モノトーン

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アキラは碁会所で棋譜を並べていても、来客が来るたびその姿を横目で追い、心中で溜息を洩らした。


集中出来ていない事に苛立ちを覚えながら、『しんどうひかる』がここに来るのではないかと、待ち望んでいた。

また負けてしまうかもしれない。そうアキラが思わせるほどに

彼は強かった。

それでも構わなかった。
あの強さ、そしてあの輝きにも似た何かを、もう1度アキラは確かめたかったのだ。

だがあれから彼はこない。
再戦の約束をしたと言っても、口約束で彼は気にも留めていない
かもしれなかった。

受付名簿には未成年者は住所と年齢を書くことになっていたが
彼は「ひかる」としか残してなかった。
アキラがわかる事は彼が名乗った「しんどう ひかる」という名と歳が13ということぐらいだ。

そうして考えを巡らせ、やはり集中できていない自分に
溜息を吐いた。


そんな様子を遠くから見ていた市川は頬杖をついた。
アキラは明らかに「ひかる」という少年と対局をしてから
様子が可笑しかった。

人は見かけによらないものだと思う。
まさかアキラが負けるなど思いもしなかったし、「彼が」
それほどにも強いとも思えなかったのだ。

市川は横目で見ていた新聞を畳み、コーヒーと一緒に運んだ。



「アキラくん、少し休憩でもしたら?」

市川はアキラの邪魔にならない場所にコーヒーを置いた。

「ありがとうございます」

「アキラくん、確かこの間ここに来た子って進藤ヒカルくんだっけ?」

アキラの表情がパッと変わった。

「ひょっとして、ここに来たのですか?」

「そうじゃないんだけど」

「そうですか」

アキラは取り繕っていても、落胆の色があった。
市川のせいではないのに申し訳ない気持ちになる。
そんなアキラに市川は躊躇していた気持ちを払った。

「この新聞に載ってる子じゃないかと思って」

アキラは市川から手渡された新聞に目を移す。
夕刊の地方欄に囲碁の全国大会地区予選の記事と写真が載っていた。
小さな写真でもアキラは彼だとわかった。

『南関東地区予選に優勝したのは葉瀬中2年の進藤ヒカルくん。
囲碁を始めてわずか1年という驚きの成長で、勝ち上がり・・・。』

まさか・・とアキラは息を呑む。
囲碁を始めて1年?あの強さで・・?!

アキラは胸が震えるのがわかった。それは畏怖とも驚愕とも悦びともわからないものだった。


「この間彼に帰り間際、この大会の案内を渡したのよ。あの時は気のないそぶりだったけど、出場して優勝までしちゃうなんてね」

それでアキラは気づいた。

「そういえばこの大会芦原さんが審判をするとかって?」

「そうよ、だからここにパンフレットを置いてたの」

アキラはそぞろに碁石を片付けはじめ、市川は内心苦笑した。
これから芦原に彼の事を聴くのだろう。

「アキラくん、弘幸さんだったらもうすぐここに来るわよ」

「本当ですか?」

「仕事が終わったら立ち寄ると言ってたもの。だから
アキラくんはコーヒーブレイクでもして、」

市川と芦原は付き合っており
芦原がここに顔を出すことは結構あった。

そして二人はアキラを食事やドライブに誘うことも多かった。
芦原と市川に遠慮して行かないと
無理やりちかく芦原に食事に連れて行かれることもあって、
それが芦原や市川なりの心遣いだって事もアキラは知っていた。

今日もおそらく、アキラを見かねて市川が連絡して
くれたのだろう。




しばらくして、碁会所に来た芦原は市川と目配せした後、
アキラのもとにそのままむかい、向かい側に腰を下ろした。

「芦原さん、あの・・・」

「アキラくん僕に聞きたいことがあるんだって?」

「はい、昨日の南東京地区の予選で優勝した進藤くんの
事です。芦原さん何か印象に残っていることはありませんか?」

大会全体を見なければならない審判が一個人の印象を
覚えているかどうかはわからなかったが、彼が優勝したのなら
何か気に留めることがあったかもしれない。

「印象ねえ、進藤君はもともと大会に参加するために会場に来たんじゃなかったんだ」

「それではなぜ会場に?」

「それは、わからないな。でも彼とは何度か顔を合わせたことがあって、」

「本当ですか、どこで?」

「彼、あの容姿だろ?だからよく目につくんだ。
僕がこの近くでやってる囲碁教室をアキラくんは知ってるよね」
その教室が終わるころに時々覗きに来るんだ」

「生徒ではないのですか?」

「違うよ。最初は教室に親御さんか知り合いでもいるのかと思ってたんだけど
そうじゃないみたいで、それで先日『興味があるなら体験もやってるからおいで』って声を掛けたんだ。

そしたらこの予選大会でひょっこり会って、申し込みもしてないって言うから。
丁度キャンセルで空が出た、「無差別クラス」に出てみないかって誘ったんだ」

「それでは彼は飛び込みで参加を?それで優勝したのですか?」

「ああ、大会に出場したのも初めてだって言ってた。
インタビューで囲碁を始めて1年だって言うし。全国大会の事も何も知らなかったみたいだった」

『正直驚いたよ』そう付け足して、芦原は『本当に・・』と心の中で思う。

まさか彼がアキラを負かしてしまう程の棋力があったとは、あの時には露も思わなかったのだ。

『彼』と市川が話していたアキラを負かした『ひかる』が大会では結びつかなかったのだ。

「彼が対局した内容は見てませんか?」

「ごめん、仕事してて、決勝戦も僕は担当じゃなかったから知らないんだ」

「そうですか」

アキラは話を聞くうちにふつふつと湧き上がってくる想いに駆られていた。
彼の通う中学もわかった。「進藤ヒカル」という名も知った。そして一番重要な事は進藤ヒカルが全国大会に出場すると言うことだった。

「芦原さん、確か全国大会の東東京大会の予選はまだでしたよね?」

「ああ、次の日曜だけどって・・・アキラくん、ひょっとして?!」

「ええ、僕も出場します」

芦原は驚いていた。アキラはアマの大会もジュニアの大会にも
出場したことはない。
出場すれば間違いなく優勝してしまうだろうし、それはあまりにも
周りの配慮に欠けるからだ。それはアキラ自身が一番良くわかっているはずだ。

いつも冷静沈着なアキラの心をここまで突き動かしてしま
うとは・・・。

「アキラくんが進藤くんと決勝であたるのを楽しみしてるよ」

アキラの背を押すように、芦原は言った。
普段我慢することの多いアキラを心から応援したいと
思ったのだ。

「ありがとうございます」



芦原の言うとおり同じ東京都代表になれば、彼の棋力なら
当たるのは決勝戦しかない。
アキラの心はすでに進藤ヒカルとの再戦だった。



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一服
市川さんと芦原さんが付き合ってる事にしたのは、前作と切り替え
したかったからデス。
それから・・・。
我が子がらみですが、全国大会が終わりました〜!!
子供たちはもちろん、私も得るものがあったとおもうので(笑)お話に生かせたらいいな〜と思ってます。





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