モノトーン

13

 
     




大寄せにも入り、ヒカルはもう1度盤面を睨む。
形勢は和谷の方が幾分か良い。だがまだ生きにつながる
道はありそうな気がするのだ。

全てを読んだわけではないが、放り投げた1手から道が
拓けていく。


『ヒカル、ヒカル・・・』

佐為の声が耳元で騒ぐ。

始めは耳障りなものでなく、ヒカルは無視をしていたが佐為が何を思ったのか碁盤前にふさがった。
流石にこれでは碁を打つことも出来なかった。

「お前何やって・・?」

佐為は必死な顔をしてジュスチャ―で時計を示す。
約束をした10時はとっくに過ぎてた。

「何でもっと早く言わねえんだよ!!」

「何度も言いましたよ」

確かに佐為の声は聞こえていた。でもそれはヒカルの意識の
外側の事だ。和谷がヒカルの声で不審に顔を上げた。


「どうかしたのか?」

「ごめん、タイムリミットだ」

慌てて立ち上がった途端ヒカルはよろけて躓いた。
長時間正座していた足は太腿まで感覚が麻痺していた。

「痛え〜!!」

「今度はどうした」

「足痺った。オレ正座なんてあんましねえから」

和谷は声に出して笑った。

「お前正座して対局した事ないのか?」

「ねえよ。ひょっとして普段は正座して対局するものなのか?」

「まあ、最近は椅子に座ることも多くなったけどな、
とりあえず、そのまま足伸ばしてみろ」

言われた通りにすると和谷がヒカルの足首を伸ばしたり、曲げたりする。

「こうやってそり返したり、戻したりするとしびれが早く取れ
るんだ」

確かにしびれが幾分ましになり、ヒカルは立ち上がった。
まだ足の芯は『ずん』と痺れていたが、立つことも歩くことも出来そうだった。

「ありがとう和谷、オレ急いでるから、途中になっちまって悪いけど」

「オレの方こそ仕事があるのに付き合ってもらって悪かったな。
その足だし送って行ってやるよ」

和谷に案内されエレベーターに乗り込む。
携帯を見ると10時30分を回っていた。30分以上も遅刻だ。
携帯には案の定、マネーシャーの黒木からメールが入っていた。
30分の遅刻にヒカルは怒られるだろうな、と大きく溜息を吐き
佐為を睨んだ。
けれど佐為は口を尖らせたままでヒカルと目も合わそうとしなかった。


「お前さ、塔矢アキラに勝ったんだよな?」

ぼそりと和谷に言われ、ヒカルは答えに窮した。

「えっと?」

そのタイミングでチンとエレベーターが鳴り、目的の3階に到着した。
無言のまま降りると和谷が謝った。

「ちょっと思ってたイメージと違ってたからさ、悪気はねえんだぜ」

「それってオレが思っていたより弱かったって事か?」

「違う、違う」

和谷は否定したがヒカルは納得いかなかった。

「だったらなんだよ」

はっきりとヒカルは和谷に言って欲しかった。

「あーまあ、確かに、塔矢程じゃねえなとは思ったけど」

和谷は正直にそう答え、言葉を選んだ。

「けど、お前の打つ碁にオレは垣間見たんだ」

何を垣間見たのか和谷は言わなかった。

「塔矢が、お前をライバル視してるって言うのもそういう事じゃねえのか?
オレはお前の打つその先を見てえと思ったんだ。
どこまで行くのか、ってな。
お前は芸能人なんかより、プロ棋士になるべきだって思うぜ」

ヒカルはそれに苦笑した。

「ひょっとして気分を悪くしたか?」

「いや、アキラにも同じ事言われたなって」

アキラが見ていたのはヒカルではなく、佐為の碁だ。
それは悔しいが、和谷と打ったのは他でもなくヒカル自身だ。

「そっか」

その時、取材部屋から出てきたアキラと目があった。
ヒカルが来るのを「今か今か」と待っていたのだろう。

「進藤が、来ました!!」

スタッフに声を掛けるアキラにヒカルは悪いとジェスチャーで
返す。
和谷が『じゃあな』と小さく後ろ手を振った。

「和谷ごめんな、最後まで打てなくて」

「お前の最後の手しびれたぜ!!」

和谷は振り向きもせず立ち去っていった。
アキラがヒカルの元に駆け寄ってくる。

「進藤どうかしたのか?君が遅れることなんてないとスタッフから
聞いたから、」

芸能人として時間に遅れることだけはしないよう今まで心がけていた。
メールや電話の着信もあったのに、気づかなかったのだ。
心配してくれたのだろうと、ヒカルは余計に申し訳なくなった。

「悪い、ここには1時間以上前には来てたんだけど。
その・・・碁を打ってたら時間が完全に飛んじまった」

「あはは」と笑って誤魔化すとアキラの表情が険しくなる。

「本当に悪かった」

ヒカルが再度謝ったのはアキラをひどく怒らせたのだろうと思ったからだ。

「君が対局したのはさっきの・・・院生?」

「ああ、和谷だって。ってお前知ってるのか」

アキラはヒカルをぎりりと睨みつけた。

「僕とは対局してくれないのに」

「それは・・・」

アキラの怒りはヒカルが遅れた事じゃない事がわかって
胸がドクンとなる。

「ヒカルくん来たのなら早くして、取材すぐに始めるから」

スタッフの声に助けられる。

「すぐ行きます」

そう返したのはアキラで、その時には普段のアキラに戻っていた





取材はまずアキラとヒカル、女流棋士との対談形式で進められた。

『ヒカルくんは全国大会の決勝トーナメントの日に映画『モノトーン』のオーディションがあって、出場できなくなったというのは本当なの?』

その質問にヒカルは苦笑せざる得なかった。

「はい、そうです。だからってわけじゃないけど今日何だかここに来づらくて」

『それで遅れたとか?』

スタッフに笑われヒカルもつられたようにもう1度苦笑した。

『アキラくんは?ヒカルくんと対局するために全国大会に出場したと聞いたのですが」

「本当です。僕の行きつけの碁会所に『ヒカルくん』がたまたま来て、対局することになったんです。その時彼の名前と歳しか僕は知らなくて。
もう1度対局をしたいと強く思っていたんです。
そしたら彼が東東京代表で大会に出場することを知って、決心したんです。」

アキラは先ほど怒っていたとは思えない程、にこやかだった。
こういう二面性をアキラは持っている事にヒカルは少し怖くなる。

『そういう強い意志でアキラくんは大会に望んだのに
肝心のヒカルくんは当日来なかった・・・と』

「その通りです」

『ではお互いまさか映画に出演なんて思ってなかったですよね』

「ええ、まさか僕が映画に出演なんてあの時は夢にも思ってませんでした」

『ヒカルくんは?』

「オレはまあこの役の為に頑張ってたから。
でも相手役がアキラに決まった時、確かに『こいつしかいないな』って」

『それでお二人はその後対局は出来たのですか?」

「それがまだ・・・」

それは二人同時にハモった。だが2人の思惑は少し違う。

「それは残念ですね・・・」


司会の合図で碁盤と碁石がアキラとヒカルの前に用意される。
ヒカルは『ひょっとして』と唾を飲み込んだ。

「アキラと今から対局する・・とか?」

「本当はそうしてもらいたいのだけど、時間がかかるから」

『2人が対局してる写真を撮りたいんだ」

司会者でなく、雑誌の取材とカメラマンがそう言った。

「やっぱりアキラと対局するってことじゃあ?」

心の焦りは言葉にしないようにと思っても、態度に表れていて、
アキラは気づいているかもしれないと思う。
冷たいものがヒヤリと背中を流れた。

「最後まで対局するわけじゃなく。写真を撮るために数手
2人に並べて欲しいんだ」

「軽い感じで、絵になるように20手ぐらい打ってくれるだけで良いから」

渋っては余計にアキラに不審に思われそうで、ヒカルはやむなく碁笥を手に取った。
この時傍で見守っていた佐為が囁いた。

『ヒカル私が打ちましょう』

「何言ってんだよ!!」

『大丈夫です。それなりに見せれば良いのでしょう。
今のヒカルの棋力に考慮して打ちます』

確かに佐為が打ってくれるなら、その方が今は気持ちが
楽だった。

「勝ちに行こうとしねえよな?」

『もちろんです。任せてください』

ヒカルが手に取った碁笥は黒だった。映画でも黒を持つのだからそれでいいはずだ。

「わかった、佐為に任せる」

目で合図すると佐為は小さく頷いた。



「お願いします」

「お願いします」

ヒカルは佐為が示した初手を放った。


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12話に続き、13話も対局開始で終わってしまいました(汗)






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