モノトーン

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アキラも佐為もはじめは軽い応酬だった。

佐為の手は確かにヒカルの手筋を意識していた。
もしヒカルだったらここに打つだろうという所にあてる。

しかもそれは上手くアキラの打つ手に呼応して、ヒカルは
内心ほっとしながら佐為の示す手に応じた。

始めにスタッフから言われていた20手はとうに過ぎまもなく40手も超す。
中盤にも差し掛かろうと言う所で佐為は手を止めた。

このまま続けるのだろうかとスタッフをちらりとヒカルは見る。
ヒカルの手は少し汗ばんでいた。

少し長考した佐為が示した手にヒカルは疑問を抱く。
ヒカルには先が読めなかった。
後々生きてくるのかもしれないが悪手に見えた。

それよりも中央のアキの方が気になる。
思考に入り込んだヒカルは中央に石を放り込んでいた。
アキラが気合いで返す。

「そこまでにしましょう」

スタッフの声でヒカルはほうっと頭を上げた。

スタッフの中にいつの間にか芦原がいて
アキラとヒカルの対局の様子を観戦していた。

アキラはまだ盤面を見ていたが、止む無しと思い直して座り直した。

「お二人とも納得いかないみたいですね」

司会の指摘にアキラが苦笑した。

「ええ、まあここで?と言うのが正直な気持ちです。ですがきっとこの先続けるとお互い引けなくなるでしょうから」

「ヒカルくんは?」

「オレは・・・、難しい所で終わってどうだろ?って」

無難に言葉を探したが、本音はここで止めてくれた事にほっともしていた。
佐為はどう思っているかわからないが。

「そりゃ二人ともこんな所で止められたら消化不良になりますよ」

芦原が二人を代弁するように笑ったが、司会側としてもアキラとヒカルにここで勝負をつけさせるわけにもいかなかったのかもしれない。


その後は芦原が「モノトーン」の囲碁監修という立場で対談に加わった。

アキラとヒカルの棋風や性格分析をして棋譜を作ったいきさつや
映画の対局場面の見どころなどの話をした。
実際はまだ撮りをしていない場面だけに、この先は映画でという話題作りも忘れなかった。

最後はアキラとヒカルの写真撮影で終了となった。



ヒカルは今日はもうアキラと距離を置きたくて、帰りたかったが、
『棋院を案内しましょうか』と職員に言われると、無碍にすることも出来ず応じた。

もちろんアキラも佐為も一緒に棋院を回ることになる。
2階のフロアを回っている時に突然佐為がヒカルに声を掛けた。

「ヒカル、ヒカル、あれはなんですか?」

佐為の声に振り返ると、パソコンに向かって対局している人がいた。

「囲碁のゲーム・・かな?」

足を止めたヒカルに職員がすぐ反応した。

「ああ、ネット碁の事ですか?」

「ネット碁って?」

ヒカルの疑問に答えたのはアキラだった。

「ネット碁はネット回線を通じて対局するシステムなんだ。
遠く離れた人とも回線を通じて対局が出来るんだ」

「じゃあ相手は人ってこと?CPUとかじゃねえんだ」

ヒカルはてっきり囲碁のゲームソフトで対戦しているものだと
思ったのだ。

「ああ、僕も昨夜台湾のプロ棋士とネット碁で対局したんだ」

「台湾のプロ棋士・・?外国にもプロ棋士がいるのか?」

「プロ棋士制度があるのは、日本、韓国、中国、台湾だけだ。
でも今欧米や欧州を中心に世界中で囲碁が広まっていて、
他の国でプロを目指す場合はこれらの国に移籍する人も
いるんだ」

「へえ、すげえな。外国人とも対局出来るんだ」

ヒカルはPC画面に見入った。対局はどんどんと進んでいた。
こんな小さなパソコンで世界中の人と対局出来るなんて、ヒカルは思いもしなかった。

「誰でも出来るものなのか?」

「ネット回線がつながっているパソコンがあれば誰でも、どこに
居ても出来るよ」

どこでも、誰でも・・・?
ひょっとして佐為に打たせてやる事が出来るかもしれないとヒカルは思う。
佐為はよくわからないながらもわくわくと目を輝かせて画面に
見入っていた。

「対局相手は誰かわかるのか」

「ハンドルネームを使うから特定されることはないよ。ただプロは本名で登録する事も多いかな。もちろんプロでもハンドルネームを使う人もいるけれど」

それに職員が補足する。

「成績や過去の棋譜はネット上に残って閲覧することが出来るんです。
それを嫌って本名を使わない棋士の方もいます。
そうすると登録したハンドルネームの記録が残るわけです。
お友達とハンドルネームを交換して対局すれば仲間うちだけで対局することも出来ます。
アキラくんとネット対戦することも出来ますよね?
ヒカルくんのような有名人でも安心して対局できますよ」

有名人と言われ、ヒカルは照れ隠しに笑った。

「いや、オレそんな有名じゃねえし」

「これから映画でますます有名になると注目されるでしょう。
興味があるならパンフレットを持ってきましょうか?」

案内の職員が席を空け、アキラとヒカルの二人になる。
アキラはタイミングを計っていたように言った。

「さっき、和谷くんと対局したと言ってたけれど君が勝った
のか?」

アキラの言葉の端には「勝ったのだろう」と言う念押しがあった。

「いや、時間切れで、途中までしか打てなかった」

『最後まで対局していたらヒカルが負けてましたけどね』

佐為に鋭く突っ込みを受ける。
けれど途中は途中で決着はついていない。

アキラはヒカルにまっすぐ手を差し出した。

「これから先ほどの続きを打たないか」

アキラの気持はわかる。でもまだその時じゃない。

「打たねえよ」

「なぜだ?君との対局を終えたら、僕がこの仕事を降りるとでも
思ってるのか?」

そんな無責任な事をアキラがするはずない。

「そんなの思ってねえよ」

「君は僕がこの役を引き受けたら対局してもいいと
言った。それは一体いつなんだ。
君が僕を避ける理由が僕にはわからない。
さっきの撮影の対局も本当は打ちたくはなかったんじゃ
ないのか」

『それは違う』と言い返したかったが出来なかった。
確かに今はまだアキラと打つわけにはいかないが、
『打ちたくない』わけじゃない。
ヒカルはアキラと視線を合わせずらくて下を向いた。

「ごめん、もう少し待ってくれねえか」

アキラが握った拳が震えているのに気づいた。

「撮影の対局でさえ僕は君との対局に高揚したのに・・・。
君は違うんだな」

ヒカルの胸にアキラの言葉が突き刺さる。
職員がこの時パンフレットやら沢山の資料を持って戻ってきた。


「お待たせしました。ヒカルくんこれがネット碁の資料や
パンフレット」

「こんなにあるんですか?」

ヒカルは何とか取り繕った。

「今はネット碁も種類が豊富だから、」

職員と話しながらヒカルはちらっとアキラを見た。

「アキラはどのネット碁をしてるんだ」

せめて、可能であるならネット碁でもアキラの願いを、佐為と打たせてやりたいと思う。

「僕はGOGONETだ」

「そっか、まあオレに出来るかどうかわかんねえけど参考
にする」

ヒカルは紙袋に入ったパンフを受け取るとお辞儀をした。

「今日は色々とありがとうございました。今日はこれで失礼
します」

「僕も今日はこれで、」

「私の方こそ二人の案内が出来て良かったです
お二人の活躍を楽しみにしてます」



職員と別れ、ヒカルが先に歩き出すとアキラがその背に
向かって言った。

「僕のハンドルネームは『AKIRA TOYA』だ」

「そのままじゃねえか」

ヒカルの声は乾いていた。

「僕は逃げも隠れもしない・・・君を待ってる」

ヒカルはそれに応えず、ずんずん足を進めた。





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