この場面で映画の撮影は最後となる。
時間系列がしょっちゅう変わる撮影にしては珍しくこのシーンが
ラストだった。
ヒカルは撮影の準備が整うまでアキラと肩を並べて、話す事もせずただ空を見ていた。
あの対局をしてから、アキラとのどうしようもない距離を感じていた。
その距離はこれから先も、届くことなんてない・・・と諦めかけていた。
でもこうして二人肩を並べ空を見上げていると、そんなことなんてちっぽけに思えてしまうのだから不思議だ。
準備が整ったと合図があり、アキラが立ちあがる。
「アキラ」
振り返ったアキラにヒカルは困った。無意識に呼び止めたものの何を言おうとしたのかもわからなかった。
「えっと、頑張ろうな」
在り来たりな言葉にヒカル自身が苦笑した。
「ああ」
先を歩くアキラが眩しかった。
空の上で風が鳴る。
海の見下ろす小高い丘で、どこまでも広がる空を二人見上げた
晴天で雲一つない。迷いない空だ。
「夢はいつまでも眠らねえよな」
「眠ったらまた起こせばいい、倒れたらまた起き上がればいい」
「オレが挫けそうになったら、また励ましてくれるか?」
「ああ」
優しく微笑むアキラに吸い込まれそうになる。
これからもアキラが傍にいて叱咤し、励ましてくれたらと思う。
そうしたらいつか辿りつけたような気がするのに、
ヒカルはアキラから視線を移し眩しい空をもう1度見上げた。
終わらなければいいと思っていた。
けど違う空でもオレはお前とどこかで繋がっていられると信じていいか?
この先オレが歩み間違えそうになったら、お前はお前の場所を示してくれるか?
この空のように・・・。
「僕は君と見上げたこの空を忘れない」
台本にない台詞にヒカルは少し驚いた。
アキラがアドリブを入れてくるなんて今までなかった。
「オレも忘れねえよ。お前と目指す空は違っても、」
そう言ってヒカルはポンっと胸を示す。
「ここは繋がってる」
ヒカルという役でしか自分の想いは伝えられなかった。
けどちゃんとアキラに届いたはずだ。
アドリブを入れた二人に『カット』は入らなかった。
「行こうか」
「そうだな」
「OK」の声が響く。
「お疲れ様」
「お疲れ様」
周りの互いを労う声がして、ヒカルは撮影は終わったのだと
実感する。
それと同時に押し寄せてきた寂しさはどうしようもなかった。
まるで夢から覚めたような、そんな面持ちのまま
笑顔でスタッフに挨拶するアキラの姿に少しほっとする。
もう少しだけ夢を見てもいいよな?
その晩簡単な打ち上げがあった。対バンで参加したスパークルは東京に戻っていたし、関わったスタッフ全てでの打ち上げは東京に戻ってからだった。
打ち上げが終わった後、ヒカルはさっさと自室に戻り早々に布団にもぐりこんだ。
今晩だけはゆっくりと眠れるはずだ。明日の昼からは撮影場所になった地元の方々に挨拶やお礼を兼ねた交流があって、明後日にはここを起つ。
「ヒカル」
睡魔に誘われるヒカルに佐為の声が心地良く響く。ヒカルは布団の中から声を上げた。
「どこ行ってたんだよ」
佐為は打ち上げの時はヒカルの傍に居たのにその後姿を消していた。
「お願いがあります」
どうせまた碁を打てとかそういう事だろうとヒカルはワザとらしく深く溜息を吐き佐為が居る方ろは逆に寝返りを打った。
「明日にしろよ。オレ疲れてるんだからな」
「明日ではなく今日じゃないと出来ないことがあります。
後生です」
いつになく真剣な佐為の声にヒカルは止む無く布団から
顔を出した。
「なんだよ。碁を打つとかじゃねえのか?」
「違います。隣の部屋に行ってください」
「隣の部屋、アキラの事?」
佐為はただ頷いた。
ヒカルはそれではっとした。
ヒカルはジャージのまま部屋を飛び出しアキラの部屋の前で立ち止まった。
癖で後ろを振り返ったが佐為はいない。
遠慮してくれたのだろう。
ノックしてしばらく待つ。
「どうぞ」
落ち着いたアキラの声に背を押されヒカルは扉を開けた。
部屋は片付けられポツンとトランクが角に置かれていた。
アキラは机に座って本を読んでいた。それは発刊されたばかりの月刊 碁だった。
佐為はこの事を知っててオレに隣の部屋に行けと言ったのだろう。
ヒカルはアキラのベッドに腰掛けた。ベッドとアキラの座る机の距離はそうなかった。ワザとらしく部屋をヒカルは見回した。
「片付いてるな」
「ああ、僕は明朝にここを起つ。4か月の約束だったから」
「随分急だよな。でも映画の打ち上げや、舞台挨拶には来るんだろ?」
「いや、打ち上げは断った。後の事は・・・舞台挨拶も含め映像を撮ってる」
「そんな・・・」
バカでさえ忙しいのに
いつの間にアキラがそんなものを撮っていたのかヒカルは知らなかった。
言葉を無くしヒカルはベッドのシーツを無意識に握りしめた。
「東京に帰ったら僕はプロ試験を受ける。君には感謝して
るんだ」
「感謝なんていらねえよ」
ヒカルは叫ぶようにそう言った。
口先だけの感謝なんていらなかった。
互いに無言になり、ヒカルは次に紡ぐ言葉を探しあぐねた末、口にした。
「アキラ・・・今晩オレここに居ていいか?ほら、今まで朝まで一緒に居た事なかったろ」
ヒカルは妙に空まわっている声に焦った。アキラに変に思われたりしねえよな?
「すまない。疲れてるんだ。明日も早いし1人にしてくれないか」
アキラは本から目を離さずヒカルの方を見ようともしなかった。
アキラの横顔がぼやけ、ヒカルは溢れてきたものが涙だったことに気づき鼻をすすりしゃくり上げた。
アキラがヒカルの異変に気づき、顔を上げた。
見られたくなかった泣き顔を見られ、ヒカルの方は顔を落とした。
「ヒカル・・・」
アキラがヒカルに近づきしゃがみこむよう腰を落とした。
泣いていることはとっくにアキラにバレているだろうがそれでも隠すように顔を上げなかった。
目の前でしゃがんだアキラと視線が同じになる。
掻き揚げられた髪にようやく視線を上げると
その異常な近さにヒカルは戦慄いた。
重なった唇に何が起こったのか一瞬わからなかった。
離れた瞬間ヒカルは、こっ恥ずかさで顔を染めた。
「なっ、何、いきなりキスって、お前あんな嫌がってたじゃないか」
しかも唇なんて、今更に事態を理解してありえないと顔がますます茹でる。
「どうしていいか、わからないんだ。君といると・・・」
アキラは同じように膝に拳を握り苦悩していた。
「お願いだ。部屋を出て行ってくれないか、」
懇願するアキラにヒカルはわからなくなる。
『どうしていいかわからない』と言ったアキラはヒカルを励ますためにキスをしたのだろうか?
「どうしていいかわかんねえって、オレよくわかんねえけど。
今夜ぐらいオレアキラと一緒に居たい。迷惑かけねえから。本を読んでてもいい。碁を打ってもいい。
疲れてるんなら寝ればいい。オレは・・・お前と一緒に居られたらそれでいい・・・から」
「ダメだ・・・もっと辛くなるだけだ」
アキラの表情がますます険しくなる。
「アキラ・・・?」
「これで最後だ。本当に出て行ってくれ」
「どうしても駄目なのか?」
ヒカルの問いにアキラは応えなかった。
「ごめん、オレ我がまま言ってさ、迷惑だったよな」
何か気の利いたセリフを探したが見つからず立ち上がる。
瞳が乾かないうちにまた濡れそうだった。
「アキラ・・・その明日は・・・」
言葉が詰まって出てこなくて扉の前で崩れそうになる。
こんなみっともない姿を見せるくらいなら出て行きたいのに足が動かなかった。
「ヒカル・・・」
背後から近づいてきたアキラはヒカルを追い出すためだろう。
そう思ったのにアキラは突然ヒカルを背後から肩を抱いた。
「あっ?アキラ!!」
抱き寄せられ腕の力が強くなる。
「お願いだ。もう・・これ以上・・・」
アキラの声は震えていた。
「ば、お前言ってることと、やってることが無茶だろ」
アキラを振りほどこうとしたが、その腕はアキラの言葉と裏腹に
ヒカルが傍にいることを許してくれている気がした。だからその腕を握り返した。
「君が好きだ」
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