19:00ー
レッスンから解放され、教室を飛び出した子供たちは
三々五々に散って行った。
子供たちの中には親が迎えに来ている姿もあったが、ヒカルは
小5になった頃から1人で通っている。
厳密に言えば1人・・とも言い難いのだが。
『進藤、まだ帰らないのか?』
一番年長の伊角がヒカルに声を掛けてきた。
「オレトイレに行ってから帰るから、伊角さん先帰ってて」
「ああ、気をつけて帰れよ」
後ろ手で、手を振り伊角と別れたが
ヒカルが向かったのはトイレではなくカルチャー棟の囲碁教室だった。
ヒカルが通ってるダンス教室と囲碁教室は棟は違えど、繋がっており同じ階だった。
ヒカルが教室の入り口まで行くと、教室に通うおじさんやおばさんたちが丁度出てくるところだった。
先生と思しき人が最後に出てくるとその後ろに佐為がいた。
ヒカルは佐為の姿を見つけると、小さく手を挙げた。
「君、また覗きに来たんだ。囲碁に興味あるのかい?よかったら無料体験もやってるからいつでもおいで」
何度か顔を合わせた事がある若くて優しそうな先生だった。
鞄から囲碁教室のパンフレットを取り出しヒカルに差し出す。
「あ、ありがとうございます」
苦笑しながらそれを受け取り、佐為をちらっとみると佐為は満面に笑みを浮かべてた。
『いつもお世話になっております』
丁寧にそう頭を下げた佐為にヒカルは笑いを抑えるので必死だった。
相手に見えない、聞こえてはいない。
けれど佐為はこういう所は律儀だ。
「ヒカルレッスンお疲れ様!!」
「佐為は随分楽しそうだな」
「今日の囲碁教室の講師は芦原プロだったんですよ」
あの若い先生の名だ。
佐為はレッスン始めはヒカルに付き添ってはいるものの囲碁教室が始まるとそちらに行ってしまう。
それを佐為はとても楽しみしていた。
自分が対局出来るわけではないのに、老若男女が対局する様子を見るのも楽しいらしい。
『誰に孫が出来た』とか、『誰々が大会で勝った』とか、
我がことのように喜ぶ佐為は誰に見えていなくとも教室の生徒なのだ。
ささやかでも佐為の楽しみが出来るならヒカルも嬉しかった。
「それで、今日はですね・・・。」
「はいはい、そりゃよかったな」
ヒカルが最後まで佐為の言葉を聞かなかったので佐為が頬を膨らませた。
「ヒカル!!話は最後まで聞くものです」
「教室で満足したんじゃなかったのか?」
「教室に行っても対局出来るわけじゃないです。この身では碁石も持てません」
「そりゃそうだよな」
「それが口惜しいのです」
軽くあしらうヒカルに佐為は『恨めしいや〜』とでも言いたげにヒカルの背後をうろうろとする。
こういう時の佐為の言いたいことは、大体わかっている。
「わかった、わかったって、帰って飯食ったら、打ってやるから」
「ヒカルと対局するのもいいのですが、たまには余所でも・・・」
少し言いにくそうに口ごもった佐為にヒカルは首をかしげた。
大抵はそれで収まるからだ。
それでヒカルは思い当たった。
ヒカルは13才だが、芸能プロダクションに所属していて、アイドルの端くれだったりする。
少しばかりだが中学生でも『稼ぎ』があった。
普段は親がその『稼ぎ』を管理してるのだが、仕事を貰えたので
今月はお小遣いをUPしてもらえたのだ。
おそらくヒカルがお小遣いを散在する前に『碁会所に行きたい』という佐為の催促なのだろう。
「はああ、オレ疲れてるのに・・・。」
学校を終えた後のダンスレッスンだ。
当然疲れてるし、腹だって減ってる。
「ヒカル〜」
「お前は腹減らなくていいよな」
ヒカルの周りをぐるぐると、鬱陶しいぐらいに強請る佐為は
親にものを強請る子供のようでヒカルは力なく笑った。
「もうわかったよ。けどこの近く碁会所あるのか?」
佐為は相当に強い。
だから同じ場所には行かないようにしていた。
「それなら駅のすぐ傍にあります!!」
ヒカルは半場呆れてた。たぶん先ほどの囲碁教室で誰かに
聞いたのか、佐為はリサーチ済みだったらしい。
「しょうがないか」
面倒くさそうにそう言ったが
ヒカルは囲碁を打つのは嫌いじゃなかった。
むしろ好きなぐらいだ。
もしこの道を目指していなければ、もっと囲碁に打ち込んで
いたかもしれない。
そう思うと少し心が痛んだ。
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