モノトーン

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久しぶりの登校は1学期の終業式だった。

週末の非日常的な二日間から、戻されたヒカルにはなんとも間延びした日常だった。
ホームルームから解放されたヒカルは強い日差しの中、欠伸を一つ、大きく背を伸ばした。

「ようやく夏休、つうても忙しいくなるだろうな」

『昨日のおーでぃしょんの結果はどうなったでしょう』

「8月撮影開始だから、早かったら今日にも決まるかもな」

『楽しみですね』

「楽しみってお前は他人事だからいいよな」

『ふふ、他人事じゃないですよ。ヒカルの事は』


佐為と軽い会話をしながら校門を出たところでヒカルは突然前から飛び出してきた人影に驚いた。


「進藤!!」

特徴のある髪型と声は身に覚えがありすぎた。

「なっ、アキラ?なんでお前がここにいるんだよ?!」

あまりに突然すぎてヒカルは驚いて立ち止まったが、そこは下校の途につく生徒たちの通り道で、二人が立ち往生するとひどく邪魔になった。

アキラはヒカルの腕を『ぐいっ』と掴むと、人ごみを避けるよう横断歩道を横切った。

「バカ、ひっぱるなって・・・、たく一体なんなんだよ」

ヒカルの訴えも構わずアキラは歩幅を広げた。
握られた腕の強さから『逃がさない』というアキラの感情が伝わってくるようだった。

周りの生徒の視線が痛く、ヒカルは止む無しにアキラに素直に
付いて行かざるえなかった。
ようやく角の通りまで来て、人通りがほとんどなくなるとアキラは立ち止まったが、ヒカルの腕を解放しようとはしなかった。

「もう突然なんだよ、なんでお前がオレの学校知ってんだよ?」

それを答えたのはアキラでなく佐為だった。

『全国大会の冊子に書いてありましたよ』

そういえば出場者の名前と在籍校の名がパンフレットに載っていた。
佐為に言われて納得したが、調べてここまで来たのなら相当だ。
『ストーカーじゃあるまいし』とヒカルは心の中で溜息を吐いた。

「腕もういいだろう」

ヒカルが逃げないとわかったのか、アキラはようやく腕を解放した。

腕は解放されたが、今度はアキラはまっすぐにヒカルを捉えていた。
恥ずかしくてなって視線を逸らすと、今まで黙っていた
アキラが口を開いた。

「なぜ、昨日大会に来なかった?」

アキラを見たときからそのことだろうとは思っていた。
アキラのこの性格では無難に誤魔化すと言うわけには行かない
だろう。

「大事な仕事が入ってて、最初から決勝トーナメントには
出れなかったんだよ。
初日にお前に会った時、言わなかったのは悪かったって
思ってる」

「大事な仕事?」

「オレ、こう見えて芸能人やってて。ああ、まあアイドルってやつ、
駆け出しでまだまだだけど。昨日は大きなオーディションがあったんだ」

ヒカルの返答にアキラの表情が硬くなる。

「君は、プロの棋士になるべきだ!!」

「はあ!?」

ヒカルは頭に血が上ったような気がした。

「なんだよ、それ、
オレは囲碁になんか興味ねえし。大会に出たのだってたまたまだったんだぜ、」

「なら、なぜ、碁会所に来た。大会だって会場に行ったの
だろう?」

「ええっ?それは・・・」

『すべて佐為の所業で・・・。』
と言い訳したくても出来ず、ヒカルは口ごもった。
そうするとアキラが溜息を洩らした。

「君は囲碁を始めて1年だそうだね」

ヒカルはそんな事をアキラに言った覚えがなかったが、佐為が
『あの新聞を見たのでしょうね』と耳打ちして来て、『そうか』と頷いた。

「まあ、そんなもんかな」

「僕は2歳の時から打ってる。それも毎日だ」

沈痛な面持ちのアキラにヒカルは掛ける言葉を探した。

「大会で、お前の碁を少し見たぜ。強えと思ったよ。
何物も近づけさせない強さってやつ。
今のオレではちっと無理だなって思った。
オレなんかよりお前がプロになれよ」

「言われなくてもそのつもりだ。だが、君は自分を過小評価
してる。
君の強さは子供の大会やアマでおさまるものじゃない」

「過大評価してるのかお前だ!!」

「だったら、今から打とうじゃないか、昨日君と
僕が対局するはずだった、決勝戦を!!」

ヒカルはあの後の大会結果を知らなかったが、この言葉からアキラが優勝した事はわかった。

アキラにまっすぐ手を差し伸べられ、ヒカルは戦慄いた。


「お前とは打たねえよ」

「なぜだ?」

「打たないって言ってるだろう!!」


崩れ落ちそうなアキラの表情にヒカルは自分が口にした言葉に苦しくなる。
アキラの真剣なまなざしが追っているのはヒカルじゃない。
佐為と打たせてやりたいとは思うけど、そんなことしたらもっと
ややこしくなるだけだ。

「ごめん。アキラ、オレこれから仕事だし、帰るな」

ヒカルがアキラの脇を過ぎようとした時、
見覚えのある車がクラクションを「プっ」と鳴らし、緒方が窓から顔を出した。

「緒方先生?なんでここに?」

「お前の家に行ったらまだ帰宅してないって聞いたからな」

緒方が自宅まで来たのはヒカルが事務所に入って以来だ。

「わざわざ?」

「お前の主役が決まった。早く報告したくてな」

ヒカルの胸が躍る。
『決まった。オレの主役が・・・!!』聞き間違いじゃないよな!?
緒方は車から降りると、ヒカルとアキラの顔を見比べた。

「ええっと・・・」

主役が決まったと聞いて、『飛び跳ねて』喜びたい所だったが
この状況では喜ぶに喜べない状況で、
緒方先生のタイミングは全く間が悪すぎた。

「ヒカルの友達か?」

「えっ、ああ、はい」

緒方はアキラに興味を持ったのか、胸ポケットから名刺を差し出した。

「オレは緒方清次、芸能プロダクションの社長をやってる」

「ご丁寧に、僕は塔矢アキラです」

アキラは差し出された名刺をやむなく受け取ったが、
機嫌がよいはずない。取りあえず体裁を保っただけだ。
だがそんな事など緒方はお構いなしだった。

「どうだ?君もオレのプロダクションに入らないか?」

「申し訳ありませんが、興味がないので」

「だったら4カ月ばかりの契約ではどうだろう?これから映画を
作るんだが、主人公が少年二人でな。
ヒカルがその一人に決まったが、
肝心の相棒が決まってない。オレのイメージとしては君はぴったりなんだが」

ヒカルは二人のやり取りを驚いて聞いていた。
映画「モノトーン」は少年二人が主演で、ヒカルが「ひかる」の役をするのだとすれば相手役は緒方の言うとおり確かにアキラは
イメージ通りだった。

だが、アキラは素人の上、たまたまここに居合わせただけで、
役を引き受けるとは到底思えなかった。
アキラはプロ棋士になるのだから。

「あの、何度も言いますが、僕は・・・」

「ならさ・・・」

ヒカルは胸がトクンと大きくなるのを感じた。

「もしお前がこの話を受けるなら、オレお前と対局してもい
いぜ?」

そんな条件でアキラが役を引き受けるとは思えなかったが、一か八かだ。

「本当なのか?」

ヒカルの『前言撤回』の意図を測りかねるようにアキラがまっすぐに見据えた。
今度はヒカルも目をそらさなかった。

「ああ、ただ、今すぐこれからってわけにはいかねえけど、」

対局するなら、少し、もう少しでも、ヒカルはアキラに近づいてから対局したかった。


「わかりました。4か月だけなら」

「アキラ本気か!?本当にいいのか?」

「なぜ、君が言いだした事だろう」

アキラは平然と言ってのけたが。
ヒカルはまさか本当にアキラが引き受けるとは思わなかっ
たのだ。

それほどまでにアキラがヒカルとの対局を望んでいる
という事だ。


そして今ヒカルは胸のドキドキが止まらなかった。

アキラとならいい映画が出来るかもしれない。
そんなわくわくした気持ちが湧き上がってきて止まらな
いのだ。

ヒカルは汗ばんだ手をズボンで拭き、アキラに手を差し出した。
先ほどとは逆だ。

アキラはその手を握り返してきた。
その手も少し汗ばんでいた。

「アキラ、きっかけはどうあれ『やるっ』て決めたんだから、全力で行こうぜ」

「もちろんだ。君こそ約束を違えるなよ」



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