ひかる茜雲


                            30




      
     
佐為が緒方邸を訪れて1週間程の事、飛び込むように佐為の
側用人が緒方邸に駆けこんだ。
一瞬にして、穏やかな午後が急転する。

芦原から報告を受けた緒方は事情を聴くため急ぎ使者の待つ部屋に向かった。
緒方は小姓の筒井を下げ、代わりに芦原と冴木を呼んだ。
佐為の従者は恭しく頭を下げた。

「緒方様には変わりなく・・・」

青ざめた佐為の側用人はそれでも礼儀に則ろうとしたが緒方はそれを遮った。

「良いから顔を上げて、事の次第を説明しろ」

「佐為様に八百長の疑いがかけられ、碁奉行にて取り調べを受けて今日で3日の
拘束になります」

唇を噛みしめる側用人に芦原と冴木は顔を見合わせ「あり得ない」と目くばせした。

「このような事をお願いするのは緒方様しか・・・思いつかなく。
我が主をお助け下さるようお力添えを頂きたくお願いに上がりました」

側用人は頭を擦りつけるほど頭を下げた。
緒方は眉間に皺を寄せた。

碁奉行は幕府管轄の寺社と同等となる。
ここの所、碁奉行内部では派閥争いが燻っている事は緒方の耳にも入っていた。
碁所の塔矢行洋が倒れてから、碁奉行は次の碁所を巡っての派閥争いが起きて
いるのだ。

佐為は実力もあり、人気もあるが、その分当然嫉みもあるだろう。
気のいい佐為の事だ。
「八百長」などでっち挙げで闘争に巻き込まれたと考えた方がいい。

前碁所の桑原がやっていた頃はこのような事は起こらなかったのは、やはり桑原に
それだけの威厳と実力があったからなのだろう。もちろん塔矢行洋もであるが。

緒方は桑原も塔矢行洋も虫が好かぬが、そういう所はかっていた。


「それで、佐為は碁奉行に拘束されているのだな」

「はい、どのような事をされているか」

使者の心労は緒方も見て取れた。
佐為が『やった』と認めるまで拷問が行われているかもしれない。

佐為は『身に覚えのない事を認めたりはしないだろう』と思ったが同時に
『諦める事』も緒方には十分に考えられた。
普段の佐為ならば決してないだろうが、次のお城碁でアキラとの対局が執り行
わなければ、この賭けはアキラの勝ちになる。

あの佐為の事だ。自分の命はどうなろうとも
戦わずして、弟子の命を守る方を選択してもおかしくない。
それはこの勝負を持ち出した緒方にとってもおもしろくない。

「わかった」

従者が緒方の顔を伺うように顔を上げた。

「出来るだけの事はしよう」

「本当でございますか?」

「あまり期待はするな。碁所は幕府の管轄だけにオレがどこまで手が回せるか・・・」

それでも緒方はこの時尽くせるだけの事はしようと心に決めていた。





従者が帰った後、緒方は腕を組んだ。

「佐為が八百長など絶対ありえん話だ」

『私もそう思います』

冴木と芦原の言葉は同時に放たれ、緒方は頷いた。

「冴木、すぐに登城する手続きを取れ、上様に会う」

「かしこまりました。ですがすぐと言っても多少日数が・・。」

登城して、将軍にお目通りとなると、それ相応の手続きが必要だった。
よほどの急ぎでない限り1週間はかかるとみていい。

「殿それには及びません」

声を上げた芦原は少し誇らしげだった。

「芦原さん?」

「すでに手筈は整っています。明日登城できます」

緒方は目を丸くした。

「ほう、芦原にしては随分手際がいいじゃないか?」

芦原は苦笑するしかない。

「僭越ながら駿河に発つ前の挨拶を立てる為にした手続です。
殿が登城しなくても代理を立てるつもりでした」

「それで上様にも会えるのか?」

「はい、大丈夫かと思います」

「後は殿の腕次第です」

そう言った冴木に緒方は苦笑した。

「おいおい、あまり期待されてもな。だがオレはいい部下を持ったな」

緒方はしみじみそういうと2人を見比べ、膝をぽんっと叩いた。

「明日登城するなら、今日は隠居じじいの桑原の所だな。冴木はオレに付き添え
芦原は後の事を頼む!!」







翌日、江戸城から戻った緒方はそれなりの手ごたえを感じていた。

「どうでございました?」

帰って早々、聞いてきた芦原は緒方の顔色を見てすでにそれを察していた
ようだった。

「上様も頭を抱えておられた。オレを始め、他の外様や家臣からも申し出があった
らしい。
佐為は大奥でも人気だからな。奥方や姫君
からも、『佐為はそんな事は絶対しない』と強く訴えがあったと洩らしていた」

「そうですか・・・」

安堵する芦原に緒方は「だが・・」と舌打ちした。

「問題はじじいの方だな。じじいの奴、今回の一件絡んでいるかもしれん」

緒方がじじいというのは桑原の事だ。

「あいつ、「ワシは引退した身だ」と言うてオレを一笑しやがった。あんな奴に頭を
下げたオレがバカだった」

思い出しだだけで苦々しく緒方は苦虫を噛んだようだった。
緒方にそれだけの事が言える桑原はただ者ではない・・・と芦原は思う。
もともと桑原が緒方に碁の手ほどきをしたと言うのもあるのだが。

「桑原殿はどちらに付くつもりもないだけでは?」

「まあそうかもしれんが、オレはあいつを見損なった」

そう言って溜息をついた緒方はやはりそれでも自分に出来ることはやったと
思っていた。

「芦原、今日は酒を用意させろ。それから今晩はヒカルを呼べ」

「はい。ですがヒカルには・・・。」

「わかってる。無理はさせるつもりはない」

緒方はこんな時だからヒカルを傍に置いて置きたかった。



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碁奉行というのは私が勝手に作ったものです。まあすべて絵そらごとなんですが(苦笑)
さて、28話の時点で残り4話でプロットを切りなおしたのですが、後2話で終わる気が全くしません;




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