ヒカルは大きく伸びをしてごろんと床に横になる。
疲れが体だけでなく、思考にまで及んでる感じだ。
碁盤の上は検討の後が残っていた。
「ごめん、佐為オレ流石に疲れたかも」
『ええ、まあそうですね。打ち上げまで30分程ありますから
少しベッドで横になったらどうですか?』
ヒカルは『うん』と頷くとよろっと立ち上がった。
碁石がそのままだったが、佐為も今は何も言わなかった。
「時間になったら起こしてくれよな」
すぐに寝息が聞こえ、佐為は『ほうっ』と息を吐いた。
少しでもヒカルの気持ちが落ち着いたならよかったのだ。
『ヒカルおやすみなさい』
間もなく起こさなければならない時間になって、佐為はヒカルを見る。
すやすや眠るヒカルを起こすのは忍びない気もした。
けれど打ち上げもヒカルにとっては大事な仕事で、やむなく
立ち上がった時、「コンコン」と部屋をノックする音がした。
『はい!!』
思わず佐為は声を上げた。
『あの、ヒカルは寝てるんです』
ノックの音でもヒカルは起きず、外側から扉が開く。
ヒカルが碁盤を取りに行った時に閉め忘れたのだろう。
そこにいたのはアキラで佐為は驚いて、目を丸くした。
「来ないと思ったら寝ていたのか」
アキラの声は少し怒りを含んでいて、佐為は思わず謝罪
した。
『すみません。先ほどの事はヒカルも反省してるんですよ』
もちろん佐為の声も姿もアキラにも見えるはずないのだが、
それでも佐為は言わずにいられなかった。
アキラは部屋を見回し、床に置かれていた打掛けの碁に気付くと部屋に入って、碁盤の前に膝をついた。
『それは・・・私と貴方が『ネット碁』と言うもので対局した検討
譜で・・・』
佐為は言い訳がましくおろおろする。やはりヒカルに
片付けさせるべきだったと思う反面、この者には気付いてほしいともどこか思うのだ。
アキラはその盤面にすぐ気づいたようだった。
「そうか、ここに打てば・・・」
『そう、そうなんです。私が負けていたかもしれないのです。
それに気付いたのはヒカルなんです。すごいでしょう』
そう興奮気味に言って佐為は声を落とした。
「とはいえ、まだまだヒカルは貴方に及ばないです。
貴方に追いつこうと必死なんです。貴方が私を追うように」
アキラは碁笥にあった黒石を一つ碁盤に置いた。
もうここしかないという手だ。けれどヒカルは置かなかったのだ。
疲れていたというのもあったろうが・・・。
アキラは腰を上げると今もすやすや眠るヒカルを見つめた。
そうしてアキラはヒカルに近づいた。
佐為はアキラの通り道をあけ、少し間を開ける。
アキラは寝ているヒカルに覆い被り、佐為は咄嗟の事に視線を逸らした。
けれどアキラはそのまま動かなかった。
逸らしていた視線を戻すとそこに苦悩で揺れるアキラがいた。
『ヒカルを好いているのですね』
一瞬アキラが佐為の方を見る。
『ああ、言いませんから決して、今の事もその貴方の恋慕も』
見えてないことは重々わかっていても佐為は顔を横に振った。
そして聞こえない事がわかっていても言わずにいられなかったのだ。
『おそらく、ヒカルも貴方が好きなんです。ただヒカルはその感情に気付いてはいないだけです』
無意識に寝返りを打ったヒカルにアキラは小さく溜息を吐くと、後ろ髪惹かれるように ヒカルに背を向け歩き出した。
『ヒカルを起こさないんですか?』
佐為は慌ててヒカルを揺り動かした。
「ひかる、ヒカル、時間ですよ。アキラくんが来てくれましたよ」
「ふへ?って佐為 今何時?」
ヒカルの寝ぼけた声でアキラは一瞬足を止めた。
『違います。ああいや、違わないけど・・・。アキラくんが迎えに
来てくれたんです。ほら、仲直りする機会ですよ」
「ええっ?」
起き抜けのヒカルが見たのは部屋を出て行こうとするアキラの背中だった。
ヒカルは慌てて起き上がりアキラを追いかけた。
「アキラ、ちょっと待てって」
階段で追いつきヒカルは足早に歩くアキラの肩に触れた。
その肩が少し震えを纏う。
「触るな」
「あっ悪い」
振り払われた手に少し傷ついた。
足を止めたアキラも傷ついたように表情を曇らせ、ますますヒカルの胸が痛くなる。
「ごめん、オレお前の気持ち考えもしねえで。コンサートも悪かった。もうあんな事はしねえから」
「ああ、」
アキラは視線を逸らしてそう言った。
まだアキラは許してはくれていないのだろうと思うとヒカルは胸の奥がどんどんと痛みで広がって行くような感覚を覚えた。
「えっと、オレを起こしに来てくれたんだろ。サンキュな、
ほらもう時間だし、行こうぜ」
一生懸命言葉を探し平静を装ったヒカルにアキラが言った。
「君は着替えをしてきた方がいいんじゃないか?
打ち上げはスタッフだけと言っても部屋着は不味いだろう」
「ああ」
ヒカルはジャージだった事を思い出し、慌てた。
アキラは普段着といえ、きちんと着替えをしていた。
「スタッフには君が少し遅れる事を伝えておくから」
そう言って階段を下りて行ったアキラを見送りヒカルは
ふっと溜息を吐いた。
「やっぱまだ怒ってるよな?」
ヒカルの背後に居た佐為に自然と言葉が漏れた。
「アキラくんはもう怒ってはいませんよ」
「でもオレと一緒に行きたくねえからあんな事いったんだろ」
「違いますよ。もし本当に怒ってたらヒカルを起こしに来たと思いますか?」
佐為にそう言われてヒカルは『う〜ん』と唸った。
「それはさ建前とかあるだろ。スタッフの誰かに見て来い
って言われたのかもしれねえし」
「きっかけはどうあれ、ヒカルを起こしに来てくれた事に意味が
あると私は思いますが」
「そうかな」
ヒカルは先ほどアキラの肩に触れた時の事を思い出した。
微かに震えていた。
それはヒカルを拒絶してたように思えた。
今日のコンサート前はアキラがヒカルの肩を抱いたのに・・・。
それにアキラの汗ばんだ手の感触を思い出し・・。
同時に自分がアキラにキスをしたことを思い出しヒカルは顔が一瞬で沸騰したような気がした。
「ああ、えっと」
「ヒカルどうかしましたか?」
今更ながら本当に自分は何をしたんだと思う。
「や、着替えに行く。早くしねえと待たせちゃ不味いもんな」
今は自分のこの言い表せない感情を無視するしかなかった。
→22話