その後は1手30秒の早碁の条件
だった。
ネット碁ならあり得る条件だ。もし断れば対局の機会を
逃すことになるかも知れない。
そう思うとアキラは対局を受けていた。
その瞬間まだ始まってもいないこのネット碁の閲覧者が
2000を超えた。
公式戦のネット中継、ネット対局でもこれほどの観覧者
はいない。
アキラは深呼吸すると1点に集中した。
そのあとはもうただひたすらこの対局に精神のすべてを
注いだ。
5目半足りなかった。
寄せに入る前に足りないことは重々わかっていたが
アキラは最後まで打ち切りたかった
この相手ともっと打っていたいといつしか願ってた。
画面には知らない相手と対局した軌跡。
そして気づかぬ間に数千を超えるチャットが並んでた。
そのほとんどが2人の健闘を称えるものだったが、中には
いたずらや冷かしもあった。
アキラは対局が終わった後相手に検討を申し入れたが
それは断られた。
アキラはチャットでなくメールを打った。
『貴方は誰ですか?』
短く簡素なメールを送信した直後saiはネットから落ちた。
おそらくアキラのメールは見たはずだ。
普段saiはネットに現れると数時間はそこに滞在していた。
だが今日はアキラと対局するとそこから消えて行った。
saiははじめからアキラと対局するのが目的だったような
気がしてアキラは唇をぎゅっと噛んだ。
悔しさとともに高揚する気持ちが湧き上がってくる。
自然と浮かんだ「進藤」の横顔にアキラは首を振った。
そんなはずはない。
なのにアキラは接続を切ったあとも諦めがつかなくて
夜更けまでsaiが今まで対局した棋譜の全てを追った。
ますます抱く疑念とそれを打ち消す思いがアキラの中に交差
する。
おそらく相手アキラを知っているのだろうというのに。
相手がわかれば「なんだ。」と簡単に諦めがつく。
だからこそ見えない・・・saiに期待する自分はどうかしている
と思う。
『貴方は誰ですか?』
問いかけても帰ってこないメールは
まるで進藤に投げかけた言葉のようにアキラの中で
廻っていた。
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